1984年6月22日、元新日本プロレス営業部長の大塚直樹率いる新日本プロレス興行(以下、新日本興行)と業務提携したことにより、新日本の営業力を手に入れた全日本プロレスジャイアント馬場はもうひとつ、どうしても欲しいものがあった。それはタイガーマスクだ。

新日本でのタイガーマスクvsスティーブ・ライトの試合をテレビで観たけど、あれはいい試合だったなあ。うちのジュニアでも、ああいう試合ができる選手がいるといいなあ」と語るなど、馬場は以前からタイガーマスクに興味を持っていた。

 もし新日本クーデター事件が起こらなければ、83年8月18日ロサンゼルスのガラスの教会で予定されていた、タイガーマスクの極秘結婚式にも出席することになっていた。

 新日本が平穏だったら、当時の両団体の蜜月関係からすると、タイガーマスクが全日本のリングに登場してもおかしくはなかった。

 84年2月下旬、馬場は新間寿のUWFに協力する裏で、新間と敵対関係にあった佐山のマネージャーの曽川庄司とも接点を持った。

 曽川は、新間との決裂で初代タイガーマスク佐山聡のUWFでのカムバックが消滅した段階で、日本テレビ関係者の仲介によって馬場に接近。キャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)で佐山の復帰問題に関して馬場、全日本の松根光雄社長、曽川の3者会談が実現したのだ。

 馬場は多額の契約金を提示されたことと、佐山が新日本を辞めた経緯を把握していなかったため、即答を避けたものの、5月下旬にはザ・タイガーのビデオを入手して研究していたし、佐山の参戦を想定して、夏を目途に「ジュニア・ヘビー級カーニバル」も計画していた。

 だが、いい返事を得られなかった曽川は「全日本に脈なし」と判断。UWFの反・新間グループの誘いを受ける形でUWFでの復帰を選択。佐山はザ・タイガーとしてUWFが7月23&24日に後楽園ホールで行う「無限大記念日」に登場することになったのである。

 それでも馬場の「佐山タイガーを全日本のリングに上げたい」という気持ちは変わらず、業務提携したばかりの新日本興行の大塚に「業務提携第1弾となる8月26日の田園コロシアムにザ・タイガーを上げたいのだが‥‥」と相談。

 そこで大塚が提案したのは2代目タイガーマスクを自分たちで作ることだ。

 新日本時代に漫画「タイガーマスク」の原作者・梶原一騎と接点があった大塚は「中身を決めていただければ、僕が許可をもらってきますよ」と、梶原の自宅に日参して承諾を得た。

 梶原からの条件は【1】タイガーマスクのイメージを壊さない選手の起用、【2】世界空手道連盟士道館の有望な選手をタイガーマスク2号として育成、【3】馬場が直接足を運んできて挨拶してほしいという3点。金銭的なものはなかったという。

 なお、2号になるはずだった選手は全日本の合宿所に入ったが体を壊してやめてしまい、一時期は川田利明が2号候補に挙がった。

 肝心の2代目の中身として馬場がリストアップしたのは、この年の3月にメキシコ修行に出たばかりの越中詩郎三沢光晴、のちに2号候補になる川田。そして最終的に指名したのは80年栃木国体のフリー87kg級で優勝したレスリングがベースにあり、器械体操とメキシコ修行で空中殺法に磨きをかけた三沢だ。

 馬場の指令を受けた三沢が極秘帰国したのは7月22日。佐山がザ・タイガーとしてUWFでカムバックする前日のことだった。

 この時点でデビュー戦までわずか35日。三沢のタイガーマスク化計画は急ピッチで進められた。

 まず7月31日の蔵前国技館大会にタイガーマスクのフルコスチューム姿で出現してファンにお披露目。翌日から埼玉県所沢市の「新格闘術士道館」に泊まり込んで添野義二館長に本格的なキックの指導を受けた。

 初代タイガーマスクの代名詞は、四次元殺法と呼ばれる華麗な空中殺法と切れ味鋭い打撃技。2代目も同じ要素が求められたのだ。

 その後、ハワイロサンゼルスメキシコで特訓を行い、8月26日に田園コロシアムで元NWA世界ウェルター級王者のラ・フィエラ相手にデビュー戦。

 初代の佐山タイガーと同じようにコーナーマットに立ち、天高く右手人差し指を突き立ててリングイン。ローリング・ソバットのフェイントから士道館仕込みのローキックを連発すると三沢コール、佐山コールが発生した。メキシコ修行のわずか5カ月しか空白がないだけに、ファンは正体を見透かしていた。

 それでも三沢タイガーは佐山タイガーの速射砲とは異なる重いミドルキックや、佐山より13センチ高く、8キロ重い大きな体で四次元殺法を披露。最後はオリジナル技のタイガースープレックス’84で勝利した。

 馬場は初代よりスケールが大きく、将来はヘビー級で活躍できる新たなタイガーマスクを手に入れた。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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