4月9日投開票の鳥取県議選で、現職の鳥取県知事と同姓同名の平井伸治さん(54)が初当選を果たし、全国的に注目を集めている。同日、平井知事も5選を果たした。

鳥取には地縁も血縁もない平井さんは「無投票を止めたい」と、鳥取市選挙区(定数12)から出馬。選挙公報では「選挙に行ってください! そして私以外の誰かに投票してください!」と呼びかけ、過去には詐欺罪で有罪判決を受け服役したことも明らかにするなど、話題性は十分だった。

結果、元鳥取市長・元参院議員の竹内功さんというベテラン政治家を抑え、12位(3613票)で当選を果たす。平井さん自身も「私自身が本当に驚いている」と語るが、もっとも驚いているのは鳥取県民なのだろう。

地元紙の日本海新聞は4月11日、記者コラムで平井さんの当選について「春の珍事で終わるのか。気になる県議会の行方である」と書いた。政治家としての手腕に厳しい目も向けられる中、新県議にその意気込みを聞いた。

●記者から「おめでとうございます。当選です」

「ちょっと鳥取に帰って来てくれますか?」

開票のあった4月9日22時ごろ、平井さんのもとに秘書からそんな電話が入った。平井さんはこの時、早くも落選を覚悟し、兵庫県の三宮で後援会関係者らと酒を酌み交わしていた。

「午前中に投票に行ったら、投票会場は高齢者ばかり。組織票のない私には、当選するのは無理だろうと思って、午後、鳥取から大阪に戻って。やっぱり駄目だったわと敗戦の弁を述べながら飲んでいたら、秘書からどうもざわついているから帰ってこい、と」

そうは言っても当選はないだろうと思いながら、23時ごろに知人の運転で鳥取に向かう。日付が変わったころだった。車で移動中の平井さんの携帯に、記者から電話が入った。

「おめでとうございます。当選です」

「ええっと驚いて、そこからですよ。次々に記者から電話がきましてね。彼らは出馬表明の時には面白がって取材に来ていましたけど、それからは連絡がなかった。なのに突然『今すぐスタジオに来てくれ』ですから。へえ、こんなに変わるのかと」

夜半、鳥取に到着。テレビをつけると当確と出ていたが、今ひとつ実感が湧かないまま仮眠をとって朝を迎える。目が覚めてスマホを手にすると、知人から「おめでとう」と多数のメッセージが届いていた。

「取材陣もワーっと来て、それでようやく当選したのだと実感しました。嬉しかったのは嬉しかったですけどね。当選は無理だと思っていましたから。その反面、私の過去もありますので、本当に当選していいのかな、と。根掘り葉掘り報じられて、昔のように苦しみが襲ってくるのではないかとも思いました」

●過去の服役についても明らかにしてきた

その過去とは、2010年、詐欺罪で有罪判決となり、5年半服役したことを指す。

当時の報道によれば、大手旅行会社に勤務していた当時、顧客から旅行券積立の名目で7億円を自らの口座に振り込ませ、詐欺罪の疑いで逮捕された。2010年6月、大阪地裁は、懲役6年の実刑判決を言い渡した(「読売新聞」2010年7月1日など)。

刑務所では洗濯工場で働いたり、資格試験の勉強をしたり、結局15の資格を取りました」という。出馬に際して、有権者には逮捕、服役の事実を公にしてきた。

選挙期間中には「私も8年入って、出てきました」と同じく服役経験があった人から応援の声をかけられることもあったが、有権者からみれば歓迎されない経歴であることは平井さんも自覚するところだった。

「当選した今も、地元紙や有権者からは厳しい目が注がれていると感じます。前の事件では逮捕と判決が出たくらいしか報道されませんでしたが、今はその20倍くらいは書かれている。まさかここまでとは思わなかったですが」

当選後の4月11日日本海新聞には「犯罪をする人は一般の考えとはずれがあると思う」との有権者の声も掲載された。こうした厳しい視線があることは、選挙期間中からひしひしと感じていたし、議員になったからには「信頼されるように取り組みたい」と語る。

●周囲から冗談で「知事」と呼ばれていた

しかし何故、地盤、看板のない平井さんが政治家を志し、縁もゆかりもない鳥取から無所属で出馬することを決めたのか。

本人によれば、やはり同姓同名の知事が関係していた。平井さんは出所後、名前を「伸知」から「伸治」に変更した。子どもの頃に大病した際、母に連れられて行った占い師の助言により「伸治」を以後通称として使ってきたためだと本人は説明する。

出所後、介護施設や冠婚葬祭の会社で働いていたが、知事と同姓同名だったことから、冗談で「知事」と呼ばれることが度々あったという。次第に鳥取は気になる存在になっていった。

「それである日、カニを食べに行こうと思い立って、鳥取に行ってみたんです。そんならもう、大阪と比べて外国ですわ。人も真面目でいい人ばかりだし、空気も良い。ご飯も美味しい」

自宅のある大阪から鳥取までは、片道3時間ほど。決して近くはないが、鳥取の地に魅了され、何度も通うようになった。飲食街で地元の人たちと飲み交わす中で、気になることも出てくる。その一つが最低賃金だった。

「鳥取の最低賃金は854円です。たとえば東京の最賃は1072円で200円以上の開きがある。じゃあ鳥取の仕事が暇かといえば、そんなことはない。めちゃくちゃ忙しいし、東京の人と同じような仕事をして、ガソリン代なども同じ値段なのに、こんなに賃金が違う。若い人と話をすると、給料が安いから鳥取を出ていくともよく聞きました」

若者が次々に出て人口が減っていく状況にもどかしさを感じ、次第に鳥取で政治家になることを意識する。昨年(2022年)春頃には、周囲にもその思いを公言するようになった。

当時、平井さんの思いを聞いた旧友は「正直、当選は無理だと思っていましたけど、やらずに後悔し続けるくらいなら、チャレンジしたらいいんじゃないかと言いました」と話す。この旧友は後に、平井さんの後援会長となった。

●ドタバタの選挙戦

それでもすぐに腹を括ったわけではない。なにせ地盤、看板はもちろんのこと、政党とのつながりもなく、選挙のイロハも知らない。自宅は大阪にあったので、出馬するには鳥取に居を構える必要もあるが、それは大阪での仕事を失うことも意味する。被害弁償の残債は約5億円。少しずつ支払いながらの生活で、経済的なゆとりはなかった。

背中を押したのは、有権者の声だった。

「ある日、鳥取で飲んでいたら『無投票はあかん』という声が聞こえてきたんです」

「お金がないから、お金をかけない選挙をするしかなかった。選挙カーも使えないし、旧態依然の選挙もできない。TikTokは以前からやっていましたから、ならこれを使おうと」

SNSと街頭演説、それが平井さんの武器だった。しかし急な出馬だけに、選挙戦はドタバタだったようだ。

「まず鳥取に引っ越すため住宅を借りようとしたら、保証会社からNGが出てしまった。大阪では借りられたので、前科が理由ではないはずですけど…」

結局、知人の会社に借りてもらえたが、一難去って、また一難。今度は選挙事務所が問題になる。

「最初は市民会館の会議室が1時間110円で借りられたので、そこを登録して記者クラブに送ったんです。ところが大手新聞社から『公共の施設は使えないのではないか』という指摘が告示前日にあって、急に追い出されることになった。なんとかテナントが見つかったのだけど、その日は大家が不在で鍵をもらえなくて…」

ドタバタだったが、頼れる助っ人もいた。無所属で、右も左もわからない新人候補についた秘書はどんな人物だったのか。

「昔からの知り合いに秘書経験者がいたので、声をかけたら引き受けてくれました。ずんぐりむっくりで、僕より年上。見た目がベテランなので、貫禄があって、彼がいることで選管も一目おいてくれたと思いますね。私はどこの馬の骨かもわからない候補だけど、彼が秘書になってくれたことで、泡沫候補ではない感が出ていたんじゃないかと」

●「無投票になるように調整していた」と関係者から抗議

予想されることではあったが、平井さんの出馬には地元でも反発が根強くあったようだ。選挙期間中には、前科について触れた怪文書が配られたり、抗議のため自宅を訪れたりする人もいた。

「一人は名乗らず、『鳥取は鳥取の人でルールができているから、かきまわすな。出んといでくれ』と言いましてね。もう1人は政治の関係者でしたけど、名刺を出した上で『今回の選挙は無投票になるように調整していた。あんたみたいなのが来て、かきまわされるのは困るんや。わかってくれへんか』と」

もちろん応じることはなかったが、ショックを受ける出来事もあった。出馬を決める前から度々行っていた飲み屋のママに、「他の先生にご贔屓にしてもらっているので、これからこんでもらえますか」と言われてしまったことだ。

「ある新聞記者には『選挙の出方が悪かった。地元のほかの候補者にも挨拶して、仁義をきってから出馬したら違ったのではないか』とも言われたんですが、たしかにそうかもしれない」

●「私は大阪から来た前科者」

政治のお作法など一切無視の選挙戦だった。しかし、当選は当選である。今後、政治家としてどんなことを志すのだろうか。

「まずは最賃を上げたい。時給を200円くらいあげたい。鳥取の大学生は約7割が県外から来ているらしいんですが、彼らは住民票を鳥取に置いていない。住民票を置いてある人のみ時給を200円くらいあげたいですね。

あとは東京ガールズコレクションなどイベントを誘致したり、企業とコラボするなどして、若い人たちに集まってもらうような取り組みを実現したい」

他にも、大阪府議会と比べると、鳥取県議会は「知事と議会の討論が十分ではない」と感じており、県議として議論をしていきたいと意気込む。

当選後、地元記者からは「ほんとに議会に来るんですか」と尋ねられた。「ガーシー扱いされているんです」と平井さんは苦笑するが、新人議員らしい覚悟をもっている。

「人から見れば、私は大阪から来た前科者です。到底、まともな議員とは思ってもらっていないと思う。まずは議会に一番早く行って、それこそ先輩議員の机をふくところから始めたい。信頼してもらって、議会で議論がしたいですね」

好物は、大山どりの焼き鳥と海の幸。お酒はビールとハイボール派で、TikTokを始めたのも12時以降は水分を摂らず18時に飲むビールの旨さを伝える乾杯動画をアップするためだった。

現在は独身の平井さんには、娘と息子の2人の子がいる。息子は選挙の応援に来て、聴衆になってくれたといい、当選は2人の子も驚きながらも喜んでくれたという。家族や知人に支えられた選挙活動だったが、政治家としての新たな船出に、有権者の信頼という追い風は吹くのだろうか。

「ガーシー扱いされているんです」鳥取県知事と同姓同名、県議に初当選した平井伸治さんの覚悟