先ごろ開催されたアカデミー賞でポール・メスカルが主演男優賞の候補になったのをはじめ、英国アカデミー賞、カンヌ映画祭など多くの映画祭・映画賞で絶賛を集めた映画『aftersun/アフターサン』がいよいよ26日(金)から公開になる。

本作は主人公の女性が、20年前の夏に父と訪れたリゾート旅行を振り返る様を描いた作品で、大きな事件が起こるわけでも、劇的な展開があるわけでもないが、観る者の心と記憶を刺激する描写がふんだんに盛り込まれ、映画的な魅力が細部にまでつまっている。

本作はなぜ、ここまで観客を魅了するのか? 監督と脚本を手がけたシャーロット・ウェルズに話を聞いた。

ウェルズ監督はスコットランド出身で、ニューヨークを拠点に活動する映画監督。大学院で映画制作を学び、いくつかの短編を手がけた後、初の長編作品にこのプロジェクトを選んだ。

主人公の女性ソフィは、ホームビデオの映像を観ている。あの夏、11歳だったソフィは父に連れられてトルコリゾート地に出かけた。いつもは離れて暮らしている父との日々。ビデオに記録された空はどこまでも青く、ふたりは朝から晩まで遊んで、穏やかに時間が過ぎていく。しかし、ソフィはビデオ映像にうつる父の知らなかった一面を見つけ出していく。

本作では劇中で父の知られざる一面が劇的に描かれることはない。しかし、観客は11歳のソフィの目を通して父との日々を眺めているうちに、父の抱えているものに少しずつ気づいていく。

「多くの映画監督は“ストーリーを伝えるための劇の構造”を選びがちですよね。でも私は、観る人ともっと深いつながりが持てる作品をつくりたいと思っています。ですからこれまでも余計なものは可能な限り排除して、本当に必要なものだけを残すというやり方で映画をつくってきました。本作でもすべてを説明するのではなく、作品の中に余白を残すことで観客にメッセージを読み取ってもらいたいと思いました」

監督が語る通り、本作では過剰な説明やセリフは登場しない。カメラの動き、俳優の表情や気配、父と娘の空気感の変化……“映画の言語”を駆使して物語が綴られる。

「大学院で映画を学んだのですが、最初にやるレッスンは“映画の音を消してもストーリーがちゃんと伝わるか?”でした。そのことはいつも意識しています。脚本を書く上ではストーリーを前に進めたり、新しい情報を伝えるようなセリフもありますが、私の書くセリフは日常の中にある”とりとめのない言葉”が多いですし、創作する過程ではフォーム(構造)を通じてストーリーを伝えることを大切にしています。

それに無駄なセリフを排除して、静寂な時間をつくることで、別の要素を映画の中に入れることができるんです。カメラワークや、音がスクリーンの画とシンクロしていたり、ズレていたり……しっかりとビジュアルで語ることで、そういった別の要素が強まる可能性もつねに意識しています」

そこで重要になったのが、フィルムでの撮影だ。本作は“かつて父と娘が旅行中に撮影したハンディビデオの映像を、成長した娘が見る”という設定だが、撮影は全編35ミリフィルムで行われた。

「撮影監督のグレゴリー・オークのこだわりでもあったのですが、35ミリフィルムで撮影することは本作を語る上では欠かすことのできない要素でした。デジタル撮影にはない質感が35ミリにはあり、本作が描く記憶のぼんやりとした感じ、ソフトな質感を表現するためにはフィルムが必要だったのです。デジタル撮影だとあまりにもクッキリとし過ぎてしまうのです。フィルムで撮影することで、古い写真や使い捨てカメラで撮った写真の感覚を表現できると思いましたし、フィルムのルックを用いることで観客が“あの時代”を意識せずにさかのぼれると思いました」

なぜ、『aftersun/アフターサン』は多くの観客を魅了し続けるのか?

さらに本作では編集と構成(どの順番でシーンを語っていくか?)に長い時間が費やされたという。この物語では父と娘はひとつのリゾート地で何日も過ごしている。脚本上では「時間の経過を表現するために、1日のはじまりは必ず同じシーンからはじまるようにしていた」そうだが、完成した映画では時間の経過が曖昧に感じられるようにシーンが構成され、時おり成長した現在のソフィの場面が挟み込まれる。

時間が単純に一直線に進んでいくのではなく、過去を振り返る時に誰もが体験する“おそらくこの順番で出来事が起こったはずだけど、一部だけ記憶の順番が曖昧”という感覚を本作は編集によって実現しているのだ。

「撮影監督のグレゴリーと、編集を担当したブレア・マックレンドンとは同じ大学院で、短編も一緒につくってきました。私たちは創作のテイストも似ているし、目指している部分が同じなんです。ですから、撮影を終えて、編集前に自分とブレアのために“編集用の脚本”を用意したのですが、結果的には一度も開くことはありませんでした。

ブレアは物語が時系列的に一直線に進んでいくことを好まないので、時間が経過して次の日がやってくる“境界線”をうまくボカすような編集をしてくれました。基本的には朝が来て、夜になり……と進んでいくのですが、時折、ソフィが同年代の子どもたちとプールに入るシーンや、彼女が男の子と遊ぶ場面を違う流れの中に上手に盛り込んでいくことで、記憶のもつ“順番が曖昧な感じ”を表現することができたと思います。これはブレアのおかげですね」

さらに本作ではシーンの並びを精緻に検討して構成することで、観客が少しずつ父の知らなかった一面に気づいていくことに成功している。

人は映画を観ている時、その映画がまだ上映中であっても、数分前に観ていたシーンの印象が変わることがある。映画の前半で楽しそうな人として登場したキャラクターが、あるシーンで得られる情報によって“さっき観たあのシーンの彼は楽しそうにしていたわけではないのだ”と気づくことがある。記憶は人の中で固定されるものではない。記憶はたえず変化し、更新されていく。

「そのことはすごく意識しましたし、本作はそのような構造の作品だと思います。この映画を観てくださる方は、最初は父と娘の楽しいバケーションを観ていると思っています。しかし、それがどんどん変化していく、それらが積み重なることで、結末には観客がある感覚を抱くことになる。

でも、それは人生そのものがそうだと言えますし、“振り返る”という行為もそうですよね。過去を振り返る時、当時はとても楽しい思い出だったのに、何年か経ってから振り返ると、別の感情が湧き上がってくる。あの時の楽しさを思い出したいけれど、今の感情とぶつかり合ってしまう。そういうことが誰にでもあると思いますし、そのこともこの映画では表現したかったのです」

この映画が世界中の多くの観客を魅了しているのは、父と娘の関係を上手に描いたからでも、親子の普遍的なドラマを描いたからでもない。曖昧な記憶が変化/更新される中で、新たな一面を発見し、当時の記憶と現在の感情がぶつかり合う……誰もが一度は経験する感覚を見事に描き出したことが本作の最大の魅力だろう。監督が目指した通り、本作は単に物語やキャラクターを提示するだけでなく、観客と“深いつながり”をもつことに成功したのだ。

「公開される前は、私と同じような体験をした方や、似たような体験をした観客だけにこの映画を理解してもらえると思っていました。父と娘の関係だったり、父の抱えている問題が観客に響くだろうと予想していたのです。しかし、映画が公開され、そうではないことが証明されました。この映画はそれ以上の広がりをもって受け入れられました。それは本当にうれしいことですし、今後も自分の信念を貫いて創作を続けていきたいと思っています」

誰もが過去を振り返る。楽しかった思い出、つらい記憶、あの日のあの人の印象……しかし、それらは自分が時を経て、経験を重ねることで変化していく。人は何度も過去を振り返り、そのたびに新しい過去に出会う。あの時はわからなかった父の気持ちがわかるようになる。新たに父と出会うことができるのだ。

これから多くの人がふとしたきっかけで、映画『aftersun/アフターサン』を振り返ることになるだろう。そのたびに、観客の記憶の中に、あの日のリゾート地の父と娘が、思ってもみなかった新しい姿で出現するはずだ。

『aftersun/アフターサン』
5月26日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開

(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

シャーロット・ウェルズ監督