「国道」として国が管理する道路の中で、峠部分で「階段」「登山道」になっていて通行困難な区間、いわゆる”酷道”が存在します。なぜこんな道路が生まれたのでしょうか。

「何が国道だ!」と言いたくなるショボい道

「国道」として存在する道路の中には、一部が「けもの道」「登山道」になっていたり、それでなくとも狭隘・急勾配・急カーブの連続で車両の通行困難な道路があったりします。青森県にある国道339号には極めつけとして「階段国道」なるものまで。

国道なのにしょぼい道というギャップや、走行のスリルを求めて愛好するドライバーは多く、"酷道"という俗称も広まっています。実は、こうした酷道が存在することは「当たり前」といってもいいのかもしれません。その理由は、国道の生まれる過程にあります。

まず「国道」と呼ばれる道路は、「一般国道の路線を指定する政令」という法規で指定されます。その指定方法はかなりアバウトで、主に「ここから、ここまで」という記述のみ。例えば国道298号は「和光市大字新倉字江川千六百三十九番一から市川市高谷二千二十三番の三まで」となっています。

では、地図で目にする具体的な「国道のルート」はどう決められているのでしょうか。それは、道路法第18条にもとづく「道路区域」として決定されます。

区域決定は「この空間が道路である」と決める重要な手続きで、完成後「供用開始」の手続きが済むと、そこは道路交通法に書いてある「道路」とみなされるようになります。歩道を広げたり、側溝を外側に新設するなどの些細な変更でも、道路管理者はそのたびに「道路区域の変更」「供用開始」を行います。

この「道路区域」の指定にかかる手続きの書類は、添付図面上に色を塗って、「ここが道路です」と示します。大規模な新設道路の場合、図面は何枚にもおよびます。

"酷道"が生まれるのは「ごく当然のこと」だった

ところで、国道の誕生の瞬間である「路線認定」は先述のとおり、「この街からこの街まで道路を作らなければ」という「意思表示」でしかありません。道路としての実態があるかどうかは別の話です。認定した国道の起点と終点のあいだに急峻な山が立ちはだかっていると、道らしい道などあるはずがないのです。

しかし、道路法第18条では「路線の認定(略)された場合においては、遅滞なく、道路の区域を決定し」なければならないとされています。

今からまともな道を作ろうとしているのに、道路区域など決定できるのか。というわけで、とりあえず起点と終点を、「ありものの道や、それらしいルートでとりあえず繋げた」という状況が発生します。急峻な山があれば、大昔から人が行き来したケモノ道や登山道がどこかにあるので、それを「とりあえずの道路区域」にしてしまうことがあります。

たとえば、福井県南越前町と池田町のあいだをむすぶ国道476号は、地図で見るとまったくつながっていません。しかし、道路区域が描かれた「道路台帳基図」を見ると、地形図の点線すら無い山肌に、明確に道路の形があります。「無理やり道路区域にした」ので、幅員は狭いところでわずか1.0m、勾配に至っては「71%」という尋常ではない数字も見られます。

消えゆく運命にある"酷道"

そうした通行困難な”酷道”には、トンネルや橋梁で立派な道路が少しずつ整備されていきました。日本の国道は徐々に、起点と終点をスムーズに移動できる、「本来めざした形」に近づいているのです。つまり"酷道"は本質的に、いずれはゼロになる運命にあります。

これまで"酷道愛好家"の中で親しまれてきた四国の「国道439号」や紀伊半島の奥地を行く「国道168号」も、改良やバイパス整備が各地で整備進行中。そのうち酷道の記憶も薄れていくかもしれません。

完全に廃道と化していた岐阜県八百津町周辺の「国道418号」にも、壮大な橋梁とトンネルで山を一気に抜ける「丸山バイパス」が整備中。果てしない林道区間が続く福井・岐阜県境の「国道417号」には長大トンネルで山地をつらぬく「冠山峠道路」が今年度中の開通予定となっています。

丸山バイパスは、「新丸山ダム」で沈む現道の付け替えとして一気に事業が進んだもの。冠山峠道路も、国道8号が寸断された際の代替路としての重要性を受けて、工事が進められることとなりました。道路予算には限りがあるため、重要度に優先順位をつけつつ、毎年各地で整備計画が新規事業化しています。

少しずつ数を減らしていく"酷道"に対し、ひどい県道、称して"険道"もまだ各地に残っていますが、こちらも解消に向かいつつあります。

国道を走っていると、脇道に木々にまぎれて小さな道路が分岐したり合流したりするのを目にすることがあります。それはかつて"酷道"として存在し、バイパスの完成を見届けて自然に還ろうとする道路なのかもしれません。

山奥の狭隘な国道(画像:写真AC)。