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スーパーモデルのナジャ・アウアマンから名前を取っているという、ナジャ・グランディーバ

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、憧れていたモデルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

スーパーモデルが好きすぎて、今でも’90年代のファッションショーの映像を見返すことがあります。実は、私の『ナジャ』という名前も、身長180センチで異次元の美しさと言われた、スーパーモデルのナジャ・アウアマンから取っているんです。女装することになったのも、世界的に活躍するスーパーモデルを目の当たりにして“こんなふうになりたい”と憧れを持ったから。私の生き方に、大きな影響を与えてくれました」

こう語るのは、タレントでドラァグクイーンのナジャ・グランディーバさん(49)だ。

ナジャさんがゲイであることを認識したのは高校を卒業したころだったが、今振り返ると小学生くらいのときから思い当たる節はあったという。

「学校の友達から“オカマ”とからかわれていたので、女のコっぽい所作はあったのだと思います。でも、好きな人の名前を紙に書いたりするときは女のコのもの。それが中学生くらいになると、好きな人ははっきりと男のコになりました」

憧れの男子は、本棚の中にいた。

ヤンキー漫画の『ろくでなしBLUES』(’88~’97年集英社)や『ビー・バップ・ハイスクール』(’83~’03年講談社)は、不良への憧れというより、単純に登場人物が“かっこええなあ”と見ていました。並行して、少女漫画の『ちびまる子ちゃん』(’86~’15年)や『お父さんは心配症』(’84~’88年・ともに集英社)みたいな、かわいらしい漫画も好きでした」

統一感のない本棚で、ひときわ存在感を放っていたのが、『VOGUE』など海外のファッション誌。

「’80年代後半から’90年代にかけて、親戚のお姉ちゃんの影響で洋楽を聴き始めるように。エアロスミスやモトリー・クルー、スキッド・ロウなどのハードロックが好きで、MTVもよく見ていました。番組では海外のファッション情報も扱っていて、それを見ているうちにスーパーモデルに夢中になっていったんです」

当時の深夜番組を見ていた人なら、「銀座ジュエリーマキ」や「ブティックJOY」のCMを目にすることが多かったはず。

「知らない人も多いのですが、あれってミラノやパリの第一線で活躍するモデルをたくさん起用しているすごいCM。中学、高校生くらいになると机に好きなコの名前を彫ったりしますが、私はスーパーモデルの名前を彫っていました。紀伊國屋書店など、洋書を扱っている本屋さんに行ってアメリカ、イタリアフランスと各国の『VOGUE』を探しました。かなり割高な価格でしたが、親に買ってもらっていたんです」

■ランウェイに見立てモデル気分で歩いた通学路

『ファッション通信』(’85年~・テレビ東京系)は、定期的スーパーモデルを取り上げていたので必ずチェック。

WOWOWが開局した当初、シーズンごとにパリコレやミラノコレクションの特集を放送していました。うちは加入していなかったので、お金持ちの友達に頼んでビデオテープに録画してもらい、擦り切れるまで何度もくり返し見ていました」

スーパーモデルたちには、それぞれの魅力があった。

シンディクロフォードはセックスシンボルで、ゴージャスでセクシー。ただモード系の服はうまく着こなせないよう。クラウディア・シファーも、ゴージャス&セクシーの一辺倒。ウオーキングが“のしのし系”で、私はあまり心をつかまれませんでした。一方でナオミ・キャンベルは、いわゆるキャット・ウオークの代表格。筋肉質で野性味があふれ、お尻もきゅっと上がっている。ブランドごとに、歩き方やヘアメークを変えて、まったく違うイメージでランウェイを闊歩。私がいちばん好きなリンダエヴァンジェリスタは七変化ぶりがすごい。ヴェルサーチの超セクシードレスも、コム・デ・ギャルソンのような、モード色の強いヘンテコな服もバリバリ着こなしてしまうんです」

スーパーモデルを撮影するカメラマンにも注目し、彼らの作品を掲載した雑誌を学校に持っていくこともあった。

「モード系のドレスには、シースルーで胸が丸出しのようなものもあります。私は“美しい”と思っているのに、高校生男子にとってはエロ本扱い。当時は “わかってないな、こいつら”って思っていました」

学校は自転車通学と徒歩通学が選択できたが、徒歩を選んだ。

「というのも、通学路をランウェイに見立てて、モデル気分で歩きたかったから」

19歳のときに見たドラマ『同窓会』(’93年・日本テレビ系)も忘れられない作品だ。

西村和彦さんがゲイを演じていて、ドラマの舞台もゲイの街・新宿二丁目。私自身、ちょうど“自分はゲイかもしれない”という意識を持ち始めたタイミングだったので、なかなか人に言えない苦しみに共感。都会に行けば、新宿二丁目のような、自分を受け入れてくれる街があるのだと、明るい未来を感じました」

そんなナジャさんは、大阪の大学に進学し、二十歳のときにゲイバーでのアルバイトを始めた。

「ふだんは男の姿で接客するのですが、クリスマスや周年パーティなどのイベントでは女装。おしゃれな服とメークで変身することには自分自身を表現する楽しさがあったし、憧れのスーパーモデルになりきれる喜びも。でも、いちばん最初に挑戦した女装は、すごいブスやったと思います(笑)」

自分らしく生きるーー。その出発点となる女装のきっかけを与えてくれたのが、スーパーモデルだったのだ。

PROFILE

ナジャ・グランディーバ

’74年、兵庫県生まれ。大学在学中にドラァグクイーンに。’11年ごろから関西でのテレビ番組出演が増え、’14年に東京進出。『ゴゴスマ』(TBS系)、『よんチャンTV』(MBS)など多くのワイドショーでコメンテーターとして活躍する。毒舌が苦手な自称「のんびりオネエ」