経済が停滞している場合、国が適切に「財政支出」をして対策を行うことは不可欠です。そこで問題となるのが「財源」です。国家は貨幣を「無」から創造できるので、必ずしも「税収」による制約を受ける必要はありません。ただし、ただ貨幣を生み出せば良いわけではありません。評論家の中野剛志氏が新刊著書『どうする財源——貨幣論で読み解く税と財政の仕組み』(祥伝社新書)より、あるべき財政支出のルールについて解説します。
近代資本主義を支える「機能的財政」とは何か
■「貨幣」を無尽蔵に創造できるようになったが…
資本主義以前の社会における領主は、自分で貨幣を生み出すことができないので、貨幣(つまり財源)を自分以外のところから取ってこなくてはなりません。ですから、前近代世界の領主は、財政の収入(税収)を計算しながら、支出する額を決める必要がありました。まさに、儒教の経典『礼記(らいき)』にある「入(い)るを量(はか)りて出(いず)るを為(な)す」を旨としなければならないのです。
これに対して、資本主義における近代政府は、中央銀行のおかげで、必要な貨幣を「無から」創造することができます。
資本主義における近代政府には、予算の制約も資金の制約もありません。
近代政府の支出を制約するのは、政府が動員するヒトやモノといった実物資源の賦存量(ふぞんりょう)です。
したがって、近代政府の財政支出は、税収の見込みではなく、実物資源の量の制約を基準にして、決定されるべきものです。
言い換えれば、近代政府の「財政規律」とは、財政収支の均衡ではなく、利用可能な実物資源の量の制約だということです。
では、実物資源の量の制約は、どのようにして計測するのでしょうか。
その指標のひとつとなるのは、インフレ率(物価上昇率)です。
たとえば、政府が道路や橋を建設しようとして、公共事業費を支出するとします。
しかし、コンクリートや鉄筋といった建設資材、あるいは建設労働者の量には限りがあります。
ですから、政府が道路や橋を造りすぎると、コンクリートや鉄筋の価格が上昇し、あるいは建設労働者の賃金が上昇します。
つまり、需要に供給が追いつかなくなるので物価が上昇し、インフレになるわけです。
もっとも、インフレ率が数%程度のマイルドなインフレであれば問題ありません。それどころか、良いことです。
マイルドなインフレとは、要するに、需要が供給をやや上回っている状態です。つまり、企業が製品やサービスの供給を増やせば売れるわけです。それは、景気が良いということです。
好景気、あるいは経済成長を実現するためには、需要がやや供給を上回るマイルドなインフレの状態である必要があると言えるでしょう。
しかし、インフレ率が2ケタや3ケタになってしまうと、さすがに問題です。それは、需要が大きすぎて、供給がとても間に合わない状態だからです。製品やサービスが供給できないのでは、どうしようもありません。国民は、単に物価の高騰で生活が苦しくなるだけです。
そこで、政府は、インフレ率が高くなりすぎないように、財政支出を制限する必要があります。
言い換えれば、財政支出の限度、いわゆる「財政規律」は、インフレ率によって決まっているということです。
■「機能的財政」では国民経済に与える影響が指標になる
このように、国家財政を、財政収支の均衡を基準にして運営するのではなく、インフレ率など、国民経済に与える影響を基準にして運営するという考え方を「機能的財政」と言います。
機能的財政を最初に提唱したのは、アバ・P・ラーナーという経済学者です。
ラーナーは、簡単に言うと、次のように論じました。
自ら貨幣(自国通貨)を創造できる政府は、予算の収支を均衡させる健全財政を目指す必要はない。
その代わりに、財政支出を増やすか減らすか、課税を軽くするか重くするか、国債を発行するかしないか、といった判断は、それらが国民経済に与える影響を基準にすべきである。
これが機能的財政です。
「健全財政」と「機能的財政」、2つの考え方
たとえば、健全財政では、財政赤字は常に悪いものとみなされています。
しかし、機能的財政では、財政支出を増やしたり減税したりして、景気が良くなり、失業が減るのであるならば、その結果、財政赤字になったとしても、その財政赤字は良いものなのです。
ただし、財政支出の増加や減税によって、景気が過熱し、需要が増えすぎて供給が追いつかなくなり、高インフレになって、国民は苦しむ結果となったとします。この場合、財政赤字は、高インフレを引き起こしたからという理由で、悪いもの、減らすべきものだと判定されるのです。
逆に言えば、健全財政では、財政黒字は常に良いもので、目指すべきものだとされています。しかし、機能的財政では、財政黒字を達成しても、その結果、不況になって失業が増えるようでは、その財政黒字は、悪いものとみなさなければなりません。
このように、財政赤字は絶対に悪、財政黒字は絶対に善なのではありません。
財政赤字(あるいは黒字)が国民を幸福にするなら善、不幸にするなら悪。
これが、機能的財政の基本的な考え方です。
財政支出は「高インフレになる前まで」
さて、政府は、財政支出をどこまで増やすことができるのか。財政赤字をどこまで拡大できるのか。
機能的財政によれば、それは「実物資源の利用可能量の限界まで」すなわち「高インフレになる前まで」ということになります。
つまり、財政支出の上限は、インフレ率で判断すべきだということです。
「政府債務/GDP」で判断すべきものではありません。
ましてや、日本政府のように、「プライマリーバランス」(税収・税外収入と、国債費[国債の元本返済や利子の支払いに充てられる費用]を除く歳出との収支のこと)の黒字化を目標にするなど、論外です。
ですから、財政支出は、高インフレになった場合には「大きすぎる」ということになります。逆に、低インフレやデフレである場合は、「政府債務/GDP」が何%になっていようが、「プライマリーバランス」がいくら赤字になっていようが、財政支出は「少なすぎる」ということになります。
さて、日本の「政府債務/GDP」は、これまでずっと膨らみ続け、2020年には256.2%にまでなりました。
ところで、その間、日本は、高インフレだったでしょうか?
いいえ、その逆に、過去20年以上にもわたってインフレどころか、ほぼデフレでした。
[図表1]をご覧ください。日本は、1998年度以降、ずっとデフレ、もしくはディスインフレ(物価が横ばいで推移し、上がらない状態)です。なお、1997年度、2014年度、2019年度にインフレ率が上がって見えますが、これは消費税率を引き上げたから、見かけ上、上がったにすぎません。実際、翌年度からすぐに下落しています。
さらに[図表2]をご覧ください。2020年度にはコロナ対策により、プライマリーバランスの赤字が前年度の約4倍にもなったのに、インフレ率は下がり、デフレになってしまいました。
要するに、日本の財政支出は、なお全然足りなかったということです。言い換えれば、利用可能なヒトやモノがあったのに、利用されずに放置されていたということです。
中野 剛志
評論家
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