
「文藝春秋 電子版」では4月1日(土)、評論家の中野剛志さんと経済アナリストの森永康平さんによるオンライン番組「〈反MMT〉論者を論破する!」を生配信しました。
中野さんは、「文藝春秋」2022年1月号にて、経済学者の小林慶一郎さんと「激突! 『矢野論文』」と題された対談を行いました。同対談ではMMT(Modern Monetary Theory: 現代貨幣理論)についても言及されており、「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」という主張の正否を巡って激論が交わされました。
この生番組では、緊縮財政を支持する論者や、プライマリーバランスを重視する側から提示された「反MMT論」と、それに対するお二人による反論をお送りしました。現状に異議を唱えるお二人による歯に衣着せぬ激論は、地上波では決して見られません。経済学に関する“本音”を知りたい方はまさに必見と言える本番組のテキスト版を一部、部分転載します。
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MMTの議論が白熱してきた中野 MMTについて色んな議論がされているんですけども、私の印象では経済学者が、論理として矛盾したことを平気で言っている。経済学以前の問題です。あるいは、MMTが言ってないことを批判するような「藁人形論法」が横行しています。相手を正確に理解しないで批判する人が多いんですよ。
そもそも、MMTは積極財政を提唱する論者の中でもごく一部にすぎません。しかし、日本では全ての積極財政をMMTと呼ぶ人がいる(笑)。十把一絡げにして「MMTはいかがわしい」と議論をしています。
一例として暴露しちゃうんですが、最近、『どうする財源』という本を祥伝社新書から出したんですが、この本ではMMTにも触れました。しかし、MMTの本ではありません。色んな議論が入っているんです。ところが、この企画をある出版社に持ち込んだときに「うちはMMTの本を出しませんから」って言われたんですよね(笑)。
森永 そんなことがあるんですか。
中野 ええ。そういう経験は何度もありました。それから、新聞や雑誌で「積極財政やMMTについて論陣を張ってください」と呼ばれるときには財政再建派の論者と討論してくださいって言われるんです。議論の公平性の観点から片方だけに肩入れするべきじゃないという理由です。
「そりゃそうかな」と思うんですが、財政再建派だけが出ている機会はすごく多いんですよね(笑)。そこでは「積極財政によって財政破綻は起こらないんです」などとは言ってはいけない。要するに議論が始まってないような側面がありました。
ところが、最近ではインターネットを通じて議論がだんだん成熟してきた。政治家を中心に積極財政論者が増えている。私が書いた論説について書かれたコメントを見ても理解が進んでいるようなんですね。
雑な主張でMMTを邪魔するな森永 私が言論活動をするようになってから5年ほど経ちました。当初に比べると、MMTの考え方は広まったと明確に言えます。支持する政治家は与野党関係なく増えました。そのため、「日本のデフォルト」や「積極財政によるハイパーインフレ」といった主張は、感情論ではなく理屈で批判されるようになりました。
しかし一方では、MMTの議論は次のフェイズに進まなくちゃいけないと思っています。今までは、財政健全化や緊縮財政の側に針が振り切れていたから、“劇薬”のような極論めいた話で反対側に戻そうとしていました。実際、「金をばらまけばいい」とか「税金なんかいらない」など振り切れた発言をしている人たちがけっこういます。つまり、“清濁併せ呑む”ように雑な議論があっても仕方ない時期もありました。
今はもう振り切れた針が戻り始めています。にも関わらず、雑な主張をする人がいると「やっぱりMMTとか言っている奴らは頭がおかしい」「積極財政はカルト」と言われてしまう。これから先は緻密な主張をしていかないとMMTの支持を広げていくのが厳しいと思います。
特に、世界的なインフレが起きている現在は、MMTに逆風が吹いています。事情を分かってない人が「積極財政をやったから今のインフレが起きている」と繋げて考えてしまいがちだからです。しかし、実際のところ日本は積極財政を全然やっていません。
このような誤解に冷静にちゃんとロジカルな主張をしていくことが支持を広げていくために必要です。今回のオンライン番組のタイトルには「〈反MMT論者〉を論破する!」とありますが、逆に積極財政を支持している人たちに「もっと緻密な議論をしたほうがいいんじゃないか」と提案をしていく時期にさしかかっています。
中野 確かにそうです。インフレが起きている現在、議論のレベルを数段上げる必要がある。だから、ちゃんと議論をしているときに雑な主張で横から邪魔をしないでほしい。ただでさえ誤解されがちなところをあの手この手で説明しようとしているんです。
「過去最大の政府債務」を怖がる人が多いワケ中野 今となっては財政再建派ですらも「債務を返済できなくなる(デフォルト)」という意味において財政破綻を語る人がほとんどいなくなりました。「そこは認めざるを得ない」という段階にやっと来たのかなと思います。ちなみに、2021年の「文藝春秋」に掲載された「矢野論文」ではデフォルトによる財政破綻について立場が表明されていませんでした。
「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という主張にはコンセンサスがあると言えます。ここから議論をスタートすれば少しは建設的になるだろうと思います。しかし、積極財政を批判する財政健全化論者たちは「デフォルトしない」と認めざるを得ないがゆえに、財政再建の必要性を主張するために色んな論拠をぶちこんでくるから、議論がしっちゃかめっちゃかになってまとまりません。
財政に関する現在の議論をご存じない方もおられるかもしれないので、緊縮財政論や財政健全化論に含まれている誤解を先に説明しておきましょう。
まず、過去最大の政府債務について。例えば「矢野論文」では今の日本の状況を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」だと書いていましたが、これは明らかな誤解です。
森永 「政府の債務が積み上がるとまずい」と言われると多くの人が納得してしまう理由は、たぶん経済主体の違いを理解していない。国の財政を、企業や個人と同一視しているのではないでしょうか。
企業や個人の目線で物事を考えるのは普通だと思うんですよね。普通、国の目線は持たないでしょう。無意識のうちに備わっている個人や企業の目線からでは借金が悪に見える。返さないなんてあり得ない。だから、膨れ上がる国の借金がとても怖いように思えるのでしょう。
「今返さないと孫や子どもが大変だから、苦しいけれども税金が増えてもしょうがないよね」という主張は、経済主体の違いをわかっていない人には正しいように聞こえちゃうんです。
「お金の発行」が税収に先立つ森永 「国の施策には財源として税収が必須」という主張もよくある誤解です。これについては、どのような説明をすればわかりやすいのかズッと考えてきました。最近では「国の最初」を使ったストーリーで説明しています。
まず、あなたが王様として国を作ったと考えてください。そして、その国には既に数人の国民がいます。作られた直後の国ですから橋などのインフラがありません。作る必要があります。インフラを国民に作ってもらうには、先にお金を渡して「これで作って」みたいな流れになるでしょう。
しかし、「橋を作るから税収が必要です」と言っても、作られた直後の国ですからお金が出回ってない。税収は存在しません。そこで財源を得るためにお金を発行することになる。このように「国の最初」について考えれば、「税収が無いから何もできない」という理屈のおかしさがわかります。
中野 森永さんの「国の最初」のストーリーでは、税収の前に国がお金を発行する必要性が説明されています。
「財源として税金を取らなくちゃいけない」と主張する人に「税金として何を徴収しているんですか」と訊ねれば「お金です」と答えるはずです。このお金は政府が発行しているわけですよね。ということは、まず政府がお金を発行していないと税を徴収できません。
しかし、「財源に税収は必須ではない。お金を発行すればいい」と説明すると、税金が不要と主張しているように思われがちです。
森永 「税金なんかいらない」という主張はMMTにありません。MMTの主張の根本には税を納めるためにお金に価値が生じている「租税貨幣論」があります。
中野 立派な大学の教授とか、政府に影響を与えている学者とか、権威を持っている人が「税金いらなくなるから、おかしいじゃないか」とMMTを批判するんですよね。専門家ではない一般の人が言うのならまだわかりますが、学者の素養として批判対象を理解しないまま批判するのは、いかがなものでしょう。
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中野剛志さんと森永康平さんによるオンライン番組のテキスト版全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

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