「もっと相手の気持ちを考えてあげていたら……」「もっと場の空気を読めていれば……」他者を理解しようとする時、人は必ず想像力を使っている。人間関係を円滑にするための「対人想像力」とは何か? 明治大学文学部教授の齋藤孝先生が解説する。
(本記事は齋藤孝著『もっと想像力を使いなさい』より、抜粋したものです)

◆他者への配慮が求められる時代

 現代は、ハラスメント(harassment=迷惑をかける、嫌がらせをすること)や、コンプライアンス(compliance=法令遵守)という問題が常にあります。昭和の時代でしたら傍若無人に振る舞っても許されたようなことでも、今の時代には、「これを言ったらこの人が こう傷つくだろう、だからやめておこう」という配慮が求められる時代です。例えば、一昔前まではスポーツの監督やコーチが勝利のために選手たちを叱咤激励し、時には「愛のムチ」で活を入れながら猛練習をさせるのは当たり前でした。勝つためには鉄拳制裁でさえ正当化されていました。勝てば監督やコーチは名将とされ、猛練習やシゴキも美談とされました。

 しかし、今は体罰などはもってのほか、叱咤激励も言い方に十分気をつけなければ、選手や保護者からクレームがつけられかねません。

 また、ある市では、市長がその政策については市民から一定の評価を得ながらも、部下への暴言が暴露されてネット記事やSNSなどであっと言う間に拡散して炎上し、辞任に追い込まれたことがありました。

 こうしたパワハラ(パワーハラスメント=自らの権力や立場を利用した嫌がらせ)や、セクハラ(セクシャルハラスメント=性的嫌がらせ)に関する問題は、昔では当たり前のこととされ、誰も問題にせず、被害者は泣き寝入りするしかありませんでした。

 ですが、社会は進化しています。1980年代セクハラ2000年代パワハラという概念が提唱されて、問題視されるようになったのです。

 今では、モラハラ(モラルハラスメント)やマタハラ(マタニティーハラスメント)など、「◯◯ハラスメント」という言葉はさらに増えました。たとえ自分では良かれと思ってやった言動でも、相手に不快感を抱かせればハラスメントになってしまう、そういう時代に私たちは生きています。

 もう昔とは違います。企業もハラスメントへの適正な対応が求められています。社会規範に反することなく、公正・公平に業務を進めていかなければなりません。だから私たちは、事前に周りの状況や相手に対して十分に配慮して、「このようなことを言ったら、このようなことをしたら、相手に嫌な思いをさせるかもしれない」といった気遣いを、これまで以上にしなくてはならないのです。

◆昔風のリーダーシップは「パワハラ」認定

 その一方で、別の「小さな声」も聞こえてきます。それは、「どんな指示を出すのもパワハラのように思えてくる」という上司の嘆きです。会社では上司として、部下に仕事の指示をしなければいけません。時には注意、叱責することもあります。ですが、「パワハラだ」と言われることを恐れて、何も言えなくなってしまうというのです。

 今時の上司は大変です。昔でしたら、「おまえら、これやっとけ」と指示して済んでいたことでも、今はそのような昔風のリーダーシップは、「パワハラ」と言われる可能性があるわけです。そして、そのような上司を野放しにしている企業は「ブラック企業」と呼ばれて、社会からの糾弾を受けてしまいます。

 社員が「嫌だ、嫌だ」とその仕事を完全に嫌がってノイローゼ気味なのにもかかわらず、「仕事を何だと思っているんだ」「医者に行くのは、おまえに怠け心があるからだ」とか、「それは、うつ病なんかじゃなくて、やる気の問題だろ」「とりあえず会社に来て働くんだよ」などということを言う上司は、以前はたくさんいました。こういう上司に追い込まれて、 精神を病んだり、過労のために自殺してしまうケースもありました。

 これからの時代は、そのような上司はどこの業界でも一斉に絶滅危惧種になっていくでしょう。もう生き残ることはできません。

 なぜなら、会社にとっては、そういう人こそが最大のリスクになるからです。社員が自殺をしてしまったら、社会的に徹底的に叩かれます。飲食店などで、「あのお店はブラック企業だ」という噂を立てられたら、SNSで情報が拡散されて批判が殺到するでしょう。

 昔でしたら、こうした問題を社内で隠蔽することもできたでしょう。けれども、現代ではもうできません。SNS全盛の時代ですし、しかも、スマートフォンを使って録画・録音などが容易にできます。肉声が録音されていたりしたら、一発退場ものです。SNS上で動かぬ証拠として、音声と共に見ず知らずの人たちにどんどん拡散されていくからです。

◆相手が「セクハラだ」と感じればセクハラになる

 セクハラも同様です。当人が普通に会話をしていたつもりでも、もし相手に、「セクハラだと感じました」と言われたらセクハラになってしまうことがあるのです。ある女性社員とはごく普通の会話として成立していても、別の女性社員にとってはセクハラだと思われてしまうかもしれません。

 私も以前は学生の飲み会に誘われて参加していましたが、コロナ禍前くらいから機会がだんだん減っていったような気がします。もちろん忙しかったりいろいろと理由はあるのですが、ハラスメントリスクがあるというのも一因です。よく知っている間柄同士でも危険性があるのに、あまり知らない人たちが集まる飲み会ならば、それ以上に注意が必要です。

 授業中はもちろんですが、大学ではハラスメントを疑われる可能性のある言動は絶対にしません。けれども飲み会というのは和気あいあいとしていて、場の空気を和ませるためにお互いに軽口を叩き合ったりするものです。「で、どうなの? みんな彼氏とか彼女とかいるの?」くらいの会話は問題ないようにも思えます。しかし、聞かれた学生に、「絶対に触れられたくないところに触れられた」 「傷ついてトラウマになり、先生の授業には出られなくなった」などと言われてハラスメントになるかもしれません。そういうことを想像すると、危なくてもう自分から恋愛の話はできません。

 近年では、とりわけ女性に対する差別発言が許されない時代になっています。「男女を区別する」ということ自体がすでに差別と指摘されることもあります。「女性が多い」「女性ならば」「男性ならば」といった言い方自体が問題になることもあります。

 私たちはパワハラセクハラと思われる言動を避けるために、まずは、「こうした言動はパワハラセクハラと思われるかもしれない」ということに気づく必要があります。そのためには、これを言ったら、これをしたら、「相手はどう思うだろうか」と想像力を働かせて、された相手がどういう反応をするか、事前に想定した上で、発言したり、行動したりしなければならないのです。

◆対人関係がうまくいかない原因

 対人関係がうまくいかない原因はいろいろあると思います。相手もあることですので、一般的には「ウマが合わない」「性格の不一致」「生活のすれ違い」などの言葉で片づけられてしまいがちです。

 ただ、そうした言葉が対人関係がうまくいかない原因を的確に言い表しているかというと、どうもそうではないように思えます。

 もう一段階、深掘りして考えてみると、それは相手への理解が足りなかっただけなのかもしれません。

 では、そうした相手への理解の不足はどうして起こったのかと考えると、想像力が足りなかったことが主な原因であると考えられます。「もし自分が相手の立場であったならば」 とか、「こういうことを言われたら相手は嫌がるだろうな」ということが分からない人というのは、やはり想像力が足りないと言わざるを得ません。

『論語』の中に、「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」という言葉があります。

 これは、「ただ一つの言葉で一生かけて行う価値のあるものはありますか」と、弟子から質問された時の孔子の返答です。孔子はまず、それは「恕」であると答えます。恕というのは、思いやりのことです。そしてこの思いやりをより分かりやすく説いたのが、「己 の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」なのです。

 自分がされたくないことは、人にしてはならない。自分に湧き起こる嫌な感情を鏡にして、人の気持ちを想像し、行動しなさいと孔子は述べたわけです。孔子は、約2500年ほど前の人ですが、このことは今でも人間関係の基本だと思います。

 特定のビジネス分野では、人の気持ちを顧みずに突き進んでも成果を上げる人がいるかもしれません。俗に「人の痛みが分からない人」で、「サイコパス」的だと言われるような人です。医学的には「反社会性パーソナリティ障害(Antisocial Personality Disorder =ASPD)」と診断され、患者は個人的利益や快楽のために違法行為、欺瞞行為、搾取的行為、無謀な行為を行い、良心の呵責を感じないという特徴が挙げられます(「MSDマニュアル プロフェッショナルウェブサイト」)。

 そういう人は例外として、一般的には家庭や集団に属して社会生活を送る私たちにとって、他人の気持ちが分かる、相手の考えをきちんと理解できる方がいいのは言うまでもありません。

 また、この対人想像力は、現代のSNS全盛時代には必須の能力になります。現代のコミュニケーションは対面に限らず、SNSを通じたコミュニケーションも含まれます。SNS上での不用意な投稿が、大変な問題発言になり、炎上する時代です。

 自分の投稿が一般に公開されているということ、そして、それを目にした人がどう思うか、それらを想像できていない人には、炎上事件は起こり得ます。

 炎上事件を起こさないためには、そもそもSNSやらないか、やるのであれば想像力を用いて未然に防ぐしかありません。もしこうした投稿をしたら、こう受け取る人がいるかもしれない、そうしたらこういうクレームが来るのではないか、と想像力を働かせて、数手先を読むのです。

◆とにかくまずは想像してみる

 想像力を身につける第一歩は、「とにかくまずは想像してみる」ということです。

 ブルース・リーは映画『燃えよドラゴン』で、“Don’t think, feel.” すなわち「考えるな、 感じろ」と言っていました。これをもじって私は、“Don’t think, imagine.”「考えるな、想像しろ」とみなさんに伝えたいのです。

 私はテレビ番組でコメンテーターとして出演させてもらうことがあります。そこでは、提示されたテーマに対して、瞬間的にコメントをしなければなりません。

 この時に私は、そのテーマに関わるできる限りすべての人を想像することを心がけています。このコメントを言った時に、「ある人にはいいとしても、別の人の気持ちからするとどうだろうか」ということを瞬時に配慮して、コメントをするのです。対人想像力をフル活用して、いろいろなところに配慮した上で適切なことを言う、というプロセスを瞬間的にやり続けなければなりません。

 もちろん私も、初めから対人想像力が身についていたわけではありません。振り返ってみると、高校生の時に、なぜあんなことを言ってしまったのだろうかといった失敗があります。もう一度、高校1年生に戻って、そこだけやり直したいと思うくらいです。今思うとそれは、相手のことを想像する力がなかったが故に引き起こしたものでした。今では決して言わないようなことですが、高校生の当時は言ってしまっていました。

 ただし、そうした失敗があったからこそ、想像力というものを真剣に考えて、能力として向上させようと取り組んできたわけです。後天的な技術として想像力を意識し、トライ&エラーを積み重ねることで、失敗することが目に見えて減ってきました。

写真はイメージです