「人生100年時代」といわれ、少子高齢化が進むなか、老後資金について不安を感じている人は多いのではないでしょうか。本記事では、第一生命経済研究所主席研究員で年金・老後資金準備に詳しい谷内陽一氏が、著書『WPP シン・年金受給戦略』(中央経済社)から、老後資金の中心とも呼べる「年金」を軸に、老後資金を途切れさせることなく生活していくための「WPP(継投型)モデル」について解説します。

老後生活費の実態 〜いわゆる「老後2,000万円」の虚実

金融庁が2019年6月3日に公表した金融審議会/市場ワーキング・グループ報告書『高齢社会における資産形成・管理』は、報告書本文16ページにある「収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、20年で約1,300万円、30年で約2,000万円の取崩しが必要になる」という記載が、マスメディアの報道で「公的年金だけでは老後に2,000万円不足する」と曲解されて報じられたため、大きな騒動になりました。

「2,000万円」の根拠とは

そもそもこの「2,000万円」という数値は、総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)」における2017年の高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上・妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)の家計収支を根拠としています([図表1])。

つまり、「公的年金だけでは老後に2,000万円不足する」という主張は、月5.5万円の赤字を30年間永続的に垂れ流すという非現実的な前提に基づくものなのです。

しかも、同報告書の16ページ(問題箇所のすぐ上)には、「65歳時点おける金融資産の平均保有状況は夫婦世帯で2,252万円」と記載されています。

つまり、現在の高齢者世帯は平均で2,000万円以上の資産をすでに保有しており、収入を上回る支出が可能というのが実態です。

「2,000万円」は年によって変動する

また、2,000万円という金額は、2017年時点のもので、この金額は決して一定不変のものではありません。過去の推移をみると、30年間の赤字額の累積は55万円から2,200万円超の幅でぶれている様子がうかがえます([図表2])。

とりわけ、2020年は赤字額の累積が55万円(=1,541円×12か月×30年)と急減しましたが、これは、新型コロナウイルス感染症の蔓延が背景にあります。特別定額給付金により実収入が増加した一方、旅行や外食の自粛等により実支出が減少したことが要因です。

なお、最新(2021年)の統計では、30年分の赤字額の累積は約796万円(=22,106円×12か月×30年)と、2,000万円の約40%にまで減少しています。

もし金融庁の報告書が2022年に公開されていたら、「老後2,000万円問題」ではなく「老後800万円問題」と報道されていたかもしれません。

個人的には、2,000万円というほどほどの大きさで、かつキリの良い数字だったからこそセンセーショナルな報道になったと考えます。

このように、「老後2,000万円」という数値は、非現実的な前提を置いて推計されたうえに、集計年次によって大きく変動する、唯一絶対の基準とは到底言えない代物です。

にもかかわらず、2,000万円という推計値を絶対視して、さも全国民の老後資金が2,000万円不足しているかのごとき主張がなされるのは、およそ本質をわきまえない的外れな見解だと言わざるを得ません。

老後生活費の実際のところ

前述の家計調査(家計収支編)では、老後生活費というと、高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上・妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)または高齢単身無職世帯(60歳以上の単身無職世帯)の動向ばかりが取り上げられ、これらの「平均値」がひとり歩きする傾向にあります。

しかし同調査では、高齢者世帯について年齢階級別(無職世帯:60歳から85歳以上まで6段階、勤労者世帯:60歳から70歳以上まで3段階)の動向も調査・集計しています。

無職の高齢者世帯の家計収支を年代別にみると、赤字額は年を取るとともに縮小する傾向にあります([図表3])。

これは、実収入は年齢によってさほど差は生じないものの、実支出は加齢とともに食費・交通費・非消費支出(直接税社会保険料など)が少なくなる傾向にあるためです。

[図表3]の数値を用いて65歳以降の30年分の家計収支を推計すると、79歳時点(15年分)では約425万円の赤字(=▲30,726円×12か月×5年+▲25,131円×12カ月×5年+▲14,915円×12か月×5年)ですが、80歳以降は家計収支が黒字に転じるため、84歳時点(20年分)では約397万円の赤字に縮小し、さらに99歳時点(30年分)では約88万円の黒字になります。

さらに、勤労高齢者世帯(2人以上の世帯)の家計収支の状況を年代別にみると、どの年代においても家計収支は黒字を保っています([図表4])。

つまり、家計収支が赤字になるのを避けたいのであれば、働けるうちは働いて勤め先収入(給与等)を確保することが有効であることがわかります。

このように、高齢者世帯の老後生活費および家計収支の状況は、年齢や就労状況によって大きく変わるほか、個々の世帯の置かれた状況(生活習慣、住宅の有無等)にも左右されるため、唯一絶対の正解はありません。

にもかかわらず、統計上の平均値(あるいは都合の良い数値)を持ち出して赤字あるいは不足額の存在を強調・演出し、老後不安や老後破産を煽るメディア報道や金融商品の広告は後を絶ちません。

統計上の平均値だけで判断することは、一定の目安にはなるものの、その結果を過信することには慎重であるべきです。

谷内 陽一

第一生命保険株式会社・第一生命経済研究所

主席研究員

(※写真はイメージです/PIXTA)