宇宙はブラックホールに見つめられているのかもしれません。

米国のシカゴ大学(University of Chicag)で行われた研究によって、ブラックホールそのものに、量子世界の不思議な現象である「重ね合わせ」を破壊する効果がある可能性が示されました。

量子は「シュレーディンガーの猫」に代表されるような観測するまで状態が確定しない、複数の可能性の「重ね合わせ」状態となっています。

重ね合わせが破壊された量子は「どこにでもいる」状態から「ここにしかない」状態に変化し、人間の直感に反しない「現実的」な動きをとるようになります。

研究者たちは、宇宙がブラックホールを目のように使って、自分の内側を観測している可能性があると述べています。

宇宙に意識があるかはさておき、宇宙現象そのものが観測者の役割を果たすという考えは非常に先進的なものといえます。

しかし、重力の化け物であるブラックホールのどこに、小さな量子世界の様子を観察する仕組みがあったのでしょうか?

今回は前半部で量子世界の重ね合わせについて可能な限りわかりやすく説明し、次ページ以降でブラックホールの持つ観測者としての特性について紹介したいと思います。

研究内容の詳細は『arXiv』にて「Killing Horizons Decohere Quantum Superpositions(キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする)」のタイトルで公開されています。

目次

  • 量子世界の「重ね合わせ」は小難しい物理の話ではない
  • 観測の影響はブラックホールから脱出できるのか?
  • 宇宙はブラックホールの目で自分自身の内部を観察している

量子世界の「重ね合わせ」は小難しい物理の話ではない

量子世界の「重ね合わせ」は小難しい物理の話ではない
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

量子の世界では、私たち人間の直感に反する奇妙な「重ね合わせ」現象が多発しています。

重ね合わせが起こると「1つの量子が2つの穴を同時に通過する」という日常の常識から逸脱した現象が発生します。

人間の常識では、2つのスリット型の穴が開いた壁に、ペンキに浸したボールを打ち込み続ければ、スリットの向こうの壁には、無数のボール跡からなる2筋の着弾点ができるはずです。

ペンキのついたボールを2つ穴の開いた壁に投げ続けると、その向こうの壁には2筋の後が残ります
Credit:量子電磁工学研究室

しかし量子世界では1つの量子が左側を通る可能性と右側を通る可能性という2つの可能性が重なった状態で存在しており、さらにこれらが互いに干渉して、着弾した壁には複数のしま模様が形成されます。

量子の世界で同じことをやると2つの穴を同時に通り抜けて、向こうの壁にしま模様を作ります
Credit:量子電磁工学研究室

このような不思議な現象が起きる理由は、量子がはっきりとした実態を持つ粒子ではなく、存在確率の波となって世界を広がっていくものだからだと考えられています。

そしてこの不思議な性質は、さらに不思議なことに人に観測されることによって消えてしまうことも知られています。

検出器を用意して量子がどっちの穴を通ったか確認する「観測」を行うと、量子はあやふやな存在確率の波から明確な粒子としての振る舞いに移行し、1つの量子が1つの穴しか通らなくなってしまうのです。

物理学者たちはこの現象をしばしば、検出器による「観測」という行為が量子の可能性を収束させ、人間の直感に沿う形へ転換させたと表現します(これをコペンハーゲン解釈といいます)。

また他の物理学者たちはこの現象が並行世界が存在する証拠であり、右の穴を通った世界線と左の穴を通った世界線が分岐したためだと解釈します(これを多世界解釈といいます)。

人間の直感に反する実験結果を突き詰めていくと、まるで魔法の世界のような「可能性の収束」や「世界線の分岐」など、ワクワクする単語が次々に飛び出してきます。

こうなると量子力学から感じる意味不明さは、物理学の小難しさが原因ではなく、宇宙の神秘の一端に触れた結果であることがわかるでしょう。

ですがどちらにしても重ね合わせ現象が、観測によって破壊されてしまう傾向があるのは確かなようです。

そうなると「観測とは何なのか?」という疑問が湧いてきます。

観測の方法を変えれば、重ね合わせの破壊も別の結果を産むのでしょうか?

2018年に行われた研究では、検出器とその操作を行う人間(仮称:ボブおじさん)を数光年離れた場所に設置するという、極端な状況について検討が行われました。

ボブおじさんの観測が行われれば、重ね合わせが破壊され、1つの量子が1つの穴しか通らなくなります。

しかし実験が行われる場所はボブおじさんから数光年も離れており、ボブおじさんが観測をはじめるずっと前に、量子は穴を抜けてその先の壁に着弾してしまいます。

ボブおじさん恒星間旅行に行くの巻
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

ボブおじさんが実験の様子を観測できるのは、光速の限界のせいで、実験が終わった数年後だからです。

そのため実験が行われた当時は重ね合わせを破壊するような観測はまだ始まっていないため、壁に現れる跡は1つの量子が2つの穴を同時に通った証である「しま模様」になりそうです。

しかし量子力学のルールによれば、たとえ実験が終わった数年後であっても、ボブおじさんが観測に成功すれば、重ね合わせ状態が破壊されて1つの量子が1つの穴だけを通るようになるはずです。

ただその場合、ボブおじさんが観測した事実が5年前の量子の状態を変化させることになり、因果律の崩壊が起こってしまいます。

5年後にボブおじさんが観測しても、実験結果が変わるはずがない。しかし物理法則では変えられることになっており、パラドックスが発生します
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

このように観測条件を極端なものにすると、異なる2つの宇宙のルール「量子力学」と「因果律」をぶつけて、何が起こるかを確かめることが可能になります。

2018年に行われた研究はまさにそれを調べており、ボブおじさんよる重ね合わせの破壊力が厳密な計算により弾き出されました。

すると、ボブおじさんの観測による影響力は確かに実験が行われた過去にも及んでいたものの、その値は環境による影響よりも小さくなっており、パラドックスは起こり得ないことが示されました。

つまり「ボブおじさんによる観測の影響は時間を遡って存在するが、肝心の影響力が小さすぎて何も起きていない状態と一緒」というわけです。

タイムパラドックスを題材にした話題ではたびたび登場する結末と言えるでしょう。

しかし研究者たちの好奇心は、観測者「ボブおじさん」をさらなる過酷な場所に連れていきます。

その場所とは、ブラックホールの中でした。

なぜ研究者たちはそんな極端な状況を想定したのでしょうか?

観測の影響はブラックホールから脱出できるのか?

ボブおじさん、ブラックホール突入体験をするの巻
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

なぜ観測者「ボブおじさん」はブラックホールの中に入る必要があったのか?

その答えはやはり、パラドックスを起こさせるためでした。

ブラックホールには「ここを超えたらどんなものも戻れない」という事象の地平面が存在しています。

またこれまでの研究によって、この「どんなもの」の中には情報も含まれていることがわかっています。

そのため1つの量子に2つの穴を通らせる実験をブラックホールの中にいる「ボブおじさん」が観測した場合、ボブおじさんが観測したという情報もブラックホールから抜け出ることができません。

そして観測した情報がブラックホールの中に閉じ込められていれば、実験に対して影響力を与えることはできません。

一方で量子力学のルールでは観測したという事実さえ存在すれば、量子の重ね合わせを破壊する効果を発揮し実験システムに影響を与えることができるはずです。

そうなると「観測したのに重ね合わせを破壊できない」というパラドックスが発生します。

このパラドックスを解消するために研究者たちは再び計算を行いました。

すると理論的には、ブラックホール外縁の事象の地平面そのものに、重ね合わせを破壊する能力があることが判明します。

つまり、ブラックホール内部の観測者「ボブおじさん」はもともと必要がないため、最初からパラドックスは存在していませんでした。

ボブおじさん、突入に特に意味のなかったことを知るの巻
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

しかしそうなると気になるのが、いかなる仕組みで「事象の地平面」が(もう戻れない)ボブおじさんの代りに観測を代行していたかです。

(※アインシュタイン一般相対性理論によれば、ブラックホールに落ちていく人の目には、事象の地平線を超えるときにも、周囲の環境が突然変化したようにみえないと予測されています。一方近年では、ホーキング放射が起こる原理から、事象の地平線では物体が燃え尽きるような状態を起こす灼熱の壁「ファイアーウォール」が存在するとする説も提唱されています)

そこで研究者たちは2016年に発表された、今は亡き故スティーブン・ホーキング博士が残した論文に着目しました。

宇宙はブラックホールの目で自分自身の内部を観察している

ブラックホールは宇宙の目のような機能を持っている?
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

2016年にスティーブン・ホーキング博士らが発表した論文では、ブラックホールに落ちてしまった「情報」について述べられています。

物理法則ではエネルギー保存則のように、情報も保存されると考えられており、たとえブラックホールに落ちてしまった情報も失われないとされています。

しかしホーキング博士自身が過去に提唱した理論により、ブラックホールは時間経過とともにエネルギーを失って消滅してしまうことがわかっています。

そうなればブラックホール内部の情報も失われてしまうことになり、情報が保存されるとする物理法則に反します。

そこでホーキング博士らは2016年に、物体はブラックホールに落ちてしまう前に、ブラックホールの淵である「事象の地平面」に情報を渡しているとする論文を発表しました。

この論文では事象の地平面にはソフト粒子と呼ばれる仮想粒子が存在しているとされており、ブラックホールに落ちようとしている物質は、このソフト粒子に情報の痕跡すはずだと主張されています。

また事象の地平面に存在する情報記録の仕組みは「ソフトヘア」あるいは「ブラックホールの毛」と呼ばれました。

今回の研究では、この事象の地平面の情報記録システム「ソフトヘア」の概念を流用して計算が行われました。

ブラックホールの外縁部にはソフトヘアと呼ばれる情報記録領域がある
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

すると「ソフトヘア」はブラックホールに落ちる物体だけでなく、ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しており「観測」が成立していたことが示されました。

重ね合わせ状態にある量子をソフトヘアが観察したことで、重ね合わせが破壊され、量子の場所が1カ所に決定されていたのです。

しかしブラックホールが発する重力の影響は無限大であり、音や電波のように伝達を遮断することもできません。

そのため研究者たちは「最終的に宇宙に存在する全ての重ね合わせが完全に破壊されることになる」と述べています。

また同様の観測は事象の地平面だけでなく、情報が一方にしか伝わらない環境ならばどこでも存在する可能性があるとのこと。

たとえば膨張する宇宙の淵や光速に近い速度で動いている観測者の背後(リンドラーの地平線)などが相当するようです。

そのため研究者たちは「これらの淵は、常に宇宙内部を観測している」と述べました。

ただこの印象に対してはさまざまな意見があるようです。

たとえばヴァンダービルド大学の理論物理学アレックス・ルプサスカ氏は「宇宙がブラックホールを目のように使用して、常に自分自身の内部を観測している」とする表現はやや言い過ぎだと述べています。

一方、ローレンス・バークレー国立研究所の理論物理学者ダニエル・カーニー氏は「詩的に言えば、そのように考えることもできる」と肯定的な意見を述べました。

どちらの意見が正しいかは、現在のところ不明です。

しかしブラックホールの周りで量子実験を行うという魅力的な舞台設定からは今後も、多くの思考実験が行われることになるでしょう。

もし小さな世界を描く量子力学と大きな物体の動きを支配する重力が1つの方程式にまとめられるようになれば、万物の法則に大きく迫ることにもなるはずです。

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参考文献

Extreme Horizons in Space Could Lure Quantum States Into Reality https://www.sciencealert.com/extreme-horizons-in-space-could-lure-quantum-states-into-reality Black Holes Will Eventually Destroy All Quantum States, Researchers Argue https://www.quantamagazine.org/black-holes-will-destroy-all-quantum-states-researchers-argue-20230307/

元論文

Killing Horizons Decohere Quantum Superpositions https://arxiv.org/abs/2301.00026
ブラックホールは量子的「重ね合わせ」を破壊する世界の観測者だった