君たち若者には無限の可能性がある、などと言う。また、チンケなSFでも、ほんの小さな変更がバタフライエフェクトでまったく別の可能世界を開く、とか、タイムマシンで若い頃に戻って、別の人生をやり直す、とか。

一方、百人一首には、祟りで有名な崇徳院の「割れても末に逢わむとぞ思ふ」という歌がある。滝川が岩に当たって分かれても、その先でまた合流する、という情景を詠んでいる。言葉づらで恋の歌を思われているが、百人一首に採られたころ(承久の乱の後)の盛者必衰の呪いと気づくと、なかなかに恐ろしい。また、朝、玄関を出るのは右足から、と決めていて、まちがって左足から出ると不吉だ、などと思う強迫神経症があるが、路地を曲がるころには、結局、いつもの足取りだったりする。つまり、可能世界などと言っても、かならずしも大きく世界が分岐して、まったく違った人生になるわけではない。

数学は役立たない、つまらない、面倒くさい、と言う人は少なくない。だが、それは高校あたりまでの算術だから。本当の数学は、広義の「数」一般の性質を研究するもので、数字の計算なんかしない。たとえば、群論。数直線上の実数は無限に存在するが、それらでいくら加減乗除を繰り返しても、やっぱり実数。円周率やルート2のような無理数を除いた、整数の分数で表わされる有理数も、やはりいくら加減乗除を繰り返してもやはり答えは有理数で、無理数を作ることはできない。つまり、実数や有理数は、無限は無限だが、加減乗除に関して閉じている。こういうのを研究し、その絶対性を証明したりするのが、数学。

それがどうした、などと言うな。「数」の性質は、一般的で、現実的だ。たとえば、転職。中小企業に勤めていて、いくら自分で転職を重ねても、やはり中小企業。派遣社員で、いくら会社を変わっても、やはり派遣社員。たしかに無限に転職は可能なのだが、いくら転職しても、所属している「群」は変えられない。その無限性が閉じてしまっている。「群」を変え、新たな無限性を開くには、転職という「関数」ではなく、学歴向上や資格取得、ヘッドハンティングなどの別の「関数」が必要だ。

しかし、こんなことをやってみたところで、結局これまた、その新たな「群」で、無限性が閉じてしまっていたりする。外資系に入ってみたところで、またヘッドハンティングされて、あちこちの外資系をさまようだけ。それどころか、こんどは、国内雇用の「群」には無かった突然の大規模リストラによる解雇無職という可能性も加わって、ハイリターンハイリスクのゲームとなり、メンタルにはよりきつくなるだけ。

ところで、ルービックキューブだ。あれは、群論の最たるもの。ブロックを回転させるだけなのだから、ブロックキューブの外に出て行くことは無い。ふつう、あれは面を色を揃える遊びと思っているが、色はブロックの「名前」にすぎない。実際は、6つのセンターと6つのエッジ、6つのコーナーの3種類のブロックがあって、それぞれのブロックが1つ、2つ、3つの色で「ネーミング」されている。重要なのは、まずセンターは動かない。エッジエッジにしか、コーナーはコーナーにしか移動しない、ということ。

そして、ルービックキューブがパズルなのは、ブロックの縦横9つが層としてくっついているために、エッジやコーナーは残りの7つ(センターは動かない)も移動してしまうから。(センター層を回すのは、両サイド層を回したのと同じ。)このために、目的のところに目的のブロックを移動させようとしても、ほかのブロックまで移動して、すでに揃っていたところまで崩れてきてしまい、なかなか全部を思ったとおりには並べられない。

そこで、初心者向けの方法としては、あるブロックを目的のところまで移動するには、まず既成の部分を待避させ、目的のブロックを目的の場所に移動し、その上で崩れたところや待避したところを元に戻す、という三段階の手順を踏む。このとき、最終的には、目的の場所にもともとあった、まちがっているブロックと、目的のブロックとの位置が置換され、目的のブロックが目的の場所に移動するとともに、目的のブロックがもともとあったところにまちがっていたブロックが移動する。

人生も、これと同じ。無限の可能世界がある、なんて、ポジティブに前向きな展望しか持っていないと、これまで築いてきた足元が崩れる。錬金術師等価交換ではないが、なにかを得れば、どこかにツケが回る。たとえば、賃貸より持ち家だ、と夫婦でムリをして家を買うのもいいが、そのムリの結果、夫婦仲が悪くなって離婚、とか。大企業で実績と人脈と信用を築いて独立したものの、だれも仕事をくれなくなった、とか。

可能性は無限かもしれない。だが、現実は閉じている。結局のところ、変革は置換にすぎない。なにかをなにかに置き換えているだけ。目的の物事の変革にばかり目を奪われていて、それで同時に置き換えられてしまうものの側への気配りを忘れると、結局、なにも進まないどころか、これまでに積み上げてきたものまで崩れ去ってしまう。

まず守るべきものを待避して保護。それから行動。そして、その結果で崩れたものや待避していたものを新たな状況に再適合させる。閉じた置換世界では、この三つのステップが必要だ。

可能世界論vs置換世界論:ルービックキューブからの思想