「住所を教えていないのに、父から手紙が届いたことで、誰かに話そうと思いました」

小学校のころから、性的なものを含めて、実の父親からあらゆる虐待を受けていたリツコさん(仮名・50代)。高校生のころ、今の夫となる男性と一緒に逃げて、警察や児童福祉施設に助けられつつ、父親と離れて生きてきた。

結婚後は、子育てなどで気が紛れていたが、父親から手紙が届いたことで、当時のことを思い出し、今回の取材を受けることにした。現在、父親に対して法的手段をとりたいと考えているが、約40年前の被害であるため、「法の壁」が立ちはだかる。(ライター・渋井哲也)

(注意:この記事には具体的な性虐待の描写があります)

●小3から「性的虐待」をされるように

現在住んでいる地域から離れた場所で取材をおこなったが、「父親が見ていないか?」とリツコさんはやや怯えた表情を浮かべていた。彼女の住所を割り出し、手紙を出してきた人物だ。リツコさんは周囲を見渡すなど、警戒を払っていた。

父親から性的虐待を受け始めたのは、具体的にいつごろなのだろうか。

「私の記憶だと、小学3年、9歳だったと思います。約40年前のことです。今の主治医にも話していますが、小学3年より前の記憶がほとんどないのです。触られるのは当たり前で、お風呂も強制的に一緒に入ってきていました。『足を広げろ』と言われて、下半身に父の指を入れられたこともありました。

そのころ、西日本の地方都市で、借家が密集しているところに住んでいました。両親は借家を持っていて、そこに父が働く会社の同僚を住まわせていました。その同僚にも胸を触られたり、下着の中に手を入れられたりのわいせつ行為をされました。

あくまで想像ですが、父は、同じ匂い、つまり同僚も『小児性愛』だと知っていて、借家に住まわせていたのではないかと思います」

性的虐待にもさまざまなかたちがあるが、11歳のときに無理やり性交されたという。

「生理が始まったときですね。小学5年の終わりごろでした。昔って、生理がくるとお祝いするじゃないですか。その日にケーキを食べたのを覚えています。父は異常に上機嫌でした。夜寝るときに、布団に父が入ってきて、下着を全部脱がされ、下半身を触って来ました。

ただ、このときは、父がいきなり上に乗って、挿入してきました。触られることの延長かと思い、何をされているのかわからない。ただ、激痛でした。生理のお祝いの日なので、当然、生理の日です。『痛い!』って泣いたんですが、父は『黙れ』『騒ぐな』『静かにしろ』と言いました。

隣に座っていた母に、父が『ほら見て。入った。入った』と言ったんですが、母は『何をしてるの?』と笑って見ているだけ。母には、父を殴って殺してほしかったと、今では思います。ほぼ毎日で、終わったあとは必ず『誰にも言うんじゃないぞ』と念を押されました」

当時、こうした性行為の意味を理解していたのだろうか。

「わかるようになったのは。中学2年のころです。もともと、学校には、なかなか行かせてもらえなかったんです。というのも、髪の毛を引っこ抜かれたりして、ハゲの部分があちこちあったから。ハサミで虎刈りにされた状態だったこともあります。教科書も浴槽に捨てられて。先生は不登校だと思っていたと思います。

でも、たまに学校に行くことがありました。そこでクラスの子たちがしゃべっていることが耳に入ってきて、『(性行為は)付き合っている人同士がするものなんだ』とか『異常なんだ』と思うようになり、父は鬼畜だと思いました」

●弟も妹も「性的虐待」の対象だった

リツコさんの父親は、性行為中に避妊をしなかったという。そんな関係が続けば、当然、妊娠に至ることになる。

「16歳のときに妊娠しました。妊娠とわかったとき、一緒に住んでいた当時の彼氏(現在の夫)の子として産もうと思ったんです。ですが、4カ月後に流産してしまい、救急車で運ばれました。病院の医師に話をしたら、『流れたのはあなたの問題ではない』と言ってくれました。流産した子には申し訳ないけど」

彼女だけでなく、彼女の弟も妹も、父親の性的虐待の対象だったという。

「弟も性的虐待の被害にあいました。私が虐待されている現場を見せられました。それに、弟は殴られながら肛門性交をされたり、父の性器を咥えさせられたりしました。妹も性的虐待にあいました。ただ、私と弟は殴られましたが、妹はあまり殴られたのを見たことがありません。

私は弟を逃したことがありました。『父の手が届かないところへ』と思ったんです。でも、児相に保護されて戻ってくる。すると、父が殴って、また逃げての繰り返し。ある日、裸で立たされていた弟は、近所の洗濯物を盗んで逃げたんですが、窃盗で捕まりました。父から逃げられるなら鑑別所でも良かったんだと思います」

●真冬に裸で外に立たせる「身体的虐待」もあった

性的虐待だけでなく、身体的虐待も壮絶だったという。

「虐待という虐待はすべてやられました。敷居の上にサンがあって、腕を縛って紐で吊るされて、ベルトとか濡れたタオルとか、洗濯機のホースとかで殴られました。そうすると、傷ができるので、その部分に酢や醤油をかけられました。すごく痛かった。

そして、うつ伏せにされて、他人から見えない背中やお尻とか、布団たたきで殴られました。下着を全部剥ぎ取られ、殴られ続けました。理由は何もありません。ひたすら叩かれていました。泣くと、『うるさい。黙れ。声をあげるな』と言われて、さらに殴られました。父が疲れると、弟や妹に『やれ!』と命令して、やらせていました」

殴られているとき何を考えていたのか。

「『早く終わってほしいな』とか『このまま死ねたらいい』とか『記憶がなくなればいい』と思っていました。私の中では『行水』と言っていますが、風呂の浴槽に水がいっぱい張ってあって、真冬に顔をずっとつけられ、意識が遠のくことがあったんです。そのときは『このまま死ねたらいいな』『死んだら楽だろうな』って思いました」

そうした虐待について、もちろん彼女の母親も知っていたが、止めてもらえなかった。

「母は、私が虐待されていたのを知っています。しかし、母も何回も父に殴られて、上唇が裂けていたのを覚えています。救急車に運ばれたりしていました。母は耐えられず、時々、家出をしました。

当然、私や弟、妹は、父のそばに置いて行かれました。真冬に裸で外に立たされたことがありましたが、近所の人たちもよく見ていました。『かわいそうだよね』とか『もういい加減誰か止めてあげなよ』とか言ってくれたりもしましたが、止めてくれる人はいませんでした」

●結婚していた弟は自殺した

だれかが通報して警察が来たときもあった。

「『行水』の最中に『ごめんなさい。ごめんなさい』と謝ったり、叫んでいたりしたのが、近所に聞こえたんだろうと思います。鮮明に覚えています。おまわりさんに父が『しつけのため』と言っていたんです。

このとき、『違うんです、助けてください』と言おうとしました。でも、そう言ったら、あとで殺されちゃうと思って言えなかった。おまわりさんは帰ってしまいましたが、当然のように『倍返し』で殴られました」

やがて、子ども3人を置いて、母親が家出した。それほど壮絶な虐待があったのだろう。しかし、残された子どもたちへの虐待は激しくなっていく。

「当てつけに、その分、殴られました。暴力は日常茶飯事。ビール瓶を投げたのが、私の頬をかすめることもありました。母が逃げた気持ちはわかります。理解できなくはない。ただ、置いていってほしくなかったですね。母にも言ったことがありましたが、『私1人じゃ、子ども3人連れて行けない』と」

一時的にリツコさんは父親と2人暮らしになったこともある。そのときは逃げ場がなかった。

「中学を卒業したころには、父の出稼ぎのため、2人で都内に住んでいました。弟と妹は、西日本にいた祖母と一緒に暮らして、離れていました。父と私だけだったので、おもちゃのようにされました。本当は嫌なんですが、体が反応してしまう。そうじゃないと父は喜ばないし、怒りました」

その後、妹も都内にやってきた。そのとき、同時に性的虐待をされたこともあったという。

「とにかく逃げたかったんですが、妹と私が裸にされて、2人同時にレイプされたときがありました。それが16歳のときでした。私がこの家を出て行ったら、妹が1人で(性的虐待を)やられてしまいます。それで妹さえ(性的虐待を)されなければいいと思いました。

しかし、私と妹は並べられて、されてしまったんです。そのため、『もうこの家にいる意味がないな』と思って、妹を連れて警視庁に保護を求めました。刑事さんには『お父さんを逮捕はできるけど、3年で出てきちゃうかもしれない。どうする?』と聞かれました。仕返しが怖かったので、児相に保護してもらい、彼氏と一緒に住むようになりました」

弟は30歳のときに自殺しているという。

「結婚していた弟の遺体が山の中で見つかったんです。それまでも精神的に不安定になり、自殺未遂を図ったこともあったそうです。自殺するような辛いことが続いて、結婚しても、忘れることができなかったのでしょう。父のことで苦しんでいたことは知っています。これでやっと楽になるのかなと思ったりもしました」

リツコさんは現在、法的手段でうったえることも考えている。しかし、弁護士に相談をしたが、公訴時効の壁がある。施設には記録はあるが、警察に問い合わせても証拠保全の期間が過ぎていた。

「私たちみたいに、子どものときにされた人は、大人になってから、いざ訴えようと思っても、もう時効が成立しています。時効で相手は守られていて、何もできないんです」

刑法改正案では、強制性交等罪が「不同意性交罪」に名称変更されて、時効が10年から15年に延びる。被害者が18歳未満なら、起点は18歳となり、時効は33歳となる。リツコさんの場合、最後の強制性交が16歳のため、刑法上、33歳の時点で時効だ。一方、民事でも、求償権が20年で消滅という判決が出ている。

「子育てとかで、バタバタしている間は良かったんですけど、忘れられるというか、気が紛れました。ただ、それと同時に子どもたちが、私が虐待された年齢に成長して、余計に思い出すんです。弟の仕返しもしたい。それに死ぬまで黙って、墓場まで持って行く話じゃない気もします。父は高齢です。私たちがどれだけ辛い思いを今でもしているのか教えてやりたい」

「11歳のとき『実の父』からレイプされた」 壮絶虐待の被害者に立ちはだかる「法の壁」