(つげ のり子:放送作家、皇室ライター)

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ナポレオンの戴冠式は「王冠」を被らなかった?

 世界最大級の規模を誇るパリのルーヴル美術館には、あの「モナリザ」をはじめ、数多くの名画が展示・所蔵されているが、その中でひときわ目を引く大作がある。

 それが横9.79m・縦6.21mもの巨大な歴史画、「ナポレオン一世の戴冠式」だ。

 一介の軍人からフランス皇帝までのし上がった“英雄”、ナポレオン・ボナパルトが、国家の独裁的頂点に君臨する瞬間を描き、画面から伝わる荘厳な迫力は、今も色あせてはいない。

 しかし、「ナポレオン一世の戴冠式」と呼ばれているものの、この絵画はナポレオンが王冠を被る場面ではない。なんと妻のジョセフィーヌに冠を授けている場面を切り取っているのだ。

 戴冠式とは、その言葉の通り冠を頭上に戴くセレモニーであるにもかかわらず、主役のナポレオンは月桂冠をかぶり、ジョセフィーヌに今しも冠を施そうとしている。

 この時代、フランスでは王位に就く場合ローマ教皇を招き、教皇から王冠を授けてもらうことが通例であったが、ナポレオンはどんな権威よりも自らが上であるとして、これを拒否。しかし、それでは絵にならないため、やむなくジョセフィーヌに冠を授けたという演出にしたのだという。

 それだけナポレオンは、皇帝の権威を絶対不可侵なものとして、絵画にしたのだ。国を統べる王や皇帝には、威厳を高め権威を示すために、時に大仰な仕掛けを施すものなのかもしれない。

チャールズ国王が着席する「聖エドワードの椅子」の意味

 ナポレオンの戴冠式が行われたのは、1804年12月。パリのノートル・ダム大聖堂であった。

 それから219年後の今年5月6日ロンドン時間午前11時(日本時間午後7時)に、英国では70年ぶりとなる、チャールズ国王の戴冠式が行われる。

 それは1000年以上にわたり継承されてきた、長い伝統を物語る神秘的かつ近寄り難い空気が支配する重厚な儀式だ。

 初めてウェストミンスター寺院で戴冠式を行った英国王は、1066年に即位したハロルド2世。以来、同寺院では、前のエリザベス女王まで39回の戴冠式が行われてきた。チャールズ国王は、ちょうど40回目の戴冠式となるのだ。

 ナポレオンは自らの上位に権威を認めなかったが、英国では王冠を授ける役割を、同寺院の大司教が担う。いわば神に選ばれし王であるとともに、英国国教会の長であることを、大司教が神に代わって認めるということなのだろう。

 国家のアイデンティティとも言える、英国国教会の宗教的裏づけが、いわば王位の正統性の証であり、そこにセレモニーとしての神秘性が付与されている理由でもある。

 民主主義の国ではあるものの、世襲によって受け継がれていく王の存在は、「宗教」と密接に関わり、それによって国民も納得している部分が少なからずあるのだろう。戴冠式をウェストミンスター寺院で行うのも、そうした理由からだ。

 一方、権威を不動にし「我こそが英国王なるぞ」と内外に示す装置も設けられている。

 戴冠式でチャールズ国王が着席し、一連の儀式を行うのは、700年以上前に作られた「聖エドワードの椅子」だ。

 この椅子は、13世紀の国王エドワード一世が、スコットランドとの戦いに勝利した際に奪い取った、スコットランド王家の守護石「スクーンの石」が台座にはめこまれている。まさに、イングランド王がスコットランドを併合し、尻の下に敷くという力の誇示が隠されているのだ。

 いわくつきの玉座もなんのその、堂々と座るチャールズ国王は、右側に十字架が屹立する黄金の球体である「宝珠(ほうじゅ)」を置き、手には研磨された世界最大のダイヤモンド、通称「偉大なアフリカの星」が装飾された「十字架の王笏(おうしゃく)」を持つ。

 これらは「レガリア」と呼ばれ、戴冠式の際に使用する王室は、ヨーロッパではイギリスだけだという。

 ほかにも、希少な宝石を贅沢に使った「腕輪」「指輪」「宝剣」など、権威とともに常識外れの富を誇る装飾品は数知れず、国王を煌びやかに飾っていく。

英国の「レガリア」に似た天皇即位の「三種の神器」

 では日本ではどうかというと、実は天皇の即位にも神道の伝統が色濃く反映され、英国の「レガリア」に似たものが存在する。それが「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」だ。

 即位に際して天皇は、「天叢雲剣(あめのむらくもつるぎ)」と「八咫鏡(やたのかがみ)」、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の三種の神器が継承されるのだが、今上天皇は上皇陛下が退位されるとともに受け継がれた。

 同時に「三種の神器」の他にも、天皇が公式に用いる印章である「御璽(ぎょじ)」と「国璽(こくじ)」も引き継がれる。

 当然ではあるが、英国のように宝石が散りばめられているはずもなく、また天皇といえども直接三種の神器を見ることも触ることもできない。

 古代から伝わる天皇の証しである神器の神秘性は、代々世襲されてきた天皇の血脈に、一定の説得力を与えている。

 また海外の王室による戴冠式と同じように、即位の事実を表明する儀式は、日本では「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」に当たり、天皇は宮殿の松の間に設置された、「高御座(たかみくら)」に入り、内外に即位を宣明するおことばを発する。

 この高御座こそ、英国の「聖エドワードの椅子」と似た歴史的遺物であり、原則として「即位礼正殿の儀」以外に使用されないことから、儀式における特別感を高めてくれる。

 そして天皇は、この高御座に入られる時、天皇だけが身にまとうことの出来る装束、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を着るのだ。この衣装もまた国の唯一無二の権威を一層引き立ている。

日本も英国も「即位の儀式」は宗教と一体化

 エリザベス2世1953年に行った戴冠式では、金糸と銀糸で英連邦諸国の紋章が刺繍された、約7mもの絹のローブを着用し、子供たちがローブの後ろを持って入場したという。果たしてチャールズ国王は、どんな衣装で登場するのだろうか。

 一説によれば、物価高騰で苦しむ庶民感覚を考慮し、豪奢な衣装ではなくエリザベス女王の葬儀で着用した軍服姿で戴冠式に臨むとも言われている。

 こうしたチャールズ国王の意向に従い、主要なロイヤルメンバーの装いについても、リラックスしたものになるのではと言われている。

 そして、日本も英国も一連の即位の儀式において、最も宗教的なのが「大嘗祭(だいじょうさい)」と「聖別(せいべつ)」だ。

「大嘗祭」は即位後に行われるもので、皇居に作られた大嘗宮に穀物を供えて天皇自ら一人篭り、国民の安寧と五穀豊穣を、皇祖天照大神をはじめとする神々に祈りを捧げる。ただしその内容は秘事であるため、具体的にどのようなことが行われているのかはわかっていない。

 英国でも国王の戴冠において、神聖で秘密の儀式とされるのが「聖別」である。チャールズ国王は、「聖エドワードの椅子」に座ると、天蓋とカーテンによって周囲から隠され、その中で国王として神聖な存在へと変容させる儀式が行われるという。

 これが「聖別」と呼ばれる通過儀礼であり、チャールズ国王を、世俗の人間から聖体へと変えるキリスト教の儀式なのだ。

チャールズ国王の威厳を最もよく表している「正式称号」

 こうしてみれば、ヨーロッパの国王の戴冠式とは、ナポレオンの時代よりもずっと以前から、絶大な権力を知らしめるセレモニーであり、国民はその強大な力に恐れ入ってきたのだ。

 もちろん、現代ではそうした力の誇示は形骸化し、華やかなイベントとして機能しているが、国王の威厳を内外にアピールする仕掛けは、変わってはいないようだ。

 ちなみに、その威厳を最も表しているのが、以下のチャールズ国王の正式称号だ。

「神の恩寵による、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国およびその他のレルムと領域の王、コモンウェルス首長、信仰の擁護者であるチャールズ3世」

 願わくば、世俗の権威に拘泥することなく、チャールズ国王には、英国民のみならず世界中の人びとのために、生前のダイアナ妃が話していた言葉を、この機会にもう一度噛み締めてもらいたいと切に願う。

「人には見返りを求めずに親切にすることよ。だってあなたにもお返しができないほどの親切を、これからたくさん受けるのだから」(故ダイアナ妃 生前の言葉)

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