将棋ブームに押されている囲碁界。最近では、戦前に創設され数多くの名勝負を生んできた「本因坊戦」の優勝賞金が2800万円から850万円になったり、二日制七番勝負を一日制五番勝負にしたり、リーグ戦を止めてトーナメントにするなど、大幅縮小ぶりが話題となった。今後、伝統文化である囲碁をどう継続し、発展させていけばいいのか。低年齢化、国際化、囲碁AIの台頭など、新しい局面や課題も次々出るなか、かつて大ブームを巻き起こしたマンガ『ヒカルの碁』を監修し、普及活動に注力している吉原由香里六段に、囲碁界復活のための処方箋を聞いた。
【聞き手・文:田中宏季(JBpress編集部)/構成:内藤由起子(囲碁観戦記者)】

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前編「『ヒカルの碁』ブームを率いた吉原由香里六段が語る”囲碁界の未来”」を読む

仲邑菫女流棋聖を筆頭に棋士の低年齢化が加速

――仲邑菫女流棋聖をはじめ、いま囲碁界で活躍している人の低年齢化が進んでいますが、それは子どものころからやっていたからなのでしょうか、それとも他に要因があるのでしょうか。

吉原由香里さん(以下、敬称略) ひとつは、囲碁が強くなるための環境が以前よりはるかに整ってきたことが大きいと思います。やる気のある子なら学べる場もありますし、学習できるツールもたくさんあります。

――仲邑さんのあとの注目棋士として、小学生でプロになった柳原咲輝初段など続々と強い若手も出てきましたね。

吉原 柳原さんの棋譜を見ましたが、本当に強いですよね。注目の若手としては福岡航太朗四段などもいますが、みなプロ入り直後でもプロ上位と遜色ないほどの実力があるといえます。とはいえ、囲碁界は層が厚く強い人も多いので、勝ち上がるのはなかなか大変です。

――ただ、10代の棋士の活躍は、囲碁界にとっては明るい展望といえますね。

吉原 もちろんです。菫ちゃんがテレビのインタビューで「これから入ってくる若い子のためにも尊敬される存在になりたい」と話していて、すごい時代になったなと改めて実感します。

――今後は女性が一般(男女混合)棋戦でタイトルを獲る可能性もありますね。

吉原 十分にあると思います。特に菫ちゃんは14歳にしてあのレベルですからね。井山裕太本因坊もインタビューで、「仲邑さんがタイトルを挑戦したとき、それを受ける立場でいたい」と話していました。井山さんはリップサービスでそういうことを言うタイプではないので、本当に評価しているのだと思います。

囲碁AIの進化で棋士の出番はなくなるのか?

――碁が強くなるツールというと、近年はインターネットで強い人と対局することもできますし、囲碁AIも登場しています。

吉原 そうですね。私たちの時代は碁を打とうと思ったら、相手がいるところに行く必要がありました。そして、強くなるために強い人がいる碁会所を探したものです。そこで運良く強い人に出会えて打ってもらえたとしても、上手な方からすれば自分より明らかに弱い人と打つことは指導になります。ですから、その方のご厚意によるものですし、熱心に指導してくださるがゆえにちょっと怖い方もいたりして、それはそれで緊張しました。

 今はいくらでもインターネットで世界中の強い人と打てますし、わからないことがあればAIに聞くこともできます。

――AIがますます進化すると、棋士の出番がなくなるという人もいますが。

吉原 そうなるかもしれませんが、やはり人間に教わったほうがいいですよね。AIはしゃべらないので、AIの手を理解するのにはそれなりの棋力や受け取り手の咀嚼力が必要なのに対し、人間は適切な言葉をかけて導いたりもできます。

 また、人間は好きな打ち方、パターンがありますが、AIがその人に合ったアドバイスをしてくれるかというと、まだそこまで優れてはいません。たとえば私もそうなんですが、「攻め」が好きな棋風でもAIは形勢判断が優れているので、バランスのいい手しか教えてくれません。だからいくらいい手を教えてくれたとしても私の感覚では勝てる気がしませんし、そのあと打ち継いでいけないのです。

 その点、私は師匠(加藤正夫名誉王座)も攻めの棋風だったので、師匠に育ててもらえたことがありがたかったですね。私に合うアドバイスをしてくださるので、素直に頭に入ってくるし、その通りに打つと本当に勝てるようになるのです。

――“AIソムリエ”と呼ばれる関航太郞天元やAIを駆使していることで有名な上野愛咲美女流名人らプロは、強いからこそAIを使いこなしているのですね。

吉原 そうです。トッププロはAIの打つ手を咀嚼する能力がありますし、たくさんの時間をかけてAIに力を注ぎ込んだ結果、ますます強くなっているということです。

日本囲碁界の悲願「世界一」は実現するか

――AIの活用にかかわらず、棋士のレベルは確実に上がっていると感じます。

吉原 これまでタイトルを60も獲ったレジェンド棋士の小林光一先生(名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖)がテレビ棋戦の解説で「棋士のレベルが全員、上がっている」とおっしゃっていました。光一先生にお話しいただくと、とても説得力があります。

――日本囲碁界の悲願でもある「世界一」も夢ではないですね。

吉原 そう願っていますが、他の国もどんどん強くなっていますからね。韓国の申眞ソさんなどは、それこそ頭の中がAIになっているんじゃないかっていうほど強い(笑い)。ですから今の若い棋士は結局AIの多くを身につけていくしかないんですよね。

──申眞ソさんの打つ手はAIの一致率が非常に高く、「“申”工知能」と呼ばれているほどです。そうなると、七冠を2度獲得した井山裕太本因坊のように、AIを取り入れつつも、自分の棋風、個性をどう出していくかを考えている棋士には難しい局面ですよね。

吉原 井山さんのように強いながらも個性が出る碁は、見ている側としても面白いですし、何よりかっこいいですよね。

 昔の先生たちは、一人一人ものすごい特徴がありました。たとえば武宮正樹九段は“宇宙流”と呼ばれていましたし、私の師匠の加藤先生も“殺し屋”という異名がついていました。そうやって名前がつけられるくらい特徴を持っている先生がたくさんいて、それがまた碁の魅力だったんです。ファンのみなさんも「自分は宇宙流で行く」「美学(大竹英雄名誉碁聖の特徴)で行く」とか真似しながら碁を打つ。そういう面白さがありました。

想像を絶する井山裕太本因坊の「強さ」

──特に井山さんはAIで育った世代でもありませんしね。

吉原 井山さんはいっとき成績が落ちた時期もありましたが、コロナでお休みの期間にAIもかなり研究されたのでしょう。何かを身につけたかのようにまた勝ち出されました。

 井山さんの能力や奥深さはレベルが違います。誰も成し遂げられなかった七冠制覇を2回も達成しているうえ、猛烈に忙しいスケジュールの合間を縫って出場した世界戦「テレビアジア選手権」で優勝、「農心杯(日中韓三カ国対抗勝ち抜き対抗戦)」では4連勝もしています。

 また、本因坊戦では前人未到の11連覇を達成しています。その時最も旬な棋士が挑戦者に名乗り出てくるタイトル戦で11連覇するということは想像を絶する記録です。そして、今月からは12連覇をかけた戦いが始まります。井山さんの偉大さはここでは語り切れないほどです。

 ただ、これまで井山さんは日本のタイトル戦で勝ち続けていたのに、世界戦にはあまり出られませんでした。なぜかというと、中国や韓国主催の世界戦は対局日程が急に決まることがあるからです。日本は例えば七番勝負の日程などは一年近く前に決まっているのですが、中国や韓国は「2カ月後に大会をやりますから、日本代表を出してください」といった感じです。

 井山さんのように七冠を持っていたら、棋聖戦は3カ月の日程を押さえ、そのほか本因坊戦3カ月、名人戦3カ月、他の棋戦は2カ月ですからどう考えても無理なんです。それで世界戦にあまり出られなかったという事情がありました。

――井山さんの世界戦活躍には高いハードルがあったのですね。

吉原 井山さんが20歳で史上最年少名人を獲得し七冠制覇したくらいの期間に世界戦にどんどん出られる環境があったら、いまの日本の地位がどうなっていたかわからなかったと思います。

棋士一人一人に求められる普及活動と「発信力」

――囲碁界はいま大きな変化もあり、過渡期を迎えていると思います。将棋に比べて人気が低いとの厳しい指摘もありますが、現状と未来に向けて何か処方箋はありますか。

吉原 私たち棋士はプレイヤーでありながら、囲碁をもっと普及させる役割も担っています。人気スポーツならプレイする姿を見せるだけで人気が高まったりしますが、囲碁はルールを知らない人が見たらよくわからないものだけに、魅力を伝えていくことを怠ってはいけないと考えています。

 もちろんそう思って活動している棋士もたくさんいますが、もっともっとそれを棋士一人一人が認識して、自分にできることをみんながやっていったら囲碁界も必ず変わると思っています。

――将棋の世界では、藤井聡太六冠の活躍によって将棋人気が高まっているように、囲碁も井山本因坊、一力遼棋聖らが世界に勝ち、魅力ある碁を打つことで普及につながる気もします。

吉原 井山本因坊、一力棋聖、芝野虎丸名人らの対局は最高に面白く、常に注目を集めています。ぜひこれまでのように素晴らしい碁を見せていただき、世界戦でもご活躍いただきたいです。そのことは言うまでもなく囲碁の普及につながります。

 将棋は藤井さんの活躍が目立ちますが、人気の要因はそれだけではないと思います。たとえば、香川愛生女流四段や山口恵梨子女流二段などはSNSやYouTubeを活用して魅力を伝えています。

 囲碁界でもYouTubeに力を入れる棋士が増えてきました。私は今までSNSをまったくやっておらず、Twitterを始めたのもここ数年ですが、これからは多くの棋士が発信力を高めていく努力をしたほうがよいと考えていますし、私もできることをひとつひとつやっていこうと思っています。

 棋士自らが愛する囲碁の魅力をさまざまな形で伝えていけば、それが大きなエネルギーになるでしょう。本当に囲碁は面白いんです。奥深くさまざまな変化に富んでいて、人間らしさがにじみ出ます。知力を尽くしたタイトル戦は、ヨミの深さに震えるような感動があります。そんな囲碁の魅力が伝われば囲碁界はもっと輝くと信じています。

 今回、本因坊戦が大幅縮小になりましたが、逆に言えば危機意識はより高まったと思います。これを機に私たちができることを模索して、できることを精一杯やる。そして、プロ以外の囲碁を愛してくださっている多くの関係者やファンの方々にもご協力いただき、大きな力で盛り上げていきたいです。

 囲碁の魅力は計り知れません。最近、研究会などで、リアルタイムで対局されている碁を検討していると本当に楽しいんです。打った手から対局者の心理を想像したり、AIの示す想像を絶する手に感動したり。「囲碁が趣味だったら最高だね」とよく棋士同士で話しています。

やる気やエネルギーに満ちた棋士が揃っている

――吉原さんは最近では囲碁入門者のための無料アプリ「囲碁であそぼ!」の開発にも携わりました。

吉原 開発期間の1年半は、関わった棋士たちといろいろなアイデアを出し合ったり問題を作ったりと大変でしたが、とてもかわいく楽しいアプリになりました。これを使ってたくさんの子どもたちに碁を始めてもらいたいです。

 子ども向けのアプリですが、大人も楽しく囲碁を学べる要素がたくさん入っていますので、ご家族で囲碁に触れていただけたら嬉しいです。我が家でもルールがやっとわかるくらいの息子に「母ちゃんのアプリ、意外に面白いね」とお褒めの言葉をもらいました(笑い)。

――吉原さんは棋士としても昨年、仲邑菫女流棋聖と打つなど注目されました。

吉原 報道関係者の人たちは何とか菫ちゃんのベストショットを撮ろうと、ずっと私の背中からカメラを向けていました(笑い)。これまではとてもありがたいことに私に注目いただくことが多かったのですが、菫ちゃんのような次世代のスターがでてきたことは、本当に嬉しく思います。

 菫ちゃんだけではありません。上野(愛咲美女流名人・女流立葵杯・若鯉杯)さんにしても、藤沢(里菜女流本因坊)さんにしても、若手の男性強豪を倒して若鯉戦で優勝したりと男女の枠を超えた活躍をしていて本当に素晴らしいですし、やる気やエネルギーに満ちていて、みんな素敵な棋士たちばかりです。

 もちろん男性棋士も含め、いま囲碁界は強くて魅力あふれる棋士たちが次々登場しています。多くの皆さまが囲碁によって人生が楽しくなり、囲碁ファンとともに真摯に囲碁に取り組む棋士たちも幸せに碁を打てる囲碁界であり続けてほしいと切に願っています。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  『ヒカルの碁』ブームを率いた吉原由香里六段が語る“囲碁界の未来”【前編】

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吉原由香里六段(撮影/宮崎訓幸)