ここ最近、“メタバース”が取り上げられる機会が増え、いよいよ現実世界と仮想世界を行き来にする、そんなSF作品のような世界が誕生するかもしれない。そのような世界が広まれば、楽しみが増えそうだが、それと同時に私たちの経済活動、労働環境にも大きな影響を与えるはずだ。

参考:【写真】井上智洋

 駒澤大学経済学部准教授で、2022年12月16日に『メタバースと経済の未来』(文春新書)をリリースした井上智洋氏に話を聞いた。

メタバースでの仕事が増えることで生まれる課題とは

――まず、井上さんはメタバースが普及することによって、どのような仕事が生まれると考えますか。

井上:メタバース上での自分自身のアバターアバターの着る服、靴などをデザインする仕事や、メタバース内の建物、家具、自動車、広告などをデザインする仕事が挙げられます。また、メタバースのプラットフォームを開発するエンジニアの需要はさらに高まるでしょう。

――デザイン関係の仕事が多そうですね。

井上:デザイン以外にも、メタバース内の店舗のスタッフ、メタバース内の土地や建物の売買を仲介する不動産屋など、メタバース内で働く人や、メタバース内でのビジネスを展開する方法を助言するコンサルタントも増えてくると思います。

――メタバースが普及すれば、デザイン関連の仕事をはじめ頭を使う仕事の需要が増えそうですが、世の中にはどうしても論理的に思考したり、アイデアを考えたりすることが苦手な人も一定数います。今後はそういった人たちが経済的に富むことは難しくなりそうですか?

井上:その可能性は高いです。世の中の動向を素早く的確につかめる人、新しいビジネスを生み出す発想力のある人がより稼げる時代になります。

――今のうちにITに関するスキルやリテラシーを高める必要がある?

井上:メタバース内で自分を表現する仕事は増えると思いますが、それで食べていける人は一握りでしょう。ITに関するスキルやリテラシーを高めるに越したことないですが、それだけでは、必ずしも豊かな生活に直結するとは言い難いです。

――ますます格差が拡大しそうな……。

井上:ただ、現実の旅行や娯楽以上に楽しい体験がメタバース内でほぼ無料でできるため、メタバースの普及が安く楽しい生活をもたらせる可能性もあります。つまり、生活費はいまよりかからなくなるかもしれません。“ネットさえあればいくらでも暇つぶしできる”という、現在の延長上で考えてもらえればわかりやすいです。

――娯楽の幅が広がりそうですが、働き方の変化もありそうですね。メタバースが普及した場合の働き方について教えてください。

井上:まず、いま現在の労働環境を振り返ります。たとえば、テレワークの浸透によって、会社のスペースを縮小できる、移動の手間を省けるというメリットが生まれました。一方、コミュニケーションの齟齬が発生したり、社員が孤独に陥ったり、活気がなくなったりといった問題も少なくありません。

 ですが、メタバースではより現実に近いコミュニケーションができるため、そういった問題はかなりの程度解消できると思います。メタバース内で業務遂行する会社は今後増えていくでしょう。

――近未来的な働き方はもう目の前なのですね。

井上:とはいえ、VRデバイスがまだ手軽ではないので、VR対応のメタバースの普及にはかなり時間がかかりそうです。VR酔いをしたり、肩や首が凝ったりといった問題があります。

・「メタバース内でのコミュニケーション」という選択肢も生まれる

――ここまで“メタバースが普及する“という前提でしたが、「メタバースは本当に定着するのか?」と不信感を抱いている人もいます。実際にメタバースはどこまでの広がりを見せると思いますか?

井上:インターネットも当初はそう言われていましたが、いま現在インターネットが娯楽や仕事、教育で欠かせないものになりました。このケースと同様、メタバースも娯楽や仕事、教育で欠かせないものになると思います。メタバース内の娯楽や仕事、教育の量が、現実空間の量を上回っていく可能性さえあります。ただ、完全にそうなるのは2040~50年ごろかなと思いますので、まだまだ遠い話です。

――また、メタバースに不信感を持つ人の中には、運動不足による身体的な問題、対面でのコミュニケーション不足による心理的な問題などのリスクを懸念しています。そういった問題が生じるリスクはどの程度ありますか?

井上:運動不足についてですが、メタバース内で運動する試みはいくつもあります。例えば、メタバースというよりゲームではありますが、『フォートナイト』では筋トレしないとクリアできないゲーム『TOKYO WORKOUT DEATHRUN』が設けられています。ただ、一般的には外出しないことによる運動不足は深刻化するかもしれません。

――コミュニケーション不足はどうですか?

井上:相手の身体がすぐそこにあるかどうかが、現実とメタバースに違いがあります。しかし、「現実でのコミュニケーションのほうがいい」という人もいれば、対面だと緊張してしまうため「メタバース内でのコミュニケーションのほうがいい」という人もいるでしょう。

――得手不得手を理解して選択すればいい?

井上:はい。自分が得意なコミュニケーション方法を選択することで、よりよい社会にできる可能性があります。また、相手の表情がメタバースではわかるため、SNSよりは喧嘩は起きにくく、気を病むことなく楽しくコミュニケーションがとれそうです。

――大きいリスクとして何が現状想定されていますか?

井上:現在海外で危険視されているものとして、仮想世界と現実世界の区別がつかなくなる“ファントム・タイムライン症候群”、メタバースに入り浸る“メタバース中毒”などが挙げられます。これらに対するケアは、現在の“スマホ依存症”に近い形で課題となってくるでしょう。

・日本はメタバースの普及が遅れている

――そもそも、日本はメタバースの普及が遅れているのですか?

井上:はい。その理由としてメタバースに興味のある人が比較的少ないことが挙げられます。世界経済フォーラムの調査結果によると、「VRやARを含む現実世界と仮想世界を融合させ、新たな体験をつくり出す技術“エクステンデッド・リアリティ”を日常生活で使うこと」に肯定的な感情を抱いているのは、中国(78%)が最も高く、次いでインド(75%)と約8割。翻って日本(22%)は主要国で最低でした。

(参考:https://www.weforum.org/agenda/2022/05/countries-attitudes-metaverse-augmented-virtual-reality-davos22/)

――普及の道のりは遠そうですね。

井上:ただ、VRを使用しないメタバースは日本の一部の若者の間で流行っています。スマホで使う『ZEPETO』のように、メタバースと意識することなく使っているケースも珍しくありません。最近では、スマホ向けメタバースSNSアプリ『Bondee』が話題になったり、しています。その他、『フォートナイト』や『Roblox』が小中学生の間で流行っており、徐々に広がりを見せつつあります。

――参入する企業の多さも普及に影響しそうですね。

井上:そうですね。日本でもメタバース参入を始める企業は増えています。ただ、それは「既存のメタバースをビジネスに活用しよう」という範囲に留まったケースばかりです。

――何か不満がありそうですが?

井上:日本はメタバースのプラットフォーム、VRデバイスでは遅れをとっています。プラットフォームでは韓国の躍進が著しく、デバイスではPICOなど中国勢が目立っていますね。

――活用する側に回ってしまうと、海外企業のほうが多く儲けられそうな……。

井上:はい。プラットフォームやデバイスでの主導権を握れなければ、メタバースで最も収益をあげられる部分を海外に持っていかれることになります。それではGAFAのような企業は日本から育たず、大きな経済的損失にもなるでしょう。

――先程「メタバースはお金をかけずに楽しめる」という指摘がありました。つまりは日本が今後もデフレを脱却できない場合、メタバースの普及率は加速するのでしょうか?

井上:実際、東南アジアのような発展途上国のほうがメタバースに興味を持つ人の割合が高いです。ただそれは、そういった国の人たちは上昇志向があるため、メタバースNFTといった新しいものに興味を持ちやすいからだと推察されます。

――日本とは少々事情が異なりそうな……。

井上:日本は長らく経済停滞が続いた結果、他の国と比べて相対的に経済衰退しているような状況です。発展途上国の人たちとは違って上昇志向の欠如が顕著な状態に陥りつつあります。

 新しい技術に興味を示さない人が多い傾向があります。消費や投資に対する消極的な心理状態“デフレマインド”が、長期間のデフレ下によって根付いた結果でしょう。また、「デフレのためにお金がなくてVRデバイスを買えない」という人も少なくないことも影響しているかもしれません。

――こと日本においては経済状況と普及率に相関はあまりなさそうですね。

井上:とはいえ、「お金がないのでメタバース内で遊ぶ」という傾向もあり得ます。インターネットと同様に一度普及してしまえば、そこに入り浸る人は増えるでしょう。VRデバイスが手に入りやすくなれば変わるかもしれません。

――具体的に日本でメタバースを普及させる方法はありますか?

井上:バーチャル美少女ねむさんのような方が、どんどん地上波でメタバースの面白さを伝えるといいと思います。また、いまのままでは、多くの人はVRデバイスを買う余裕がないので、根本的には経済停滞から脱却することが重要ですね。

(文・取材=望月悠木)

井上智洋(提供=本人)