シックス・センス』(99)のヒット以降、スリラーの分野をリードし続けているM.ナイト・シャマラン監督が、またもとんでもない怪作を放った!注目の新作『ノック 終末の訪問者』(公開中)は、黙示録を下敷きにして現代の不穏を描いた野心作だ。ポール・トンブレイの小説『終末の訪問者』をベースにしながら、意表を突いた展開で緊張感の渦へと観る者を巻き込んでいく。

【写真を見る】『ノック 終末の訪問者』のプレミアに家族でご来場!ゴージャスな妻と娘たちに囲まれるM.ナイト・シャマラン監督

森の中の小屋で休暇を楽しむゲイのカップル、アンドリュー(ベン・オルドリッジ)とエリック(ジョナサン・グロフ)、そして彼らの幼い養子の娘ウェン(クリステン・キュイ)。そこに正体不明の4人組が押し入ったことで、事態は一変する。彼らは、監禁したカップルと娘に“世界を終焉から救うために、誰かひとりが命を犠牲にしてほしい”と頼んできた。それがかなわなければ、人類は滅亡する、と。そして彼らの予告どおり、テレビのニュースは大地震と津波による被害、パンデミックの悪化が世界的な規模で次々と起こる。

家族として暮らしていたゲイの2人とその娘には、不条理としか言いようのない事態。しかし4人も本気で、この“ミッション”のために命を落とすこともいとわない。まさに、凄まじい極限状態。シャマランは緊迫感あふれる、この新作で、どこに向かおうとしたのか?全米公開直前の彼に話を聞いた。

■「デイヴ・バウティスタを絶対に偉大になる俳優の一人だと思った瞬間は、『ブレードランナー 2049』」

本作にはキリスト教的な思想が色濃く出ている。例えば、4人の訪問者は、災厄の予兆とされる“黙示録の四騎士”を連想させる。しかし、それはあくまでとっかかりにすぎない。シャマランが見ているのは、その先にある人間的なものだ。「僕は修道女がいるカトリック系の学校に10年間通いましたが、親はヒンドゥー教徒です。自分では、かなりスピリチュアルな人間かもしれないと思うけれど、特定の宗教に対する信仰心はない。宗教というものを、単にストーリーテリングの一種として受け止めている気がします。でも人間が想像したり、そうであってほしいと願ったりする神話には、とても興味があります。それがエイリアンでも、幽霊でも、キャラクターにとっては自分の願望成就の表われなのです」。

「聖書の要素を現実世界でなにに置き換えるのか?それを想像する作業は、とて楽しいことでした。例えば訪問者の4人は、幸福な家族にあのようなことを伝えるのには適してない、実に不適切な人選です。そこに、ぎこちないおかしさがある。興味深いのは、この映画の前提となっている部分。つまり、“神はいるかもしれないが、だとしたら我々人間は神の考えを誤解していないか?”ということですね。その神は、本作に登場する家族を、ただの普通の家族にしか思っていないかもしれないんです」。

その家族像についてユニークなのは、ゲイの夫婦と娘という設定だ。これは原作を踏まえたものである。アンドリュー役のジョナサン・グロフもエリック役のベン・オルドリッジも、ゲイであることを公言している俳優だ。「おもしろいことに、このプロットに対してこの家族3人が血のつながらない家族だということは、とても美しく、詩的な側面を与えてくれました。キャスティングに関しては実際にゲイである役者に演じてほしかったので、完璧な2人を配役できたのは幸運でした。個人的な話になりますが、僕のいちばん下の娘は養子です。なので、僕や妻が彼女に抱いている感情は、本作のアンドリューエリックに投影されています。劇中の回想シーンで登場した孤児院は、僕らが娘を迎えた場所をモデルにしていて、僕らはあの場面に登場したキリストの絵のような絵画を眺めながら、新しい娘が来るのを待っていました。アンドリューエリックが初めてウェンを抱くシーンの心情は僕らの心情でもある。そういう意味では、これは僕と妻の物語と言ってもいいと思います」。

この映画に出演している最も有名な俳優を挙げるとすれば、それはデイヴ・バウティスタだろう。WWEの人気プロレスラーとして活躍したあと、「ガーティアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのドラックス役で俳優としてもブレイク。陽性の役の多い、そんな彼が4人組のリーダー格の男として、暗い情熱を秘めたキャラクターを演じているのが興味深い。

「映画を観ていると、すごいことをやってのけている!という俳優を目にすることがあります。『ブギーナイツ』でフィリップシーモア・ホフマンを見た時、彼は絶対に偉大になる俳優の一人だと思いました。デイヴに関して、その瞬間は『ブレードランナー 2049』でしたね。セリフがほとんどないシーンがありましたが、身体を通してキャラクターの純粋な思考とそのプロセスを表現することができていて、なかなか到達できないレベルの演技だと思いました。同時に、人生のターニングポイントにある人間のような、どこか悟っている感じも受けましたね。その雰囲気が、今回の映画にほしかったんです」。

■「僕の娘たちは、僕が作品のためなら、自宅を燃やすことだってしかねないことをわかっている(笑)」

本作はダークな映画ではあるが、同時に希望という余白を残している。これはほかのシャマラン作品にも共通する傾向だ。「世界が本質的に悪い、ネガティブな場所だとは、僕は思っていません。むしろ慈悲深い場所です。だからなにかうまくいかないことがあっても、心が傷ついても、大きな文脈で見れば大丈夫なんじゃないかと、僕は思っています。とはいえ、いまこの瞬間も、世界の終わりに向かってエスカレートしていくようなことが起きていて、それはとても怖いことです。地上のあらゆる人間が、100年以内にやり方を変えなければ、すべてが終わってしまう、そう僕は考えています」。

「同時に変化のスピードが速くなっているのも実感しています。以前は世代交代に25年かかっていたものが、いまでは5年で変わる。僕と、娘たちの世代とでは考え方も違うけれど、考え方の速度も異なる。娘たちの世代は、5、6年で自分たちの考え方を大きく変えたりもできるんです。それを踏まえると、すべては正しい方向に進んでいると思うことができますね。この映画にはちょっとした時限爆弾的要素として、『我々は果たして方向転換するのに間に合うような速さで、いま変化できているのか?』という問いかけが入っています。手遅れになる前に、我々は方向転換すべきではないでしょうか」。

ご存知のとおり、シャマランはキャリアの初期に『シックス・センス』で脚光を浴び、『アンブレイカブル』(00)、『サイン』(02)とメガヒットを連発。これらを彼のマスターピースと考えるファンは多いが、一方では近年の『ヴィジット』(15)、『オールド』(21)など充実したスリラーに“シャマランが帰ってきた!”と快哉を上げるファンもいる。このような状況を、シャマラン自身は冷静に見ているようだ。

「観客が映画監督の“ストーリー”を口にするのは簡単なことですが、私自身はそれに関わらないようにしています。便利な“ストーリー”ではありますが、実際にはその10倍は複雑なものなのです。新作を発表する度に“帰ってきた!”と言われますが、そんな声を耳にすると『僕はいったいどこに向かっているんだ!?』と思ってしまう。帰ってきたもなにも、ずっとここに座っていただけなんですけどね(笑)」。

「とはいえ、監督として観客に自分の“ストーリー”を語られることは、ポジティブでよいことだと思っています。僕の映画に愛を持って接しているからこそ、語れることですからね。ただ、どんな“ストーリー”が語られるにせよ、僕にできるのは次の作品の脚本を書き、新しい映画を作ることだけです。自分の作りたいもののためなら、すべてを投げ出すでしょう。僕の上の娘2人もアーティストで、その一人、シャナは前作『オールド』に続いて、セカンド・ユニットの監督を務めています。彼女たちは外野の声に左右されない、僕の姿勢を知っています。僕が自分の作品のためなら、自宅を燃やすことだってしかねないことをわかっているんです(笑)」。

取材・文/相馬学

『ノック 終末の訪問者』のM.ナイト・シャマラン監督にインタビュー!/[c] 2023 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.