ワールドベースボールクラシックWBC)で熱狂を生んだ侍ジャパン

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 大谷翔平が打って投げ、ダルビッシュ有がチームをまとめた。新スター・ヌートバーの出現、若手投手の躍動……誰一人として欠かせない一つのチームが世界一へと導いた。

 そんな戦いの中でひとつトピックスになっていたのが「四番」の存在だった。

 筆頭とみられていた2022年シーズンのセ・リーグ三冠王、日本人のシーズン最多ホームランを放った村上宗隆の調子が上がらず、結局、ボストン・レッドソックスに加入した吉田正尚を据えた。

 指揮官栗山英樹の決断は、結果的に最高の結果を生むことになる。

 その栗山は「よばん」について独自の考えを持っていた。今回はその栗山英樹の「よばん論」が垣間見える論考をご紹介する。

 本稿は発売から多くの反響を呼び、今なお重版を続ける栗山英樹の著書『稚心を去る~一流とそれ以外の差はどこにあるのか~』を再編集した。ぜひ本書もご覧いただきたい。

 自分にとってはこれが8年目のシーズンとなる(編集部注:本書はファイターズ監督時代の8年目に執筆された)。

 やるべきことはただ一つ、余計なことは考えず、日本一になることだけ。去年、負けたということは、「これじゃダメだ」と、はっきり突きつけられたようなものだ。あんなに悔しい思いをしたんだから、やるしかない。あの悔しさを活かせなければ、何の意味もない。

 今シーズン、勝ち切るためには、もう一度、チームを壊さなければいけないと思っている。投手も、野手も、すべてだ。

 壊すことにはもちろんリスクも伴うが、トータル的に考えれば、一回壊してしまったほうが組み立てやすい。

 それは、歴史が証明している。世の中の歴史の変わり目を見てもわかるように、本当に新しいものを作ろうとするには、いったん壊さなさいと始まらない。その覚悟を持てるかどうかがすべてだ。

 これまで作ってきた形を活かして、それを何とかつなげていこうとすると、どうしても発想が狭くなってしまう。だから、発想をゼロベースに戻して、打てる手はすべて打っていく。

 やはり優勝するためには、圧倒的な数字を残せる人、圧倒的に勝ちに貢献できる人が必要だ。そのためにも、チームの役割分担をいったんリセットして、新しい形を作る。

 もっと言えば、ただ勝つために壊すのではなく、勝ち続けるための壊し方をしなければいけない。「絶対に勝つ」ではなく、「絶対に勝ち続ける」「常勝チームにする」くらいの強い気持ちを持たないと、壊す意味もない。

 では、具体的に「発想をゼロベースに戻す」とはどういうことなのか。

 そのイメージを共有してもらうために、ここで中田翔とともに歩んできた7年間を振り返ってみたいと思う。

 思えば、このチームに7年間変わらなかったものがあるとすれば、「勝利の方程式」を狙うセットアッパー宮西尚生と、そして「四番・中田翔」、そこだけかもしれない。

 それだけに、これからチームを壊し、新しい形を作っていくためにも、彼との歩みを振り返ることには意味があると考えた。

 なお、この章では意図して、漢数字で「四番」とさせてもらった。「4番」と「四番」、その違いを感じながら読み進めていただけたら幸いだ。

エースと四番だけは出会いなんだ

 自分の現役最後の年、新監督としてヤクルトスワローズにやってきたのが野村克也さんだった。

 それまで9年連続Bクラスだったチームを、野村監督はまもなく生まれ変わらせ、就任3年目の1992年、チームを14年ぶりの優勝に導いた。

 その野村監督が、こんなことをおっしゃっていた。

「エースと四番だけは出会いなんだ」

 良いピッチャー、良いバッターは育てることができる。でも、自他ともに認める「投の柱」、「打の柱」として、長くチームを支え得るエースと四番だけは、意図して育てることはできない。それだけ難しいということだ。

「エース」と「四番」の定義は明確ではない。毎年、どのチームにもエースと呼ばれるピッチャーはいるし、打順でいうところの4番目を打つバッターもいる。

だが、ここでいうエースと四番は、それとはややニュアンスが異なる。誰もが「この選手で負けるならしょうがない」と認める先発ピッチャーが真の「エース」であり、「この選手が打てなかったらしょうがない」と託せる中心バッターが真の「四番」、そんなイメージだろうか。

 それは、毎年どのチームにもいるというものではなく、むしろ本当の意味でのエースと四番は、そうそう見当たらない。裏を返せば、強いチームにはエースと四番がいる、ということもできる。

中田翔を見て「出会った」と思った

 その野村さんの言葉が、強く印象に残っていたせいかもしれない。

 1年目のキャンプ中田翔の打撃練習を見たとき、まさしく「出会った」と思った。もちろん一野球ファンとして、一取材者として、彼のことは高校時代から何度も見てきたが、これから一緒に戦う同じチームの選手としてはじめて見たとき、その印象は強烈だった。当時の中田は5年目、23歳になる年だった。

 2年目、フレッシュオールスターゲームMVPを獲得し、イースタン・リーグ二冠王に輝いたが、一軍での活躍が目立ち始めたのは、3年目の夏以降。4年目にようやくレギュラー定着を果たし、リーグ3位のホームラン18本を放つなど、ちょうど大器の片鱗を見せ始めた時期だった。

 バッティングケージの中から、軽々と打球をフェンスの向こうに運んでいくさまは圧巻で、この若者はモノが違うと感じずにはいられなかった。あれは、努力すれば誰にでも身に付くという類のものではない。

 比べるのもおこがましいが、たとえ現役時代の自分が彼の5倍やっても10倍やっても、土台無理な話だ。ボールを遠くに飛ばす能力は、きっと天賦の才なのだ。

「ああ、これがあの野村さんでも作れなかったという、真の四番なんだ」

 そのとき、強く思った。

「この才能を預かる以上、中田翔には球界を代表する四番になってもらわなくては困る。そうすることが、自分に課せられた使命なのではないか」と。強いファイターズを作るためにも、ひいては日本球界の未来のためにも。

「四番」と「4番」の決定的な違い

 中田翔という選手は、この時代に改めて「四番」の意味や意義を、世の中に問う存在なのではないかと思っている。

 ひと頃、「つなぐ4番」というフレーズが注目された時期があった。「4番」はあくまでも4番目に打つバッターであり、必ずしも長打や勝負強さだけを求められるのではなく、ほかの打順同様、次につなぐ役目も担っているというものだ。

 「つなぐ」という表現のあいまいさはさておき、その考え方は否定しない。

 ただ、野球界で長く強調されてきた「四番」は、決して順番や役割を表すものではなく、「存在」そのものなのだ。

「四番・長嶋」、「四番・王」、「四番・松井」……、偉大なスラッガーたちの名前には、枕詞のように「四番」が冠されることが多い。それは、打順がおもにそうだったということよりも、彼らが「四番」にふさわしい存在だったということを示している。

 では、「この選手が打てなかったらしょうがない」とは、どういうことか。

「この選手が打てないくらいなら、きっとほかの誰が打席に立っても打てないはずだ」という能力に対する信頼は不可欠だ。

 でも、それだけでは十分ではない。

 どれほど勝負強いとされるバッターでも、チャンスに5割打てる選手はまずいない。つまり、誰でも5割以上は打ち取られる。

 そう考えたとき、いざチャンスに打てなかったときにどう振る舞えるか、そこがひじょうに重要だ。

 その「人としての振る舞い」が、期待を寄せてくれた者たちの心を鎮めてはじめて、「しょうがない」と思ってもらうことができる。(『稚心を去る』栗山英樹・著より)

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  世界一、侍ジャパン・栗山英樹は戒めるように言った「幼稚な心を捨てろ」

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