ギネス認定も受けた世界最小の有人ジェット機、ビーディー「BD-5J」。同機は販売後にメーカーが倒産したため、部品供給やアフターサービスに問題を抱える機体となりました。それでも全米に愛好家がいる稀有な機体でもあるようです。

原型はプロペラ駆動のDIY飛行機

世界最小のジェット機としてギネス認定されている飛行機が、ビーディー「BD-5J」です。捉え方によっては、巡航ミサイルジェットエンジンを搭載しているため、航空機の仲間と言えなくもないですが、その巡航ミサイルよりも小さな有人航空機と言えるのが同機です。

「BD-5J」のサイズは全長4.13m、全幅5.2m、総重量435kgしかないものの、搭載する出力100kgのマイクロターボジェットTRS18エンジンにより最大速度は480km/hにも達します。

見た目きわめてインパクトの強い飛行機であるため、1983年公開の映画『007オクトパシー』でロジャームーア演じる「ジェームズ・ボンド」が操縦したり、東芝製ビデオデッキ「ビュースター」のTVCMにおいて編隊飛行シーンで登場したりしていたので、それらで記憶に残っている人も多いのではないかと思います。

同機は、小型機デザイナーとして有名なジム・ビーディーの設計によるもので、原型「BD-5」は小型プロペラ機でした。原型機が初飛行した1971年以来すでに半世紀が経ちますが、良い面でも悪い面でも小型航空機の歴史に残る1機であることは間違いありません。

そもそも「BD-5」は、安価に入手できて気軽に飛行できる魅力的なスタイルの一人乗り小型機として1970年ごろに設計されました。ジェット戦闘機のような大型キャノピーを備えたコックピットの背後にエンジンとプロペラを配置した、いわゆる「プッシャー形式」と呼ばれる形態で、主翼はグライダーのように取り外しが可能でした。

主翼を外した状態ならトレーラーに載せることができるため、飛行場から自宅へ牽引して運ぶことも可能です。このため自宅のガレージに格納できる「マイ飛行機」として宣伝されました。プロペラ推進の「BD-5」は出力40馬力の小型エンジンを搭載して時速200マイル(320km/h)で巡航可能といわれ、斬新なスタイルなどと相まって一躍、人気を集めます。

本格販売前に約1万7000機の予約を受注

ビーディーはこの機体をキット形式のホームビルト機としてだけでなく、FAA(アメリカ連邦航空局)の型式認定を取得することで完成機としても販売する計画を立てます。こうして生まれた「BD-5マイクロ」と命名された原型機は1971年に初飛行しましたが、飛行性能は発表値に及びませんでした。

原因を探ると、機体の抵抗が計算値よりも大きかったことが判明します。原型機は明らかにパワー不足で、ビーディーは十分な出力を得られるエンジンを物色しました。いろいろなエンジンが検討された結果、選定されたのは、ともに出力70馬力のドイツ・ハース社製もしくは日本ゼノア社製のエンジンでした。

これら代替エンジンの飛行テストが行われていた最中、ビーディーはモーターグライダーブースターに使われている小型ジェットエンジンをBD-5に搭載することを思いつきます。これがジェット機「BD-5J」として完成、1973年に初飛行に成功しました。

のちに「BD-5J」は世界最小のジェット機としてギネス認定もされ、1980年代から90年代にかけてアメリカの大手ビールメーカーのキャンペーン飛行機にも起用されると、全米各地の航空ショーでデモフライトを披露するまでに至ります。

こうして、映画やCM出演に続き航空ショーにまで出るようになった「BD-5」でしたが、そうした華やかな活躍とは裏腹に自家用小型機としては多くの問題を抱えていました。

そのひとつが最適なエンジン選定の遅れです。ただ、前出のような派手な露出、そして斬新な形状と手ごろな価格は多くの小型飛行機愛好家の興味をそそります。結果、「BD-5」は爆発的に売れ、ホームビルト機として5000機、完成機として1万2000機の注文を獲得したのです。

いまだに100機程度が登録済み

本来なら、ビーディーは顧客から集まった予約金を資材の購入や設備投資に充てるべきでしたが、資金はさらなる受注を狙っての広告費などに費やされました。その結果、ビーディー・エアクラフト社は資金不足に陥り倒産してしまいます。

すでに一部キットは発送されていたものの、部品の供給は途中で停止される事態に至りました。その影響で、一時は未完成の「BD-5」が全米各地の格納庫に放置されるほどでした。

加えて、同機はもうひとつの問題を抱えていました。それは、機体形状に由来する劣悪な飛行安定性です。極度に小型化を追求した結果、重心の許容範囲が極めて狭い機体になっていました。そのため、操縦が難しい機体であるといわれています。ゆえに多くの「BD-5」が飛び始めた頃は、事故も多発しました。

こうして見てみると、良く悪くも航空史に名を残す個性的な機種であることは間違いないでしょう。だからか、航空博物館に展示されている機体がいくつかあります。また、今でもおよそ100機が航空機として登録されており、飛行可能な状態で維持されている機体を航空ショーで目にすることも珍しくありません。

裏を返せば、多くの欠点を抱えた機体を完成させ、それをカバーできる操縦技量を維持し、初飛行から半世紀を過ぎてもなお、飛ばし続けるアメリカ人愛好家たちの姿に、並々ならぬ「BD-5」への愛情を感じます。

ちなみに、ここまで小型のため、最近ではアメリカ国防総省が巡航ミサイルをシミュレートするレーダー標的機として使用することも検討したとか。ビーディー「BD-5J」はある意味で、アメリカだからこそ生まれた飛行機だともいえるのかもしれません。

1983年、カリフォルニア州のミラマー海軍航空基地(当時)で撮影したビーディー「BD-5J」。ビール会社のカラーリングをまとっている(細谷泰正撮影)。