マネジメントの父ともいわれる世界的経営学者でありコンサルタントピーター・F・ドラッカー。彼が提唱した「ドラッカー理論」は世界的に有名ですが、じつは日本では多くの企業に“誤って”捉えられていると言います。本連載は、ドラッカー研究に50年以上携わっている二瓶正之氏の著書『徹底的にかみくだいた「自己目標管理」ドラッカーが本来伝えたかった目標管理』(春陽堂書店)を一部抜粋してお届けします。

ドラッカーにとって深い心の傷となった出来事

自己目標管理のアイデアの形成過程で大きく寄与したであろうエピソードを紹介してきました。

本章の締めくくりとして、ドラッカーの生涯のテーマについて掘り下げながら、それが自己目標管理のアイデア形成において、どのような影響を与えたのか筆者独自の視点から考えてみたいと思います。

ドラッカーの生涯のテーマは、「自由で機能する社会の実現」でした。自由とは一人ひとりが社会への貢献という責任意識に基づきながら、自分の強みを発揮して自分らしく生きる選択が可能だということです。

「機能する社会」とは、社会を構成する一人ひとりに、役割と居場所が与えられ、社会全体が成熟した民主主義社会に向けて進化し続けていることです。平たくいえば、「人々が幸せになれる社会の実現」です。

ドラッカーがこのような考えを持つに至ったのは、精神形成期を過ごしたドイツ時代にルーツがあります。ヒトラー率いるナチスが政権を奪取し、全体主義に基づく恐怖政治によって世界中を混乱と恐怖の渦に巻き込みました。

これはドラッカーにとっても深い心の傷となったのです。ユダヤ人であるドラッカー自身も初作品をナチスによって発禁処分とされ、ナチスに入党したかつての同僚から命を狙われる経験もしています。

ドラッカーは充実した仕事ができた新聞社の副編集長のポストを手放し、イギリスへの移住、さらにはアメリカへの移住を決心しています。移住の原因はナチスの台頭です。

ドラッカーは、移住したアメリカの地で、ドイツでの青春時代をともに過ごした多くの友人たちとその家族が、ユダヤ人であるだけの理由で強制収容所に送られ命を奪われたことを知らされ、深い心の痛手を受けました。その傷は生涯癒えることはありませんでした。

これらのドラッカーの原体験が、どうすれば「自由で機能する社会の実現」が可能となるのかという思索に向かったのではないかと思われます。

ドラッカーはヨーロッパで政治学者としても高い評価を受けていた判事の叔父の影響もあり、当初は政治学者としての道を歩み始めます。

そして、アメリカに渡って間もなく、ドラッカーはアメリカ政治学会で若手の政治学者のホープとして期待される存在になります。それでも、ドラッカーの問題意識は変わることなく一貫して、「自由で機能する社会の実現」でした。

ベストセラーは完全に黙殺、政治学会からは抹殺され…

このテーマを追い続けていくうちに、「自由で機能する社会の実現」の担い手として企業の存在とその経営者のリーダーシップに注目し始めます。

そして、企業研究の必要を強く感じたドラッカーは、調査研究の協力を多くの企業に依頼しますがすべて断られました。落胆していたドラッカーを救ったのが、アメリカの自動車メーカー・ゼネラルモーターズ(GM)からの調査研究の依頼の電話でした。

そのGMでの1年半にわたる調査研究の成果として『会社という概念』(邦題『企業とは何か』)という著作を発表し、大ベストセラーとなります。

しかし、政治学会の主力メンバーである高齢の政治学者たちは、営利企業に対して時代遅れの偏見を抱き続けていました。

訳のわからないうさんくさいものを研究対象にするドラッカーを政治学者としては評価できないとし、既にベストセラーとなっていた著作も完全に黙殺して政治学会から抹殺しました。

この後遺症は、今も存在し続け、アカデミズムの世界では、堂々とドラッカーを否定する研究者は少なくありません。

ドラッカーは、企業研究を続けていくうちに、いつしか政治学者から経営学者へと軸足をシフトして言論活動を続けました。そこで持ち続けた問題意識は「自由で機能する社会の実現」であり、そのために企業と企業経営者が何をすべきかでした。

つまり、企業を社会に見立て、その中で自由で機能する組織をどうつくるかという問題意識を持ちながら思索と研究を続けました。その過程の中で、自然と自己目標管理のアイデアが熟成していったのだと感じます。

とりわけ、組織の中で個人の自由をどう実現するかというテーマは経営者の権限の正当性の根拠を何に求めるかというテーマと併せて、ドラッカーの脳裏から離れることはなかったと思います。

そして、その長期間の思索の成果として、『現代の経営』と『マネジメント』において、経営者の権限の正統性の根拠を社員の自己実現に対する経営者の責任に求め、組織における個人の自由の実現を自己目標管理に求めたのでした。

ドラッカーは「自由」をどう捉えていたのか

ドラッカーにとって自由とは、決して野放図な責任意識のない自由ではありません。ドラッカーは自由という概念を責任という概念と表裏一体だと捉えています。責任意識に基づいてこその自由であると考えたのです。

もちろん、その背後には、ナチスによる全体主義ドイツ国民がやすやすと傾斜したことへの消えることのない危機意識があります。

責任意識を消失してしまうことにより、自由が無責任の代名詞に堕してしまう恐怖をドラッカーは生涯忘れることはありませんでした。

ドラッカーは、自己目標管理で使われるセルフコントロールという言葉についても慎重な説明をしています。

コントロールという言葉は、基本的には機械や設備などのモノに対して使うべき言葉であり、人に対しては自分自身以外においては使うべきではない。ましてや、人が人をコントロールするなどあってはならないと述べています。

そのようなドラッカーの言説に目を向けると、自己目標管理によって初めて支配のマネジメントから自己管理によるマネジメントが実現できると述べたドラッカーの並々ならぬ思いを感じとることができます。

(※写真はイメージです/PIXTA)