大阪地裁で法廷録音をしようとした弁護人が退廷させられた事件で、弁護人に対する制裁裁判は少なくとも1986(昭和61)年以降はゼロだったことが弁護士ドットコムニュースの調べで分かった。

月刊法曹専門誌『法曹時報』に掲載されている最高裁事務総局刑事局の「刑事事件の概況」を約40年分調査。ここ20年では制裁裁判自体が8件以下で、対象者は主に被告人が占めている。

手錠で一時拘束されるという異例の事態に、司法関係者から「やりすぎでは」「裁判官が感情的になっている」などの声も上がる。元裁判官の弁護士も、手錠による拘束の必要性については疑問が残ると指摘した。

1979年以降に制裁受けた弁護人は3人

『法曹時報』に掲載されている「法廷等の秩序維持に関する法律違反事件の被制裁者別人員」によると、2000年から2021年までに制裁を受けたのは、被告人がほとんどとなっている。ついで傍聴人、その他(証人、原告または被告等)と続き、弁護人はゼロだ。

1986年から2021年までに制裁を受けた弁護人はおらず、最後に確認できたのは1985年だ。計6人のうちの1人が弁護人だった。1979(昭和54)年まで遡ったところ、1979、1982年にも弁護人が1人ずつ対象となっていた。

制裁の内容としては20日以下の間、監置場に留置される「監置」と「過料」がある。2000年以降の統計をみると、監置は短くて2日、最大で20日間だった。法律では「過料3万円以下」とされているが、多くの場合が3万円だ。

1985年の弁護人は監置、1979年1982年は過料とされている。

制裁を受けた人の中には民事、行政、家事事件の関係者もいるが、ほとんどが刑事事件となっている。制裁の裁判に対しては不服申立も認められている。数は少ないものの、2000年以降に抗告、特別抗告した人もいるようだ。

ピカピカの手錠、慣れない様子だった裁判所職員

今回の事態は5月30日、ストーカー規制法違反の罪に問われた女性被告人の公判で起きた。岩﨑邦生裁判長は法廷等の秩序維持に関する法律4条1項に基づき、中道一政弁護士に対する制裁裁判をおこない、過料3万円を言い渡した。

異例の制裁裁判について、裁判所書記官を20年以上務めた男性は次のように語る。

学生運動が盛んだった昭和40年代に、傍聴人が退廷命令を受けて従わなかったとして、制裁を受けることがあったと聞きました。ある裁判官から、当時は身柄拘束後もずっと正座だったという話も。そのころは廷吏がいて、書記官と一緒に身柄を拘束していたようです」

元裁判官の森中剛弁護士は民事事件を担当していたこともあり、経験はないという。

「拘束するというのは、暴れたり、口頭で注意しても直らなかったりするときだと思います。刑事裁判では起こりうるかもしれません。たしかに、裁判関係者で不規則発言する人はいましたが、大体は裁判長が『静かに』と言えば静かになっていました」

今回の事態を見ていた傍聴人によると、中道弁護士は手錠をかけられて職員ら3人に抱えられるような姿になり、連行されたという。

法廷等の秩序維持に関する法律3条2項には「裁判所は、その場で直ちに、裁判所職員又は警察官に行為者を拘束させることができる」と規定されているため、裁判所職員が拘束することも許されている。

森中弁護士は「おそらく録音を止めるためだったのでしょう。しかし、手錠までする必要はあったのでしょうか」と首を傾げる。

中道弁護士は「手錠はピカピカで、拘束した職員は慣れていない様子だった」と振り返っている。めったにないことに加え、異例すぎる弁護人への制裁に、職員らも戸惑いを隠せなかったのかもしれない。

弁護人への制裁裁判は約40年ぶり 「法廷録音」で手錠拘束に「やりすぎ」の声も