天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会(神奈川県鎌倉市)高祖敏明実行委員長は、本日、天正遣欧少年使節記録図譜刊行を目的としたプロジェクトが始動したことを発表した。
1582年2月20日信仰と希望に満ちた4人の日本人少年を乗せた船が長崎を出港し、
1590年7月20日長崎に帰港した。
8年5ヶ月に渡るロマンと信仰の足跡を記録した図譜の刊行プロジェクトが
441年後の2023年4月に始動!
また、同プロジェクトは、同日4月12日水曜日10時よりREDAYFOR株式会社(東京都千代田区)が運営するクラウドファンディングを通して製作資金を集める。
(URL:https://readyfor.jp/projects/Tensho_Mission_to_Europe)
プロジェクトの意義
織田信長が本能寺にて斃れ、秀吉が天下取りに突き進んでいた時期に、長崎を出航し、
アフリカ南端の喜望峰を回って、リスボン、マドリッド、そしてローマを訪れた日本人の一団がいます。
大友宗麟、有馬晴信、大村純忠の名代として派遣された伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティノ、
中浦ジュリアンの、天正遣欧使節です。
本プロジェクトが目指すのは、彼らの旅と体験を、文化的景観に注目して
説明文と豊富なカラー写真とでたどり、追体験できる写真集を刊行することです。
使節は、ポルトガルとスペイン、イタリアの、行く先々で熱烈な歓迎を受けました。
この年だけで、東方からの使節を紹介する冊子や書物が50種類、それもイタリアを中心に、
使節が訪れなかったベルギー、ドイツ、フランス、チェコでも出版されており、
大々的な「日本ブーム」を惹き起こしました。
ところが、この使節の事績が日本で一部紹介されたのは約300年後、1892年のことです。
それから100年以上も経った2014年には、ドメニコ・ティントレットが1585年にヴェネチアで描いた
伊東マンショの肖像画がミラノで発見され、改めて天正遣欧使節への関心が高まりました。
使節の残した歴史的痕跡を掘り起こし、その事績全体に光を当てようとする私どもの企画に、
ご支援ご協力をいただきたくお願い申し上げます。
天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会
実行委員長 高祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
天正少年使節のもたらした意義
当時の日本において、天正遣欧少年使節の派遣は途方もなく壮大なプロジェクトでした。
当時のヨーロッパに初めて日本という国を知らしめ、さらには活版印刷機など
西洋の先進的な技術や文化を日本にもたらす……
これを出発当時、わずか13才~14才の有馬のセミナリヨで学んだ少年たちが成し遂げたのです。
ヨーロッパでは膨大な数の書物や冊子が出され、彼らのことが伝えられました。
400年経った今でも新たに発見される資料が後を絶たず、
当時の衝撃がいかに大きかったかがうかがわれます。
少年たちの旅は歴史の海を越えて、いつまでも私たちに語りかけてくるのです。
16世紀初頭のポルトガル船
熱狂的な歓迎、ローマ教皇への謁見
インド洋で大しけにあったり熱帯域で熱病にかかるなど、航海は困難を極めるものでした。
使節一行がインドおよび南アフリカ喜望峰まわりでポルトガルのリスボンに到着したのは1584年8月、
じつに出発から2年6ヶ月が経っていました。
一行の訪問は驚きと歓迎をもってヨーロッパ諸国で受け入れられ、
スペインのフェリペ2世をはじめ行く先々で国王や領主たちに歓待されました。
その際、少年たちは知性ある振る舞いで応え、ヨーロッパ人を感嘆させたそうです。
その後、一行はローマに入ると教皇グレゴリオ13世との謁見に臨みます。
教皇は83才という高齢でしたが、日本からの訪問を心から喜び、少年たち一人ひとりを抱きしめました。
彼らにとっては限りなく至福な瞬間だったに違いありません。
謁見の図
栄光から一転、禁教が加速する日本への帰国
1586年4月12日、ようやくポルトガルのリスボンを出発した一行は途中、
強風でメインマストが折れるなどのアクシデントに見舞われます。
そして長崎港にたどり着いたのは1590年7月、じつに8年半におよぶ長旅を終え日本へ戻ってきたのです。
翌年には京都の聚楽第で豊臣秀吉に謁見しました。
このとき少年たちが披露した西洋音楽に秀吉は大いに喜び、何度もアンコールしたといいます。
しかしその後、キリスト教への弾圧は加速していき、彼らの栄光もまた消されてゆく運命をたどるのです。
本の概要
<内容>
【1】旅立ちまで
メッセージ・フランシスコ教皇(第266代ローマ教皇)〈予定〉
1)4人の少年が生まれ育ち、出立までの前史
2)少年使節を支えたキリシタン大名について
3)リスボンまでの航海記録、寄港地の全記録(少年たちの様子など)
7)少年たち一行の様子を伝える現地の記録
8)帰国 リスボン-長崎
9)帰国後の少年たちとキリシタンの状況
10)まとめ 少年たちの果たした役割
【2】少年たちが持ち帰った西洋
【3】潜伏キリシタンとヨーロッパ・日本
1)岩倉具視使節団のヨーロッパ
2)南蛮文学由来
<仕様>
【発 行】 天正遣欧少年使節記録図譜刊行委員会
【発行人】 高祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
【編集人】 伊藤玄二郎(鎌倉ポルトガル協会会長)
【執 筆】 前田万葉(カトリック枢機卿)
デ・ルカ・レンゾ(イエズス会管区長、元日本二十六聖人記念館館長)
五野井隆史(東京大学名誉教授)
平田豊弘(天草キリシタン館館長)
坪根伸也(大分市教育委員会 文化財課専門員)
高祖敏明(上智大学名誉教授・前聖心女子大学学長)
山口道孝(カトリック司祭)
ペドロ・カナヴァロ(パッソス・カナヴァロ財団理事長、元リスボン大学教授)
アレシャンドラ・コルベイロ(リスボン新大学教授)
他
【刊行予定日】 2024年5月末日
【体裁】 菊倍判(302×215mm)上製本函入り 304ページ オールカラー DVD付
日本語・英語併記
【発行部数】 限定1,000部(番号入り)
【制作・発売】 かまくら春秋社
【予 価】 25,000円+税
実行委員会概要
プロジェクト名:信仰とロマンに生きた少年たち
「天正遣欧少年使節」出版プロジェクト
目 的:天正10年(1582)に長崎を出港した4人の少年は、マカオ、インド、アフリカを経由して
2年に渡る艱難辛苦の末にようやくリスボンに到着します。
ポルトガル、スペインを経て、イタリアに入りローマ教皇に謁見します。
帰路は、また大西洋、インド洋経て、長崎に戻ったのは8年後の天正18年(1590)でした。
遥かはなれたヨーロッパを目指し荒波をのりこえ異国の地での体験は、計り知れない感動に
満ちたものがありました。
少年たちが持ち帰り今に受け継ぐヨーロッパの先進的な文化や海外で記されている
少年たちの資料もたどりながら、自分の命を顧みず海を渡った少年たちの
心のなかにあったのは何であったか。
信仰と栄光とロマンに満ちた少年たちの足跡の全記録の集大成として、後世に残す
一冊とします。
本書は日本語・英語の併記とし、世界の研究機関にも寄贈されます。
天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会
実行委員長 高祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
実行委員 ・衛藤征士郎(日本ポルトガル友好議員連盟会長)
・松本吉郎(日本医師会長)
・ペドロ・カナヴァロ
・前田万葉(カトリック枢機卿)
・古川洽次(南蛮屏風下張り文書修復実行委員会会長)
・上田良一(東京藝術大学監査、前NHK会長)
・宮内孝久(国連UNHCR協会理事長、神田外語大学学長)
・中村倫明(カトリック長崎大司教)
・山口道孝(カトリック司祭)
・松尾隆之(大阪ポルトガル協会)
・前川 清(歌手)
・伊藤玄二郎(鎌倉ポルトガル協会会長)
配信元企業:天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会
コメント