2023年6月6日、日本政府は経済財政諮問会議で「骨太の方針」を公表しました。そのなかに、「退職金」への課税制度の見直しが盛り込まれています。これにより、実質的な「増税」となるケースが発生することになります。本記事では、現行の退職金への課税制度の概要を紹介したうえで、今回示された方針の中身と問題点について解説します。

退職金に関する税制優遇

◆退職金の税金が優遇されるワケ

まず、現行の退職金に対する課税の制度について解説します。なお、退職金のほか、「iDeCO」で一時金を受け取った場合や「小規模企業共済」の共済金も基本的には同じです。

退職金を受け取ると、「退職所得」にあたり、所得税の課税対象となります。ただし、現行制度では、「退職所得控除」によって税負担が軽減されるという税制優遇を受けられます。

その趣旨は、退職金には以下の2つの性格をもつので、税負担を軽減してあげないと酷だと考えられているからです。

【退職金の性格】

・在職中の給与の後払い的な性格をもつ

・退職後の生活資金となる

◆退職所得の計算

退職所得の計算式は、原則として以下の通りです。大ざっぱに表現すると、勤続年数が長いほど優遇されるルールになっています。

【退職所得の計算式】

・勤続年数5年超:(退職金額-退職所得控除額)×2分の1

・勤続年数5年以下:150万円+(退職金額-退職所得控除額-300万円

計算式に登場する「退職所得控除額」は、勤続年数により決まっており、計算式は以下の通りです。

【退職所得控除額の計算式】

・勤続20年以下:40万円×勤続年数 ※最低80万円

・勤続20年超:800万円+70万円×(勤続年数-20年)

「骨太の方針」原案で示された「見直し」の中身とは

ところが、6月7日「骨太の方針」の原案において、「成長分野への労働移動の円滑化」のためという名目で、この退職所得課税制度を見直すことが盛り込まれました。

退職所得控除額を一律にするか、あるいは別の制度を設けるのか、明示されていませんが、勤続年数が長い人を優遇しないという方向性が示されたということです。

これは、勤続年数が長い人にとって、実質的な増税となることを意味します。

理由は、現行制度が「成長分野への労働移動の円滑化」の妨げになるということにあるとされています。

すなわち、現行の退職所得控除の制度があるせいで、「あと●年勤務すれば退職金の税金が安くなるから、それまで退職しない」「長く勤務すれば退職金の税金が安くなるから転職せずに在職し続ける」などの行動につながり、「成長分野への労働移動の円滑化」が阻まれるというのです。

なお、この動きは決して唐突なものではありません。大々的には報道されませんでしたが、2022年10月18日に開催された政府の税制調査会において、一部の委員から退職所得控除額について勤続年数で差を設けず、一律にすべきだという案が提起されています(政府税制調査会「説明資料(個人所得課税)」参照)。

「骨太の方針」原案の3つの問題点

しかし、これには、2022年10月に政府税制調査会で提起された当時から、以下の3つの問題点が指摘されています。

【「骨太の方針」原案の3つの問題点】

1. 「退職所得控除額」と「転職の阻害」との因果関係が明らかでない

2. 「サラリーマン」と「経営者・自営業者」とでは事情が異なる

3. 退職所得課税の制度趣旨との整合性に問題がある

◆問題点1|「退職所得控除額」と「転職の阻害」との因果関係が明らかでない

第一の問題点は、「退職所得控除額」と「転職の阻害」との因果関係が明らかでないというものです。

すなわち、会社員が転職する場合の主な理由は、結局は以下の2つに集約されます。

・キャリアアップ・給与アップを望んでいる

・職場の環境や人間関係に不満がある

いずれにしても、転職する人は、現状に不満があり、環境を変えたいという希望を持っています。

特に、キャリアアップ・給与アップを希望して転職を考える人にとっては、現職場にとどまって退職所得控除で税金が多少優遇されるメリットよりも、さっさと転職して良い待遇を得るメリットの方が大きいといえます。

したがって、現行の退職所得控除の制度が転職の妨げになるという因果関係自体が必ずしも明らかではありません。

◆問題点2|「サラリーマン」と「経営者・個人事業主」とでは事情が異なる

第二の問題点は、「骨太の方針」原案に示された方向性がもっぱら「サラリーマン」のみを想定していることです。

経営者・個人事業主は、「雇用の流動化」ではなく、むしろ、長期間にわたり事業を継続して収益を上げ、事業を大きく育てようと努めることが求められます。

現行の退職金課税制度は、その長年の努力に対する報いとして、勤続年数に応じた退職所得控除の特典を与えるものであり、経営者・個人事業主にとっては合理性があると考えられます。

◆問題点3|退職所得課税の制度趣旨との整合性に問題がある

第三に、従来の制度趣旨との整合性の問題が指摘されています。

すなわち、退職所得控除の制度趣旨は、退職金が在職中の給与の後払い的な性格をもつこと、退職後の生活資金となることから、税負担を軽減すべきということにあります。これをどのように位置づけるのかという問題があります。

特に、既存の制度を前提としてリタイア後の人生設計を考えている人にとっては、大きなダメージとなる可能性があります。

政府税調の会長で租税法学界の第一人者である中里実氏(東京大学名誉教授)も、「長期的な人生設計の前提となる制度の安定性というのは一定程度重要だ」と指摘しています。

このように、退職金課税の制度を改めるにしても、解決しなければならない問題があります。

鈴木財務大臣は、6月6日の記者会見で「働き方によって有利不利が生じない公平な税制を構築するという観点から、丁寧に議論をしていきたい」と述べており、上述の問題点を踏まえたきめ細かな議論が望まれます。

また、私たち国民にも、自分自身の将来設計に関わる問題として、議論のなりゆきを注意深く監視していくことが求められています。

(※画像はイメージです/PIXTA)