
高齢社会の進展を背景に近年首都圏に増えているのが、裕福な高齢者を対象とした高級老人ホームだ。自立が難しくなった時に備え介護棟を併設する施設も多い。80歳時点の入居でも入居一時金として数千万円がかかるケースが一般的だが、大枚をはたいたにもかかわらず「看取りまでお任せ」が叶わない場合もある。90代の母親を23区内の施設に入居させた男性の実体験から、こうした施設の現実と思わぬ落とし穴を考えてみたい。
「安心、健やかなシニアライフを満喫」とアピール
高級ホテルを思わせる広々としたエントランスホール。そこには輸入物のテーブルやソファが置かれ、高い天井では豪華なシャンデリアがまばゆい輝きを放つ。イベントスペースには四季折々の飾りつけが施され、コンサートや講演会などが頻繁に催されている。フロントにはシックな制服に身を包んだコンシェルジュが待機し入居者のサポートに当たる——。
「365日24時間看護師が常駐していて安心して健やかなシニアライフを満喫できる」
「自立が困難になったら併設する介護棟に移って手厚い介護が受けられる」
自立したシニアが暮らす居室も最新の分譲マンションのよう。専有面積はワンルーム40m2弱から2LDK60m2強まで、シニアのひとり暮らしや夫婦2人なら程よい広さと言えるだろう。
日々の食事はホテルのメインダイニングのようなレストランで、高齢者の健康や味覚に配慮したメニューが朝・昼・晩と供される。節句や七夕、クリスマス、正月といったイベントには、特別メニューも用意されるという。
最寄り駅までは毎日数本の送迎バスが運行されており、近隣の人気スポットに出かけてランチや買い物を楽しむ入居者も多い。
入居者は“上級国民”ばかり
まさに憧れのシニアライフを体現した格好の施設だ。都内の人気エリアということもあり、入居者は相応の費用負担が必要になる。
居室の広さにもよるが、80歳入居で一時金が3000万円以上(別途月額利用料)、月払いにするのであれば支払いはおよそ40万円以上に上る。60歳入居なら、一時金だけで億を超える。
結果的に入居者は上場企業の役員経験者や医師、士業のエリートなど、いわゆる“上級国民”ばかりだ。
都内に住む男性Aさんの90代になる母親がこの施設に引っ越したのは、6年ほど前。夫(Aさんの父親)が亡くなった年のことだった。
Aさんの両親は共働きの公務員で暮らしぶりも質素だったため、父親の遺産は1億円近かった。母親にも同程度の資産がある。
Aさんは自宅マンションから2駅ほど離れた閑静な住宅地にこの施設がオープンすることを知り、母親を伴って何度か見学に足を運んだ上で正式に入居を決定した。
「見守りや健康面でのサポート体制と最期まで面倒を見てくれる安心感、そして運営が有名な大手不動産会社のグループ企業であることが決め手になった」
コロナ禍で様相が一変
入居者は単身女性が圧倒的に多く、東京の下町育ちの母親は当初「山の手の奥様方」との付き合いに戸惑っていたという。
それでも、生来の社交性を発揮するうちに親しい仲間ができ、施設での生活を楽しむようになった。Aさんが施設を訪れるたびに、施設であった出来事を面白おかしく話してくれたという。
施設内には当初、遠方から訪れた家族が安価で宿泊できるゲストルームがあったのだが、急遽、居室に改装されることになった。それだけ入居希望者が多かったためだ。
大浴場もあり、母親は毎日入りに行くのを楽しみにしていたのだが、認知機能が低下した入居者が洗い場や浴槽内で粗相をしてしまう事件が頻発し、大浴場通いを止めることにしたそうだ。
はじめの2~3年はそんな他愛もない話題が多かったのだが、コロナ禍に入って様相が一変する。
母親が楽しみにしていた習い事の教室やイベントは次々中止となった。それ以上に「親しいお友達がいなくなったのがつらい」とこぼしはじめた。
ある日突然いなくなる「都落ち」
よくよく聞いてみると、コロナ禍の影響で家業が傾いたり、子供が大幅減収になったりして月払いの利用料が払えなくなり、やむなく他の施設に移っていったのだという。
入居者仲間ではそれを「都落ち」と呼んでいた。
「都落ちする人は本当に、ある日突然いなくなるの。気位の高い人ばかりだから、人にあれこれ言われたくないんでしょうね」と母親は寂しそうに話してくれた。
とはいうものの、当人は内緒にしたくても、この手の話が瞬く間に広がってしまうのがこうした施設の常だ。母親が最もショックだったのは、特に親しかった女性が都落ちした時だという。
そして昨冬、今度はAさんの母親がとんでもない理不尽な事態に遭遇することになった。
母親は以前、腸の病気を患ったことがあり、気をつけていたのだが、突然腸閉塞と腎不全を併発してしまう。一時は生命も危ぶまれるような状態に陥ったが、緊急搬送された大病院で応急処置を受け、一命を取り留める。
その際、栄養の吸収状態が悪いからと医師の勧めで高カロリー輸液を投与するためにCVポート(皮下埋め込み型中心静脈アクセスポート)を装着することになった。
「さっさと出て行ってくれということですよ」
幸い母親の体調は順調に回復へと向かったが、退院が視野に入ってきたある日、Aさんに施設から電話がかかってきた。電話の主は施設の看護師だった。
「当施設の規定でCVポートを装着した方は受け入れられません」
突然の通告に驚き、施設に説明を求めたが、数日後、面会した施設長から入居一時金の返還額が書かれた書類が一枚渡されただけだった。
「要は、さっさと出て行ってくれということですよ。でも、おかしくないですか? 最期まで面倒を見るといっておきながら施設の規定でできないというのなら、代替施設くらい紹介してくれてもいいじゃないですか。そもそも、病院は施設のすぐ近くなのに、施設の看護師は一度として病院に足を運んだ様子がない。病院からの退院の打診の電話を受けて、慌てて僕に連絡してきたようなんです」
この申し出には病院側も驚いたようだ。困惑するAさんに担当看護師やケースワーカーが親身になって相談に乗ってくれて、幸運にも2週間後、母親は近隣の別の介護施設に移ることができた。
何軒かの施設を下見する中で、Aさんは気になる話を聞いた。
大手不動産系は「ハコが立派」とされるが
「大手不動産さん系の施設はハコ(建物や設備)が立派ですから、都会生活に慣れ親しんだ元気な高齢者が暮らすにはいいでしょう。半面、専門外の介護については正直あまりノウハウがないようです」
「あそこの介護棟も最初はCVポートの患者さんを受け入れていたはずですが、輸液量や滴下時間の管理に加え合併症対策にも注意が必要になるCVポートは無理だと判断するようになったんじゃなかったかな」
最初はCVポートの患者を受け入れていた?
この一言に引っかかりを覚えた男性が入居時の契約書を引っ張り出して確認したところ、確かにCVポートの装着は除外事項となっていなかった。
不審に思った男性が施設に問い合わせたところ、電話に出た看護師は「確かに以前は受け入れていましたが、今はダメなんです」と繰り返すばかり。
「お宅が無理なら、代わりの施設を探す手伝いくらいはしてくれてもいいんじゃないですか」と嫌味を言うと、後日、申し訳程度に数軒の施設名を挙げてきたという。
新しい施設に移った母親は、前の施設で親しくしていた仲間に別れも告げずに転居したことを気にしていた。身動きの取れない母親の代わりに挨拶に向かった先で、Aさんはさらに衝撃的な話を耳にする。
「あそこでは絶対に死にたくない」
もともと夫婦で入居していたその女性は2年ほど前に施設で夫を亡くしていた。医療従事者だった夫は介護棟での対応を嘆き、「あそこでは絶対に死にたくない」と女性の過ごす居室に戻って息を引き取ったという。
人手不足のためか、マニュアルやサポート体制が不十分なためか、原因ははっきりわからないが、結果として、要介護者が望むようなサービスは提供できていなかったようだ。
女性の夫のような医療従事者なら、なおさらその“質”が気になったことだろう。ましてや、そこは年金程度の金額で入れる特別養護老人ホームではない。70代で入居したとすれば、夫だけでも数千万円単位のお金を施設に落としているはずだ。
「だから、あなたのお母様は今出ていって正解だったかもしれないわよ」
そんな女性の言葉に、Aさんは何とも言えない気持ちになったという。
これは決して対岸の火事ではない。
都市部の介護人手不足は深刻さを増す
近年、都内や首都圏の再開発エリアなどに、こうした高所得者層向け高級老人ホームが林立している。
多くは前述のような「ターミナルケアまで対応するから安心」を売りにしているが、巨額の入居金を負担すれば最期まで手厚い介護が受けられると考えるのは早計かもしれない。
介護業界の人材難が叫ばれて久しいが、医療業界と異なり、より人手不足が深刻なのは地方よりもむしろ都市部の方だ。
厚生労働省の資料によると、ホームヘルパーや介護支援専門員、介護福祉士など、介護関係の職種の有効求人倍率は、多くの都道府県が4倍以内に収まる中で、東京(6.97倍)や愛知(6.49倍)の数値が突出している。
背景には、地方ではすでに高齢化が進行したのに対し、人口の集中する都市部はむしろこれから本格化していくことが指摘されている。
2025年には、日本の人口の8%弱を占める団塊の世代(1947~1949年生まれ)が全員後期高齢者(75歳以上)に移行する。そこから、高齢者人口がピークを迎える2040年頃までは都市部で介護難民が頻出する可能性がある。
自宅の近くで親を看取りたいと考えるなら、あるいは、自身が高齢になっても生活利便性の高い都市部を離れたくないのなら、施設任せにせず「我が家の介護プラン」も練っておく必要がありそうだ。
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