大手企業に勤める、世帯年収1,700万円のA夫妻。これまでお金に困った経験はなく、生活費を正確に計算したことはありませんでした。そのようななか、ふと老後いまの生活水準で暮らせるか気になり、定年を前にFP事務所へ相談に訪れた2人。FPによるシミュレーションの結果「驚きの事実」が判明します。FP Office株式会社の石井悠己也氏は、2人にどのような助言を行ったのか、みていきましょう。
“無対策”の高所得者ほど、老後破産に陥りやすい
現役時代にいくら多く稼いでも、日本の公的年金の額には上限があります。
厚生年金は国民年金と異なり、年収が高く加入期間が長いほど受給額が増える仕組みのため、受給額にあらかじめ定められた「満額」は存在しません。しかし、老後に受け取れる厚生年金の“理論上の最高額”は、月額でおよそ30万円3,000円となっています。
この理論上最高額の老齢年金を受け取るには、現役期間中に次の条件を満たしている必要があります。
●常に標準報酬月額の上限である63万5,000円以上の給与を受け取る ●賞与を欠かさず年3回、標準賞与額の上限である150万円以上受け取る ●中学卒業後すぐに就職し、70歳まで上記(年収約1,200万円)の条件で継続して働く3つ目に関してはかなりのレアケースのため、上限額についてはあくまで目安とお考えください。
最高額の厚生年金と国民年金を合わせると、月額約36万8,000円となります。これは年収に直すと、440万円程度です。つまり、いくら現役時代にたくさん所得があっても、老後もらえる公的年金は最大で440万円。さらに現実的なラインで考えると、高所得者でも200万円~250万円というところです。
所得が高ければ高いほど現役時代との収入差が大きくなるため、収入があるからといって毎月の固定費の高い方は、貯蓄や資産運用などで事前に備えておかないと老後破産に陥ってしまいます。
なお、年収ごとの年金受給額は[図表1※]を参考にしてください。
※ 年収は40年間変動なし、賞与なし、平成15年4月以後、40年間厚生年金に加入の場合。
本当に勝ち組?世帯年収1,700万円の共働き夫婦
ある日筆者のFP事務所に訪れたのは、ともに59歳のA夫妻です。お2人とも大手企業に勤めており、1年後に定年退職を控えています。再雇用という選択肢もありますが、退職金も夫婦合わせて4,000万円ほどあるうえ、年金もこれまでたくさん払ってきたことから、できれば60歳で退職して老後生活を悠々自適に暮らしたいと思っています。65歳までは退職金を取り崩し、65歳からは年金で暮らしていきたいとのご意向です。
A夫妻は、いまの生活水準を落とさずに老後暮らしていくことは可能なのでしょうか。今回はこのA夫妻の状況を踏まえ、老後リスクについて考えてみましょう。
ヒアリング時にお聞きしたA夫妻の状況は下記のとおりです。
家族構成:ご夫婦2人暮らし(2人のお子様はすでに独立)
年収:Aさん……1,200万円/奥様……500万円
退職金:Aさん……約3,000万円/奥様……約1,000万円
現預金:世帯で約1,000万円(※なお、子どもたちの独立後は月20万円ほど貯蓄に回している)
住宅ローン:1999年に、新築マンションを5,500万円で購入(35年ローン、固定金利2.5%)
マンション管理費(修繕積立)など:年間約70万円
生活費:とくに計算していない
保険料:年間約40万円
なお、お子様の独立により教育費などは現在かかっていません。
貯蓄が1,000万円あると聞くと、一見十分に思えますが、A家の世帯年収1年分に満たない水準であることに、筆者は少々違和感と不安を感じました。
また、生活費について伺うと、「特に家計簿などをつけているわけではないのでわからないが、おそらく毎月30万円くらいだろうとのこと。そこで、まずは生活費の算出から行うことにしました。
「娯楽三昧」の生活で、予想額を20万円以上オーバー
Aさんの年収が1,200万円だとすると、手取りは約847万円。奥様の年収500万円から手取りを計算すると、約385万円となります。すなわち、手取り年収は合計1,232万円です。この1,232万円から住宅費・貯蓄・保険にかけている金額を引くと、
1,232万円-(住宅費:306万円)-(貯蓄:240万円)-(保険:40万円)=646万円この646万円を月で割ると、
646万円/12ヵ月=53.8万円1ヵ月あたりの生活費は、53.8万円だということがわかりました。先ほどお聞きした「30万円ぐらい」から大きくオーバーしています。
共働き世帯の場合、お互いの支出を管理する機会が少ないため、「思ったよりも使ってしまっている」というケースが多く見受けられます。A夫妻も例外ではなく、お子様の教育にかけていたお金をそのまま貯蓄に回すことで老後資金の準備を行っているという状況でした。
特に大きかった支出は、「娯楽」です。年に1度は海外旅行へ行き、国内も年数回は行かれるとのこと(年間約50~100万円)。
そのほか、ご主人は月に数回会社仲間とゴルフへ(1回2万円~3万円)。一方の奥様もミュージカル鑑賞がお好きで、年に数回ご主人やご友人と観に行かれるそうです(食事代など含め、1回あたり1人2万円~3万円)。
これだけでも、年間200万円前後は使っている計算になります。
「終の棲家」にしたいが…懸念されるローン残債と管理費、修繕積立金の増加
A夫妻は35歳のとき、35年ローン(固定金利2.5%)を組んで5,500万円のマンションを購入しています。住宅ローンの残債は10年ほど残っていますが、住み替えなどは考えられないとのこと。思い出の詰まった我が家には愛着も強く、終の棲家として考えているそうです。
住宅費の詳細は以下のとおりです。
返済額……月々19.6万円 管理費・修繕積立金……月々5万円
年間合計……295.2万円
終の棲家として考える場合、住宅ローンを完済したあとも、毎月5万円(年間60万円)の管理費・修繕積立金は払い続ける必要があります。さらに、今年2度目の大規模修繕工事を控えたマンションは、修繕積立金の増加が見込まれており、さらに負担が増える可能性があります。
65歳から受け取れる年金額は…
では、お2人は「共働きでこんなに働いていたんだから年金も多いだろうし、大丈夫」とおっしゃっていましたが、実際いくら年金がもらえるのでしょうか。
標準報酬月額などで算出するシミュレーションソフトも多くありますが、今回はねんきん定期便の持参をお願いしました。
ねんきん定期便によると、A夫妻が老後受け取れる年金額は以下のとおりです。
Aさん……233万円 奥様……173万円 世帯合計……406万円これは現役時の世帯年収(手取り年収)と比較すると、3分の1程度の収入です。ただし、こちらはあくまで支給額ですから、下記のような税金や保険料が控除され、実際の手取りはさらに少なくなります。
年金から控除される税金や保険料は下記のとおりです。
・所得税 ・住民税 ・国民健康保険料(75歳未満)、または後期高齢者医療保険料(75歳以上) ・介護保険料年金支給額の約10%~15%が控除され、手取りは約360万円ほどになりそうです。「え……こんなに少ないの?」思わずつぶやいた奥様の表情が印象的でした。
さらにそのほかにも、退職翌年の住民税などは前年度の収入で計算されるため、現役時と同水準の税金がかかります※。 ※ 所得税は源泉徴収で納付。
また、退職所得控除を超えた分の退職金にも所得税がかかるのですが、Aさんの場合退職所得控除が2,060万円。3,000万円の退職金であれば、ざっと100万円程度の税金がかかることになります。
60歳で退職した場合…「毎年500万円の赤字、67歳で破産」の末路
ここまで、A夫妻の普段かかっている生活費・住宅費・もらえる年金額をみてきましたが、定年退職後、いまの水準のまま生活を続けていくことは可能なのでしょうか。
【収入】 年金……406万円(手取り約360万円)
【支出】 生活費……646万円(月53.8万円) 住宅費【完済前】……295.2万円 住宅費【完済後】……60万円(ただし、将来的に増加の可能性あり)
合計:住宅ローン完済まで→941万円、住宅ローン完済後→706万円
このようにみると、住宅ローン完済までは少なくとも毎年500万円以上の赤字になることがわかりました。これでは、老後破産を免れません。
そこで、現在の状況をふまえ、簡易的なキャッシュフローとライフプラン表を作成しました。
来年以降4,000万円の退職金が入ってくるため、一時的には5,500万円近い世帯資産となりますが、[図表2]をみると退職後もいまの生活を続けていくと67歳で資金が枯渇することがわかります※。
FPが解決策を提示も、2人の反応は…
解決策はいたってシンプルです。収入(資産)を増やすか、支出を減らすかです。筆者は、ここまでの試算をもとに下記の4つの解決策を提示しました。
1.60歳以降も収入を維持するために仕事を継続する(収入を増やす) 2.生活費、固定費を見直す(支出を減らす) 3.住み替えを検討(支出を減らす) 4.退職金を少しでも運用して将来に備える(資産を増やす)しかし、ここまで贅沢三昧をしながらも、なんとか生活できてきたお2人は、老後破産の未来がイメージしづらいのかその反応は重たいものでした。
「生活水準を落としたくない」
「周りにどう思われるかがこわい」
「なんとかならないか?」
なんとかするための解決案なのですが、どうにも受け入れられない様子です。しかし、もう退職直前とあっては取れる方法も限られてきます。
一度定まった生活水準を下げることは、想像以上に苦痛を感じるものです。せめてあと数年気がつくのが早ければ、そこまで苦痛に感じない解決策もあったでしょうが……。こうなってしまっては、やれることからやっていくしかないのです。
老後の資金について考える場合、シミュレーションは早めに実施することをおすすめします。
石井 悠己也
FP Office株式会社
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