帝政ロシア旧ソ連時代を含め、日本にとってロシアは脅威である一方、隣国として付き合わざるを得ない微妙な関係の相手である。直近では2022年のウクライナ侵攻もあり、日本を含む西側諸国との亀裂も深まっている。そのロシアと我々はどういう関係を築くべきなのか。元駐露外交官がみた、一筋縄ではいかないロシアロシア人の姿とは——。

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(*)本稿は『ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす』(亀山陽司、NHK出版新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

ロシア人は「無法者」か

 我々日本人は、太平洋戦争時に日ソ中立条約を破棄して対日参戦してきたソ連について、また現代においてもクリミアを一方的に併合し、隣国ウクライナに突如として武力侵攻したロシアについて、「無法国家」だというレッテルを貼っていないだろうか。そもそも「無法国家」とは何だろうか。

「無法国家」は、字義的には法がない、または法を守らない国ということになるが、ロシアであれ中国であれ、国際社会で一方的な行動をとっていると考えられている国々も、国内法を整備した法治国家という体裁を整えている。

 実際、ソ連やロシアにおける法律の力は絶大であり、ロシア語で「法執行機関」と呼ばれる警察や治安機関などの行政組織は、頑ななまでに法律に則って動いている。ただ、その法律が恣意的に運用されることがしばしばあるだけの話である(それが一番の問題なのだが)。

 例えば、多国間の領事機関について定めた「領事関係に関するウィーン条約」というものがある。これによって総領事館の職員は空港の税関検査を基本的に免除されている。しかしある時、日本の総領事館員に対して、荷物検査を執拗に行おうとしてきたとしよう。

 もちろん、個人的な荷物であり、特に見られて困るものが入っているわけではないが、ウィーン条約に鑑みても、ロシアの税関のこうした行為は日本総領事館員に対する嫌がらせであり、彼らを侮辱するものだと思われても仕方がない。そういう場合、領事館側は文書において税関の行為に対して抗議することになる。

 これに対して税関側は(税関もロシアの「法執行機関」である)、ウィーン条約の条文に加えて、ロシアの法律の条項を細かく引用して、自分たちの行為が法に基づく正当なものであることを主張するのである。

 総領事館員の税関検査の免除を定めるウィーン条約第50条3項には、ただし書きとして「輸出入が接受国(この場合はロシア)の法令によって禁止されているか、接受国の検疫法令によって規制されている物品が荷物の中に含まれていると信じる十分な理由がある場合には」検査を行ってよいとあるからである。

 このようにロシアという国の行政機関は、日本以上に法律にうるさい反面、その法律を縦横無尽に利用して自分たちのやりたいことをやるところがある。ロシアの政治権力にとって、法律とは、権力の濫用を防ぐためのものではない。むしろ、「法執行機関」が自らの行動を正当化するための「道具」という側面があるのだ。

巧みな理論武装

 そしてそれは、国際政治の場においても全く同様である。ロシア外務省は、国際条約の条文に非常に精通している。交渉をしていても、何年に締結された何という条約に、何々と書かれているとか、何年前の交渉の議事録によれば日本側はこう言っている、というようなことを細かく指摘する。要は、理路整然とした口喧嘩が非常に巧みなのだ。

 ウクライナ侵攻についても、誰はばかるところなく堂々と正当化の論理を展開している。いわく、ロシアウクライナ東部地域ドンバスのドネツクルガンスクの独立を承認し、防衛のための条約を締結した、ウクライナがドンバスを軍事的に脅かしているため軍事介入した、これは国連憲章でも認められている集団的自衛権の行使である。

 またいわく、ウクライナのNATO加盟は断固阻止されなければならない、なぜならばNATOの拡大はロシアの安全保障を害するものだからである。欧州安全保障協力機構(OSCE)の各種宣言(例えば2010年12月3日アスタナ宣言第3条)においては、加盟国は同盟や中立の自由を有するが、一方で、自国の安全保障を強化するために他国の安全保障を犠牲にしないことが謳われている。ウクライナのNATO加盟はロシアの安全保障を犠牲にするものであり認められない、といったものである。

 ちなみにOSCEは冷戦時代の1970年代に欧州安全保障協力会議(CSCE)として、アメリカを中心とするNATOとロシアを中心とするワルシャワ条約機構の間で兵力削減や信頼醸成を目的として立ち上がったもので、アメリカもロシアウクライナも加盟している。

 ロシアの言い分はそれだけ聞けばいちいちもっともで、筋が通っていると感じられる。こういう法的、政治的な理論武装を常に心がけているからこそ、ロシア国際政治の場で堂々と自らの立場を主張することができるのである。

 また、外交の場で出会うロシア人は粗野な無法者というイメージとは正反対の人々である。極めて礼儀正しく、理性的で冷静である。決して声を荒らげて感情的になることはない。失言も少ない。

 その代表格がプーチン大統領である。彼は酒も飲まず、タバコも吸わない(とされている)。国民や国際社会に対して長々と自分の言葉で演説することができ、記者や国民の質問に対しても冷静、的確に答え、切り返す。この人は洗練されていると人々に感じさせる。

 日本で報じられる姿は、切り取られた一部分であったり、一面的であったりして、また違う印象を与えるかもしれないが、彼がロシア史の中でも稀有な政治家であることは疑う余地がないだろう。

忍耐強さの源泉

 外交交渉の場で出会う典型的なロシア人の姿を描写してみよう。

 まず、彼は部屋に入ってきた我々を立って出迎え握手を求める。席についた彼らは椅子の背板にもたれるようなことはしない。両手は軽く組んで机の上にそっと置いている。これが礼儀正しい話の聞き方とされているのだろう。

 こちらが話すことはちゃんと聞き、話に割り込むようなことはしない。表情はにこやかであるか、または無表情である。概して日本側代表の方がだらしなく座っていることが多いくらいだ(私もそうだった)。逆に不自然に親しく歓待してくれるような場合には、何か魂胆があると考えた方がいいだろう。

 これだけを見ても、ロシア人は交渉者として決して油断してはいけない相手であることがわかるのではないだろうか。つまり、相手に隙を見せないことを信条にしているのだ。しっかりと理論武装し、礼儀正しく、そして忍耐強い。こういう相手を前に、自分の主張を通すのは簡単ではない。だからロシアを相手にした交渉は難しいのである。

 ちなみに、ロシア人の忍耐強さは教育によって培われたものというよりは、社会生活の中で自然に身についたものと思われる。今はそれほどでもないかもしれないが、私がロシアに行った2000年代にはまだ至るところに行列があった。

 まず、長距離列車の切符を買うのに長い列に並ぶという洗礼を受けた。役所の窓口にも行列がある。郵便局で荷物を受け取るにも行列。そして私が一番よく並んだのがマクドナルドのレジの行列だ。並んだ行列の先にレジがなかったこともある。そうなると並びなおしである。

 とにかく忍耐だ。忍耐しなければ何にもありつけない。そして、黙ってずっと並んで、自分の番が来れば、これは私の権利だと言わんばかりに居座って用を済ますのである。自分のものになったものは決して手放さない、という強い意志のようなものを感じる。

 こうした彼らの気質には苦い思い出がある。

 ロシアに赴任したてのころ、モスクワ大学の近くのマンションの一室を借りていたのだが、別の部屋に引っ越すことを告げたら、家主の女性から最後の月の家賃を払えと言われた。最後の月の家賃は入居時に払っていた敷金を当てるという約束だったと言うと、敷金は部屋を出るときに返却するということだった。

 しかし、案の定というべきか、部屋を出る日になって、返さないと言い出したのである。約束が違うではないかと食い下がったが、一度渡したお金は絶対に返さない。

 いくら約束を思い出させようとしてもあれこれ言い立てて全く取り合ってくれない。相手の手に握らせてしまえば、それを取り返すには力ずくで取るしかない状況になった。

 もちろんそんなことはできない。私はただ、決して物理的に相手に現物を握られるような状況に陥ってはならないのだという教訓のみをかろうじて得た。

 ロシア人は「交渉」という名の「ケンカ」が上手である。交渉もケンカも、いざこざを解決するためか、何かを分け合う状況にあるときに使われる手段である。平和的(非暴力的)であるか、暴力的であるかの違いである。交渉は非暴力的な手段であるが、勝つためのやり方はよく似ている。

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外交の場では常に理性的で冷静で、感情的になることはないロシア人。その代表格がプーチン大統領だ(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)