うっとうしい雨が続く日は、スカッとするミステリーのシリーズものでも読んでみませんか。アメリカ社会の闇と多様性を考察し、人気キャラクターの勢いに爆笑……。6月に読みたいおすすめの本を紹介します。

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選・文=温水ゆかり

前シリーズを濃厚に引き継ぐ、アメリカンリーガルミステリーの5作目

 まず、ロバート・ベイリーのリーガルミステリー『嘘と聖域』をご紹介。

 ロバート・ベイリーの5作目になる本作は、新シリーズの開幕作というふれ込みではあるものの、前シリーズ(4冊)のキャラクターも舞台も人間関係も濃厚に引き継ぐ。新シリーズと言うより、セカンドシーズンと呼んだほうがいいかもしれない。

 新シリーズの主人公は、前シリーズ2作目の『黒と白のはざま』で苦境に陥った弁護士ボーセフィス(ボー)・ヘインズである。ボーは全米有数のフットボール強豪校アラバマ大学で、ディフェンスの司令塔ミドルラインバッカーとして活躍し、優秀な成績でロースクールを卒業。身長195センチ、体重は110キロに近く、ダークブラウンの肌を持ち、頭はスキンヘッドに剃り上げている巨漢だ。

『黒と白のはざま』を要約する形で引用すれば、ボーは5歳のとき目の前で父をKKKリンチされて殺された。犯人に必ず報いを受けさせるとの決意を胸に、大学アメフトのスターを欲しがる大手ファームからの誘いを断り、故郷のテネシー州プラツキに戻って個人開業する。そして幼い日の目撃から45年後、事件は再燃し、ボーは刑事被告となった。

 そのときボーを起訴したヘレン・ルイス検事長が、この『嘘と聖域』では一転、刑事被告となる。元夫を射殺した罪で。

 ヘレンの元夫ブッチは、ブラツキにふらりと現れ、不動産業や金融業で街の新たなボスになろうとしている新興成金ザニックの顧問弁護士だった。ヘレンがザニックをレイプで起訴した事件を取り下げないと、ヘレンが中絶した過去を公表すると脅す。ブッチ自身がなにかに怯えていた。

 黒いスーツとハイヒールと鮮やかな赤い口紅をトレードマークとし、妥協を知らない仕事ぶりで畏怖されているヘレンテネシー州法によって、検事長が法廷では軍隊式に「ジェネラル(将軍)」と呼ばれることを秘かに愉しんでいるヘレン。前シリーズの完結作『最後の審判』では見事なライフル射撃の腕前を披露してトムと少年の命を救ったヘレン。シリーズを読み続けてきた者には衝撃の展開である。

 ヘレンは大雨の中、州境を越えてアラバマ州へと車を飛ばす。ボーは、亡き恩師のトムの農場で、トムの愛犬だったフレンチブルドッグとともに世捨て人のようにして暮らしていた。

「弁護士が必要でここに来たの」

「なぜ?」

「なぜならブッチ殺害の容疑で逮捕されようとしているからよ」

 ボーはヘレンの依頼に対してうめく、「無理だ」。

 妻を殺され、業務停止処分をくらい、子供達の親権を取り上げられと、ボー自身の人生もどん底にあった。

 しかしトムの墓の前で一晩雨に打たれて目覚めたボーは、立ち上がる。自己憐憫にひたってばかりいては道は拓けない。親権を取り戻すのに不利かもしれないが、故郷テネシーのプラスキに戻ろう。こうして、逮捕されてオレンジ色のジャンプスーツ姿になったヘレンの前に立つ。ヘレンの弁護人として。

 アメリカンミステリーを読む楽しさを、私は50の土地や文化を知る楽しみだと思ってきた。自分達のことは自分達で決めるとばかりに、刑事事件も民事も陪審員に委ねる自治の精神(そのぶん裁判がサーカス化するが)。50のステーツ(州)が独自の法律と治安組織を持つ多様性。州では検察官も判事も保安官も選挙で選ばれる。

 余談だが、東大法学部卒の友人が、アメリカの州検察官が選挙で選ばれることを知らなかったのには驚いた。東大に縁はなくとも、アメリカンミステリーを読んでいれば彼らより賢い(部分もある)と、鼻がピクピク隆起した。

 耳馴染みのないテネシー州のブラスキは、実は有名な地だ。白い三角頭巾と長いローブで身を包んだ世界最大のヘイト集団KKK(クー・クラックス・クラン)発祥の地。横長のテネシー州の南で州境を接するアラバマ州(やミシシッピ州、ジョージア州)は、大統領選報道でよく耳にする「レッドステート」で、共和党の岩盤支持地帯でもある。

 前トランプ大統領が任期切れ寸前、最高裁判事に当時48歳の中絶反対の女性判事を指名し、〈共和党民主党3〉になった最高裁が、人工中絶を認めた1973年の判決を破棄した記憶は新しい(2022年)。つけ加えれば、最高裁の判断内容がマスコミにリークされたのも確前代未聞の出来事だった。少数派に転落したリベラル側〈3〉の、やむにやまれぬ謀反だったのだろうか?

 中絶に厳しく、日本と同じく死刑制度も存置している保守的なレッドステートで、中絶の過去を暴露され、夫殺しの罪で死刑を求刑されること必至のヘレンの運命は? ボーをも唖然とさせたヘレン隠し球とは? そして裁判終結後の「真実」とは? 

 隠し球のことは少し予想していたが(またもや鼻ピク)、その後の“捻り”には驚いた。このシリーズ、終われないじゃないかと、永遠に続くことを願ってしまう。

読む側の妄想も加味される笑い。トンデモ精神科医伊良部の17年ぶりの復活

 奥田英朗の『コメンテーター』は、トンデモ精神科医伊良部の17年ぶりの復活。サスペンデッドとなったシリーズ3作目『町長選挙』の年に生まれた子供はもう17歳かと思うと、あらためて年月の流れの早さに唖然とする。

 こういったお笑い系の小説は、理念型(人種差別反対とか死刑制度反対とか生殖は女性の基本的人権ではないのか、とか)で共感ポイントをピックアップできる作品と違って、これが好きと書いたとたん、自分の生理をさらけ出すようで実は恥ずかしい。それでもあえて書けば、私がいちばん大笑いしたのはシリーズ第二作で、直木賞受賞作となった『空中ブランコ』(2004年)の中の「義父のヅラ」。

 こういう失敗をするのではないかという怖れを持ったとたん、自分を支配するその恐怖から逃れようと、失敗をさっさと具現化してしまうということ、ないですか? いま書きながら突然思った。恋人達の一方が、相手に別れを切り出されそうだと察知して、自分から先に別れを切り出すというのも、似た行為かもしれない。

「義父のヅラ」の達郎は、母校医学部の教授の娘と結婚して順風満帆。しかし人知れずやむにやまれぬ衝動と闘っている、誰が見ても明らかで、本人だけが隠しおおせていると思っている義父のカツラを、見るたびに剥ぎたくなってしまうのだ。

 達郎に伊良部が施したのは、代償行為で破壊衝動を抑える治療。道路標識にペンキで「、」を打ちまくる。「金王神社前」は「金玉神社前」に、「東大前」は「東犬前」に、「王子税務署前」は「玉子税務署前」に。「大井一丁目」は横棒も加えて「天丼一丁目」に。最後は見事、本人に気づかれないまま義父のズラはがしに成功する。

 しかしここで私は邪推した。本当は中野にあった「警察大学校」に「、」を打ちたかったはずだ、と。きっと書いたはず。それを編集者に止められた。「奥田さん、警察を敵に回すのは、警察ミステリーを書く上の取材で得策ではないですよ」とかナントカ

 それほどピンとこない「東犬前」は、差し替えだったに違いない(妄想です、はい、個人的妄想です)。

 結局のところ、笑いは読む側の妄想も加味されるのだと思う。金タマ神社もタマゴ税務署も、中国には及ばないまでも、至る所にカメラのある監視社会になった現在では、もうできないお茶目な荒療治。そう思うと、社会ってだんだんつまんなくなるんだなあと、感慨深い。

 新作『コメンテーター』でも、伊良部のハチャメチャぶりは、衰えを知らない。

 コロナ禍で、ユーチューバーの動画にも負けるような視聴率しか取れないディレクターが、視聴率至上主義のTVプロデューサーにドヤされ、美人精神科医枠で伊良部に紹介を頼む。ところが伊良部は自分が出演依頼されたと勘違い。

 ZOOM出演当日は、白衣に赤い蝶ネクタイという正体不明の姿で登場。路上飲みする若者の迷惑行為に、「仕方ないよね~。売ってるんだから。缶チューハイ1本1万円にしたら。買える若者は少ないんじゃない」とか「放水車で追い払う」などと、脱力コメントを連発。

 鬱症状を発症する人が多くなっているというコロナ鬱に関しては、“家の外にはゾンビがいっぱいいる。噛まれると自分もゾンビになる。そう思えばみんな家にいるんじゃない? もっとも全員がゾンビになれば怖くない。集団感染ってそういうことだからさ” と、これまた異次元コメントを放出。

 あげくにうちの病院では院内感染が出ただの、夜はロックバンドでギタリストをしているナースの「マユミちゃん」が三密ライブを決行し、発生したクラスターを病院に持ち帰っただの、良識ある人々が聞いたら卒倒しそうな内情をあっけらか~んと暴露。

 ところが視聴率は上昇した。プロデューサーは、伊良部の後ろで腰をクネクネ振りながら黒のレスポールをエア弾きしていた「チャンネエ(姉チャン)」が動画サイトで拡散され、10万回以上再生されているのを発見。「おい、伊良部先生をもう一回登場させろ、マユミちゃん込みだぞ」

 もう出演させるなと言っていたのに、気持ちいいほどの手の平返し。「昨日のことを持ち出すんじゃねえ、おれの頭は日々アップデートされてるんだよ」とドヤ顔になるのも(妄想上の)TVマンっぽい。

 笑いの出発点はよく知る紋切り型。ハイスピードのサスペンスやお笑いを書くとき、著者は人物にこれを注入するのが抜群に上手い。

 本書はこの表題作のほか、計5編を収録する。著者の名誉にために書き加えれば、伊良部の悪ノリには、稚気と言えばいいのか、どこか純真さがあって、“生きづらさ”をかかえた人々を優しく包む。

 公園に禁止のスケボーを持ち込む若者や優先席に座ってスマホをいじる若い女など、ルールを守らない奴を見ると怒りが湧く克己。優先席に座った若い女の尻を蹴飛ばしてホームに放り出す妄想を繰り広げるが、自分が過呼吸になって電車を降りる羽目に。アンがーマネージメントと称して、伊良部が克己に付けたインストラクターとは?(「ラジオ体操第2」)

 新卒で入った生保を2年で辞め、デイトレードでみるみる億単位のカネを溜めた地方出身の保彦。ネットの前にいないとパニック発作を起こすようになる。伊良部の誘導で六本木ガーデンの家賃150万円の部屋に引っ越し、姑息な理由をつけてかつての同僚を招くも、彼の視線は冷たい。伊良部とマユミによる“たかり治療”で、保彦が遂げた“変身”とは?(「うっかり億万長者」)

 ほかに広場恐怖症や社交不安障害など、現代ならでは症状が登場。水族館のアザラシを思わせる伊良部と、飼育係マユミのコンビが繰り広げるトンデモ行動療法、梅雨時の湿気を払って楽しいですよ。

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