アイドルグループのメンバーだった新澤典将さんが契約期間中に脱退したことをめぐり、元所属事務所が989万円の違約金を求めた裁判で、大阪地裁は請求を棄却した。一方で、新澤さんが事務所に未払い報酬11万円を求めた反訴については、その請求をすべて認めた。

新澤さんの代理人をつとめる河西邦剛弁護士によると、大阪地裁の判決は「アイドルの労働者性を認めて、労働基準法を適用した画期的なもの」だという。一方、事務所側はこの判決を不服として控訴している。

今回の判決の受けとめについて、新澤さんと河西弁護士にそれぞれ聞いた。(ライター・玖保樹鈴)

●「訴えられたときは怖くて、汗が止まらなかった」

――2020年7月に事務所と話し合って「契約解除」の通知を送った際、裁判になるかもしれないという話におよんだと聞いています。実際に裁判になってしまったときに何を思っていましたか?

新澤さん:訴状が届いたときは、すごく怖かったし、汗が止まりませんでした。訴えられるのは初めての経験で、どうしたらいいんだろうと思いました。先に脱退したメンバーの中には、お金を払って辞めている人もいるので、僕も払わないといけなくなるのかなって。とても払えるような状況ではなかったので、本当に怖かったです。

――控訴されて思うことはありますか?

新澤さん:2021年4月に記者会見を開きましたが、それ以来、芸能活動から離れて、ずっと自分の道で頑張ってきました。長い裁判だったので、ようやく終わったとホッとしたのも束の間で、またかと少し落ち込んでいます。もちろん控訴されることは可能性として考えてはいました。

――「自分の道」とは、どんなことですか?

新澤さん:元アイドルの友人と一緒に、SNSインフルエンサーのコンサルをやったり、バーチャルYouTuberなど動画配信者を育成したりする会社を始めました。今まで芸能界でしか仕事をしたことがなかったので、いざ自分で経営してみると、なかなか大変だと実感しています。また、1年以上前からホストもしています。

――ホストは「自発的」に始めたのですか?

新澤さん:誘われて始めました。裁判で負けたら約1000万円を支払わないとならなくなるので、お金が必要だったんです。でも、夜の世界って、なんだか怖いイメージがあるじゃないですか。だから、契約書は何度も何度も読み返して、辞めたくなったらすぐに辞められることを確認してから始めました(笑)。お客さんと直に接する仕事なので、接客の所作など学べることはたくさんあります。

芸能活動を辞めて、SNSのアカウントも削除したので、これまでのファンに恩返しではないですけれど、僕と話せる場を作れたらいいなという気持ちでホストを始めたというのもあります。おかげさまで、今でも応援してくださる方もいらっしゃってくれます。とはいえ、ホストを続けるのは、あと1年ぐらい。あくまで期間限定の仕事だと考えています。

●「同じようにやりがい搾取に苦しんでいる人の力になりたい」

――脱退の大きな理由の一つは、適応障害になったことだと以前うかがいました。

新澤さん:夢を必死に追っていたのに、実際にしていることは、夢とかけ離れていました。1回活動を欠席するたびに200万円の違約金を支払う契約になっていたので、ロボットのように何も考えずに続けるしかなかったです。

「裸で目隠しして体にザリガニを乗せられて、何が乗っているのわからず恐怖で泣き叫ぶ動画をYouTubeにアップする」という仕事を事務所からやるように言われたこともあり、方針を変えられないかとメンバーで話し合うこともありました。

でも、不満を言い出せるような雰囲気ではなかったし、いつしかメンバー同士も対立するようになってしまった。残ったメンバーは現在も活動を続けていますが、僕からはもう何も言うことはありません。

――裁判所から、和解をすすめられたそうですね。でも、和解せずに判決までいこうと思ったのは、なぜですか?

新澤さん:1人のタレントが声をあげて伝えたところで、権力に押しつぶされてしまうことがほとんどです。ただ、僕の場合、記者会見やインタビューで広く伝える機会があったので、同じようにやりがい搾取や労働契約で苦しんでる人の力に少しでもなれたらと思いました。その1点に尽きます。

裁判資料を作成するときに、過去のLINEやスケジュールを思い出すことで、つらかった記憶がフラッシュバックすることがありました。それが精神的にストレスとなって「和解してもいいかな」とくじけそうになることもありました。でも、誰かの力になりたいという思いで判決まで頑張ることができました。

●「タレントという夢は1人の力ではどうにもならない」

――現在、ジャニーズ事務所の元タレントが「性被害があった」と告発するなど、芸能界でもハラスメントに関して声をあげる動きが広がりつつあります。こうした被害を公にすることで芸能界は変わっていくと思いますか?

新澤さん:なかなか難しい。数人が声をあげても、すぐには変わらないと思います。やはり芸能事務所は大きな権力を持っているからです。僕は裁判を始めてから身を引きましたが、相当なことがない限り、芸能界に戻ることはないと思います。

――今回の判決を受けて感じたことを教えてください。

新澤さん:一旦、契約書に印鑑を押したら、絶対に守らなくてはいけないし、自分に責任があると思ってしまいがちです。でも、そうではなくて「契約書は絶対ではない」ということを苦しんでいる人たちに伝えたいです。泣き寝入りする必要はないし、僕で良ければ力になりたい。

昨年の記者会見に関するニュース記事では、アンチによるコメントもありましたが、「勇気をもらいました」というメッセージや、以前舞台で共演した人からの応援が寄せられました。それが何よりもうれしかった。事務所を脱退したときは「夢を投げ出して、お先真っ暗だ」と思っていましたからね。

当時追いかけていたタレントという夢は、僕自身の力だけではどうにもならないものでした。今は自分の足で、目標に向かって歩んでいるので、あのころよりも充実した日々を送れていると思います。

●「記録が残っていたことが大きい」

――これまでタレント契約をめぐる裁判では、労働者性がなかなか認められなかったり、認められても「労働契約と評価することは困難である」としながらも「メンバーは原告の強固な指揮監督下にあり、任意の諾否の自由は事実上なかったことから、附則137条の類推適用を認める」といった、言わばグレーな判決がほとんどでした。なぜ大阪地裁は、新澤さんの使用従属性を肯定し「労働者性が認められる」と判断したと思いますか?

河西弁護士:今回の判決では、事務所と新澤さんの間に「指揮監督関係があった」と判断できる具体的な証拠が残っていたことが大きいです。それはスケジュール共有アプリで、事務所側が入力していた記録が残っていたことです。あとはLINEの記録です。

また、新澤さんが脱退を申し出た際に事務所の実質的な社長と話し合ったのですが、「みんなそれなりに病気はある。辞めるならば3年間いるのか、お金払って辞めんのかのどちらかの選択肢しかない」「違約金を支払い終わってから半年は、エンタメ業界に関われない契約になっている」「そこまでやってくるのなら弁護士立てて本気でいく。冗談ぬきで」などと言われた音声が残っていたのも判決に影響したと思います。

その人が労働者かどうかの判断は、指揮監督や諾否の自由の有無、報酬の労働対価性、他の人でもできるかどうかの代替性の有無などが材料になります。アイドルは誰でも、売れて有名になりたくてやっていますよね。だから事務所が決めた仕事を「やりたくありません」とはなかなか言えないし、そんなことを言ったらメンバーから外されてしまう可能性もあります。

だから、事務所が決めた仕事を断ることは稀なので「自発的に仕事をしていた」とされて、労働者と判断されないケースも多いんです。今回は、事務所が提案した「ライブで女装してみよう」といった活動を新澤さんが拒否できなかった、つまり諾否の自由がなかったことを裁判所が認めたのだと思います。

――アイドルも「1人の労働者である」ということなのでしょうか?

河西弁護士:私はすべてのアイドルが労働者であるとも、あるべきだとも思っていません。脱退する際に違約金を請求するとか、そもそも辞めさせてもらえないといった状況に置かれることが問題なのです。

アイドル活動については、自分でお金を払ってでも続けたい人たちがいます。そういう気持ちを利用して、搾取の構造を生み出して、支配下に置くことが不当なのです。そういった場合は、指揮監督下に置かれることがほとんどなので、アイドルであっても労働基準法で保護される存在であるということです。

――たしかにインディーズバンドなど、自分たちで資金を集めて活動を続ける人たちはいます。

河西弁護士:タレントはいわば「商品」なので、無断で他の事務所に移籍されると損失が生まれるため、契約で移籍を制限することは一般的です。ただ、事務所の中にはマネジメント力などの魅力ではなく、今回のように厳しい契約で縛るケースがあります。どんな条件で契約することになるのか、一旦冷静になって判断するのはとても大事だと思います。

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