モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」
多くの人が新生活を迎える季節。『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、自身の大学入学時を振り返り、現代日本にも通じる「違和感」の正体を論じる。

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今年も新生活の季節になりました。思い返せば、私が東京大学に入学したのは40年以上も前のことです。

中学・高校時代の自分は、日本の学校教育にイラ立っている部分がありました。典型が英語の授業で、英語を普通に使える自分に対しても、日本式の文法習得法、日本でしか通用しない"テストのための英語学習"が強制されました。

英語を話せる自分が偉いという意味ではなく、「自分はそれをやっても無意味」という合理的な判断や例外措置を一切認めない体質に強烈な不満があったのです。

しかし当時は、「現状に異を唱えたいなら、まず現状を受け入れてトップになれ」という圧力が強かった。そこで私は意地になって受験勉強をし、東大に入学したわけですが、残念だったのは、"優秀"とされる多くの同級生が社会のルールに疑問すら持っていないという事実でした。

無駄なこと、理不尽なことにも四の五の言わず順応すれば人生うまくいく――この根源的なゆがみに失望し、若さゆえの勢いもあり、アメリカの大学に行くことを決心したのでした。

当時と今とで、日本社会は変わったでしょうか。学校でも会社でも、クエスチョンを投げかける人が敬遠される空気は今もあるでしょう。

やや大づかみな話になりますが、波風を立てずに全体を最適化していく「社会OS」がこれほど強固なのは、明治維新以降の急激な西洋化、国民国家化の影響が大きいのではないか、と最近考えています。

当時は鎖国していたこともあり、外と内を比較した上での「日本人」というアイデンティティはあまり具体的ではなかったと想像します。しかし、100年ほど早く国民国家化した西洋諸国と肩を並べるには、国をまとめる"大きな物語"を史実を拾い集めて作る必要があった。

重要なのは皆がその物語を疑わず、少々のバグが見つかっても「迷わず行けよ、行けばわかるさ」と社会全体で突進すること。それを国家レベルで遂行してきたのが、明治以降の日本政府だったのではないでしょうか。

言い換えれば、日本は「日本」という枠組み、「日本人」というアイデンティティをあまりにも急激に作り上げた。それにより多くのものを得た一方、副産物として、先述したような「社会OS」が出来上がっていったのではないかと思います。

私がハーバード大学に入って衝撃を受けたのは、レポートにせよ論文にせよディベートにせよ、日本とは真逆の、「とにかく自分で考えろ」というベクトルでのスパルタ勉強でした。正直、何度も逃げ出しましたし、いろいろあって卒業まで7年かかりましたが、そこで得た考え方はやはり重要なものでした。

たとえジョン・レノンボブ・マーリー、あるいはイーロン・マスクがあなたにとって感動的なヒーローでも、あなたはそのカリスマたちの欠点や矛盾点に目を向けなければならない(ネットで探すだけでもいろいろ出てきます)。世の中に「完全無欠なもの」や「100パーセント正しい結論」はない――ごく単純に言えば、そういうマインドです。

もし自分の考えが社会の「暗黙のルール」とぶつかるなら、従うより前に、なぜルールがそうなっているのか自分自身で考えてみてほしい。これが新生活を迎えた皆さんへの私からのエールです。

モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説などでのメディア出演多数

「もし自分の考えが社会の『暗黙のルール』とぶつかるなら、従うより前に、なぜルールがそうなっているのか自分自身で考えてみてほしい」と語るモーリー氏