世の中は、テレビ、新聞、雑誌などのメディアや、FacebookTwitterなどのSNSで、たくさんの情報があふれ返っている。
あまりにも簡単に情報が入手できるせいか、パッと目についた情報だけで物事をわかったような気になったり、本当は大きな全容があるにも関わらず、一部の情報のみピックアップされてしまうことで、状況が複雑化して本質が見えにくくなっているような気がする。

行間を読み、そこから何かを想像して物事を組み立てることができないと、物事を読み解くのはなかなか難しそうだが、うまくやるコツが分からない……。
それを解決する本に出会った。時事ネタを得意とするお笑い芸人、プチ鹿島さん著『教養としてのプロレス』である。

タイトルから勘違いしてしまいそうだが、これはプロレス本ではない。30年以上プロレスを見続けてきた著者は、あるとき「世の中のあらゆる事象は、プロレス脳で読み解くことができる」と気づいたのだという。

「世の中の森羅万象を語ろうとしたら、わかろうとしたら、たまたまプロレスで学んだことが役立つことに気づいたのです。こんな楽しい見方や解釈のこと、おそらく多くの人は知らないと思う。(中略)プロレスを知らない人にこそこの本を読んでほしい。お得ですよ。(本文引用)」とあるように、本書ではプロレスを知らない人でも、「世の中の事象はプロレスで読み解けてしまう」という面白さをお得に知ることができるのだ。まさに、教養はプロレスにあり。

編集を担当された双葉社の栗田さんは、著者のファンであり、そしてプロレスファンであったという。本書の『教養としてのプロレス』というタイトルは、著者と共通の見解があったこともあり、すんなり決定したそうだ。

「(タイトルは)鹿島さんも僕も『プロレスからは人生に大切なものを学べる』という点が当たり前の共通見解としてあったので、必然として『教養』という言葉が出てきました。ケレン味があってハッタリがきいててバカバカしくて、お気に入りです」

なお、私がお気に入りの「第8章 無駄なものを愛す」では、ある人物が語ったプロレスに対する愛のない言葉に対し、著者は“から揚げ”を例に用いて次のように反論している。

「毎日体に良いものを食べて暮らすのは息が詰まりそうだ。人生に、やはりから揚げは必要なのではないか。いかにも体に悪そうなから揚げ。でも、多くの人は知っている。体に悪そうなものこそ、おいしいということを。(中略)私はプロレスを見てきたからこそ、社会からグレーゾーンがなくなっていくことを実感する。あらゆる事象に、すぐさま『正しいのか正しくないのか』『イエスかノーか』の判断が下される空気にはタメがない。無駄がなさすぎる。息苦しい」

そう、体に悪いもの=無駄なものだとしても、から揚げはおいしい!
一億総ツッコミ時代の中、何かに夢中になっていたりすると、それが無駄であるかのように水をさしてくる人がいる。確かに、無駄がなく合理的に物事が考えられる人は知的に見えるし、私も、そういった人たちが「無駄」と決めつけるものを愛してしまう自分に、コンプレックスがあったように思う。

しかし、無駄を愛せない人といると息が詰まってしまうのだ。そういった人は、相手にも「イエスかノーか」を求めるように思う。だから息苦しい。世界の見方がひとつだけではつまらない。無駄だからこそ娯楽は発展していくだろうし、心躍ることだって増えていく。

そこで、栗田さんにも好きな章をお伺いしたところ、
「15 章(マイナーに安住するなかれ)からあとがきに至るまでの流れがとても好きです。屁理屈をこねるというエンターテイメントは、ともすると対象に対して俯瞰で見過ぎているように感じられてしまうかもしれませんが、この15章以降は自身の内面を深掘りする超一級のドキュメントを、鹿島さんに見せていただいたと思います。まさに、誰しもが人生という“リング”で戦って、物語を紡いでいるという“レスラー”であるということを、鹿島さんの熱い筆致で感じられて、とても幸せでした」
「それと、私も同じく『無駄なものを愛す』が好きです。だから、この職業につきました。これからも一冊でも多く無駄な本がつくりたいです」
という愛あるお言葉をいただいた。私も、無駄な本にたくさん出会っていきたいと思う。

なお、著者は前書きにて、国会の乱闘シーンで「これはプロレスで……」というのは間違った使われ方だとして、正しいプロレスの定義について説明している。

―――言っておくが、正しい「プロレス」の使い方はまったく違う。モノの見方のことである。予想以上のものを見たとき、心が揺さぶられているとき、それを解釈しようとする心。それがプロレスである。(本文引用)

そういえば昔のことだが、一部ファンの間では「仲が悪い」と噂されていたある2組のアーティストが出演したイベントに行ったことがある。以前は仲が良かったというその2組は、いつの頃からかまったく共演することがなくなったため、噂は信憑性を高めていた。
その2組が久しぶりの共演。当時の私は「何かが起きるかもしれない」とザワザワとした気持ちを抱えながら会場へ向かっていた。いや、正しくはただの野次馬根性だったのかもしれない。

イベントが始まり、何事もなく進行していたかと思っていた矢先、渦中のアーティストが放ったあのひと言が、私は今でも忘れられない。何も知らない人からすれば何気ないひと言のように聞こえたかもしれないが、言葉の行間から読み取るに、あれは相手への宣戦布告! 噂は本当だったのだ……!

思えば、私にとっての初プロレスは、あのときだったのかもしれない。ただし、これはあくまでも、目の前で起きたことに対する私の妄想なのだが……。
(平野芙美/boox)

『教養としてのプロレス』プチ鹿島(著)/双葉社