
逮捕を事前に漏らしたトランプの「誤報」
ドナルド・トランプ第45代大統領の「ポルノ女優(ストーミー・ダニエルズさん)への口止め料支払いに選挙資金を流用した容疑で私が3月21日に逮捕される」という予告は、誤報に終わった。
だからと言って、「Xデー」が過ぎ去ったわけではない。
大陪審は通常、月水木曜日に開かれており、3月29日がXデーになる公算が高まってきた。
トランプ氏が逮捕阻止のため支持者に抗議の声を上げよ、と教唆したことを受けて、ニューヨーク市警は公判が行われている刑事裁判所*1周辺には厳重な警備体制を敷いている。
*1=ニューヨーク州の裁判制度は、控訴審(最高裁=Appellate Courts)、上級事実審(高裁=Trial Courts of Supreme Jurisdiction)、下級事実審(地裁=Trial Courts of Interior Jurisdiction)からなっている。市刑事裁(New York City Criminal Courts)は市民事裁(New York City Civil Courts)とともに下級事実審裁判所、日本の地裁に相当する。
参考:「ニューヨーク州地方政府ハンドブック第7版」
トランプ氏が自前のSNSで予告して以降、ケビン・マッカーシー下院議長ら共和党実力者は、トランプ訴追を決めているアルビン・ブラッグ州第37地区検察官(民主党、公選)を「政治的告発だ」と激しく批判。
ジム・ジョーダン下院司法委員長ら3人の共和党下院議員はブラッグ氏に対する事情聴取を要求している(ブラッグ氏は完全無視の姿勢だ)。
2024年大統領選立候補表明は「時間の問題」とされているロン・デサンティス・フロリダ州知事は、メディアにコメントを求められてこう答えている。
「(逮捕を予告、阻止するために立ち上がれと唱えている)トランプ氏は得意になってのぼせているのと違うか(I think he got way too big for his britches)」
「私は、他人がソーシャル・メディアに投稿していることにいちいちコメントはしないことにしている」
「しかし、問題なのは検察官が連日起こっている犯罪を置き去りにして何年も前にポルノ女優が受け取った口止め料を取り上げている検事がいるということだ」
「これほど政治的動機で動く検察官というのは、職務の武器化以外の何物でもない」
(Trump waits out grand jury in Florida as New York braces for protests)
だが、これはあくまでもマンハッタンでの「犯罪」をめぐる法的行使の問題だ。「外野席」でいくら「正論」を吐いても実効性はない。
米連邦議会、大統領たりとも手が出せない。州権(地方自治体の権限)の尊重は米国の建国時の公約だからだ。
米国民の70%はトランプ氏が選挙資金法違反を犯したと信じている一方で、これが「政治的動機によるもの」と答えた米国民は54%、共和党支持者に限れば80%もいる。
(Americans see Trump investigation as politically motivated)
ニューヨーク市のマンハッタンで行われた口止め料支払いをめぐる州憲法違反行為を訴追できるのは第37地区(マンハッタン地区)を管轄する検察官と大陪審メンバー12人だけだ。
陪審員の判断を踏まえて、刑期、罰金額など具体的な罪状を下せるのはニューヨーク市刑事裁のマシュー・グリエコ首席判事だ。
トランプは起訴か告発か、拒めば「逮捕」
トランプ氏の「予告」にこだわるようだが、トランプ氏は「起訴される(indict)される」とか、「告発される(charge)」とか、「逮捕される(arrest)」とかの表現は米メディアによってまちまちだが、法律専門家によれば、これらの用語の持つ法的意味は厳格だ。
同氏を起訴するのは、大陪審。
告発するのは検察官。
判決に不服で自主的に身柄を拘束されるのを容疑者が拒否した場合、検察官は同氏の逮捕を命じることになる。
(トランプ氏は「逮捕される」と予告しているのだから拘束されるのを拒む、ということになるのだろう)
訴追されたトランプ氏は、指紋を取られ、容疑者用顔写真(Mugshot)を撮られる。通常、容疑者は手錠をはめられるが、トランプ氏の場合は大統領経験者ということで免れるようだ。
したがって、犯罪ドラマに出てくるように係官に引き立てられて手錠姿で裁判所から出廷することはまずない、と法律専門家たちは予測している。身柄は宣誓賠償金を支払って「解放」される。
トランプ弁護団は当然上訴するから攻防は長引く。
トランプ氏は大統領選に出馬しており、選挙キャンペーンを続けることになるが、公判があれば、ニューヨークの裁判所に出頭せねばならならない。
「見えない手錠」をはめられた大統領候補が全米各地を駆け巡ることになる。
それに後述するが、連邦、州、郡レベルでの控訴案件がこのほか3件も待ち構えている。気の遠くなるような泥沼が待ち構えている。
保守派メディアの中にはトランプ氏が訴追されれば、より支持率は増えると「予測」する向きもあるが、いくら支持率が上がってもそれで無罪を勝ち取ることにはつながらない。
(Will Donald Trump take a mugshot if he’s indicted?)
話が前後するが、トランプ氏の予告どおりに3月21日に「逮捕」されなかったのは、20日、大陪審が新たな証人を招致したからだった。
この人物は、トランプ氏の個人弁護士、マイケル・コーエン元服役囚の弁護士だったボブ・コステロ氏。元ニューヨーク南部地区検事だ。
コーエン氏の「トランプの指示で選挙資金を流用して口止め料に充てた」という証言について今回、どのように証言したのか明らかになっていない。しかし、これで大陪審の判断が大きく変わるとは思えない。
これまでに大陪審が召喚した証人は、ダニエルズさんのほか、コーエン氏、トランプ氏の超側近だったケリーアン・コンウィ元大統領顧問、ホープ・ヒックス元広報担当大統領補佐官、「ナショナル・エンクワイア発行人のデイビッド・ペッカー氏らだった。
トランプを狙う2人の辣腕・黒人検察官
ところで大統領経験者に縄をかけるブラッグ検察官とはどのような人物か。
ニューヨークのハーレム生まれ育った49歳の黒人。ハーバード大学を優等で卒業後、同大学法科大学院に進む。法務博士を取得し、米連邦ニューヨーク地区検察官の下で働いた。
その後、ニューヨーク州司法長官の補佐官として働いたのち、ニューヨーク市議会の犯罪捜査部門の主任担当官に。2009年、連邦司法次官(ニューヨーク州南部地区)に任命された。
2017年には、ニューヨーク州司法副長官となり、ドナルド・トランプ財団の不正行為、ハリウッドの大物プロデューサー、ハービー・ワインスタイン氏のセクハラ容疑を徹底追及した。
一時期、ニューヨーク大学法科大学院の教鞭に立ったこともある。
2021年、勇退するサイラス・バンス・ニューヨーク州第37地区検察官選挙に立候補し当選。黒人として初の同地区検察官になった。
就任後の初仕事は、同地区検察局がそれまで行ってきたトランプ氏の企業経営記録改竄の告発を「十分な証拠不足」として不許可にしたこと。
この判断を不服として2人の担当検事が辞任した。
一部マスメディアはブラッグ氏を激しく批判したが、同氏は「完璧な物的証拠ない限り、公判では勝てない」と考えを変えなかった。
2022年9月、ブラッグ氏は、トランプ氏の「知恵袋」だったスティーブ・バノン元上級戦略官を公金流用(メキシコ国境地域の壁建設費流用)で告発、裁判所は懲役刑を下している。
その完璧主義者のブラッグ氏がトランプ氏の口止め料疑惑に目をつけたのは、2022年11月。そして今年1月30日、大陪審に「完璧な証拠資料」(ニューヨーク・タイムズ)を提出した。
トランプ氏の不正行為を告発したもう一人の黒人の検察官は、ジョージア州のファニ・ウィリス郡地区(州都アトランタを含むフルトン郡)検察官(51)だ。
カリフォルニア州イーグルウッド生まれ。父親は黒人過激派グループ、「ブウラック・パンサー」のメンバーで刑事担当弁護士。
ハワード大学を経てエモリ―法科大学院に進み、法務博士号を取得。フルトン郡地区検察官事務所に検事として16年間勤務したのち、2018年に同検察官選挙に出馬したが落選。
2020年、かっての上司を破って当選した。
これまで人気黒人ラッパー、ヤング・サグ氏が絡んでいた反社会犯罪組織を違法銃器・麻薬所持で告発したことでその名前が全米に知れ渡った。
ウィリス氏がトランプ氏の2020年大統領選挙での選挙法違反容疑の捜査を開始したのは21年2月。
トランプ氏自ら同州知事、司法長官、州務長官に電話を入れ、「バイデン候補に勝つに十分な票を捜し出せ」と強要したという容疑だ。
ウィリス氏は、同州上院議員、共和党全国委員会同州支部幹部ら約75人を召喚している。捜査は今年1月に終了、関係資料が大陪審の26人のメンバーに渡されている。
連邦1件、州2件、郡1件と訴追案件合計4件
最後に、複雑なトランプ氏に対する捜査案件について連邦、州、郡各レベルで整理しておきたい。
〇連邦レベル
(1)国家機密文書の持ち出し秘匿。
〇州レベル
(1)トランプ・オーガニゼーションの不正会計処理(資産価値水増し申告など)。
(2)大統領選挙の際の選挙資金裏工作。
ともにニューヨーク在住であれば、2年から5年で時効だったが、トランプ氏はワシントン、マイアミに在住しているため時効不成立。有罪となると同州での商業活動停止、不動産の売買禁止措置を受ける。
●ファニ・ウィリス・ジョージア州フルトン郡地区検察官が捜査中。
(1)大統領選の選挙違反行為の強要。
(2)反社会犯罪組織による有権者や選挙管理者に対する脅迫行為。
(3)大陪審におけるトランプ関係者による偽証。
〇郡レベル
●アルビン・ブラッグ・ニューヨーク州第37地区(マンハッタン)検察官が捜査中。
(1)2006年から07年にかけてトランプ氏が不倫関係を持ったストーミー・ダニエルズさんに対する口止め料の会計処理記録改竄容疑。
(2)口止め料を選挙資金から流用するようコーエン弁護士に指示、選挙資金管理法に違反した容疑。
司法省の捜査ストップはまだ生きている?
だが2016年の米大統領選挙キャンペーン開始の最終週に10年前の不倫疑惑をもみ消そうとしてポルノ女優に支払った口止め料は、13万ドル(約1700万円)。
庶民にとっては巨額のカネだが、億万長者のトランプ氏にとってはどうという額ではないはず。
それを「弁護士料」と記述したり、選挙資金から流用したりしたトランプ氏のリーガル・マインドには首をかしげる者が少なくない。
お陰で2016年の選挙でスキャンダルにもならずに大統領になれた(?)のかもしれないが、政治家が選挙資金に手を付け、私的に使うことには何ら抵抗がなかったことを示す一件がある。
任期が切れる直前、トランプ氏は大統領特権を行使して143件の恩赦をしているが、その中に選挙資金を流用して妻とともに贅沢三昧していた下院議員を恩赦している。
ダンカン・ハンター下院議員(共和、カリフォルニア州選出)で6年間の間に15万ドルを流用して有罪判決を受け、2021年1月から禁固刑11カ月で服役する寸前にトランプ恩赦で救われていた。
ニューヨーク大学法科大学院法律・安全保障・センターのサイト共同編集主幹、イアン・グッドマン氏は、トランプ氏の口止め料支払い案件についてこう指摘している。
「たかが不倫相手に対する口止め料事件をマンハッタン地区検察官が追及する案件を軽視する向きがあるが、それは間違いだ」
「そのカネは国民が寄付した選挙資金から出されていたこと自体、民主主義の根幹に触れる」
「この訴追はそれ自体、不倫絡みの不謹慎な事案に過ぎないが、これに続くいくつもの訴追案件の先駆けになる重要な訴追案件だ」
「トランプ氏の弁護士、コーエン氏はトランプ氏の命令を受けてやったと証言、有罪判決を受け服役した。この発言は法廷で認められた」
「その事実がトランプ氏に適用されるのは法の摂理だ」
「ブラッグ氏はこの事実を当初から受け入れるべきだったが、ウイリアム・バー司法長官がトランプ氏に対する捜査は中止せよと命じたために行われなかった」
「司法省での前司法長官(当時)からの引継ぎがあるからか、バイデン政権下でも司法省によるトランプ訴追はいまだ行われていない」
「これについてメリック・ガーランド司法長官は公の場で説明はしていない」
州権を守る立場からよその州の検察官の動向に対する直接の批判は避けつつ、こう述べている。
(トランプ氏が訴追されれば、大統領キャンペーンは大きく制約される。裏を返せば、デサンティス氏にとって、共和党候補指名レースは有利になってくる)
「連日のように判事が起こっているのを無視して昔のポルノ女優への口止め料事件をことさら取り上げるのは、政治的動機からくる捜査であり、検察局を武器化した好例だ」
トランプ訴追を軸に米政治の歯車は軋みながら新たな局面を迎える。
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