完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』(ヤマケイ文庫)より、日本各地の狩猟の現場を長年記録してきた著者の田中康弘氏が綴った、ツキノワグマの猟について紹介します。(全2回の1回目/後編に続く)

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日本のクマについて

 日本国内には2種類のクマが存在する。北海道に生息するヒグマと本州以南のツキノワグマだ。九州のツキノワグマは正式に絶滅が発表されたが、随分以前から糞や毛、クマ棚等の痕跡は見つかっていない。そのことから半世紀以上前には絶滅してたと考えるのが妥当ではあるまいか。一時期それらしい姿も見られたようだが飼われていた個体を山に逃がしたというのが実情らしい。

 四国では徳島県の剣山周辺に20頭程度生息しているのが確認されている。しかしこの数では群れを維持するのは困難に近く絶滅する恐れがある。日本各地で見ていくと中部地方以北に多く生息し、それ以外は少ないといえるだろう。

 ツキノワグマの生息域はもちろん山の中であるが、近年は集落内を闊歩する姿も見られる。これはシカやイノシシも同様だ。個体差はあるだろうが、ツキノワグマ自体は憶病で積極的に攻撃してくる生き物ではない。どちらかといえば大人しく、人の気配を感じれば隠れるか逃げ出すのだ。

遭遇事故はなぜ起きるのか

 遭遇事故にあった場合を分析すると子育て時期が多いようだ。よくいわれる子連れには気を付けろ、である。子グマがちょろちょろしているのを見たら間違っても写メしている場合ではない。近くには必ず母グマがいるのだ。非常に危険な状態にあり急いでその場から離れなければならない。

 次に危険なのは“森でバッタリ”だ。山菜やキノコ採りで山の中を歩き回っていると何の前触れもなくいきなり襲われる場合が多々ある。多々あるというよりこの手の事故が最も多いのではないだろうか。山菜やキノコを採る人は下ばかり向いているから前方に対する注意力が散漫になりがちだ。ツキノワグマも目があまりいいほうではないので、直前までお互いに気が付かず出会ってびっくりとなる。視力はよくないツキノワグマだが嗅覚は非常に鋭い。なのに何故人の存在に気が付かないのかというと単純に風向きの問題なのだろう。

 遭遇事故を回避するにはどうしたらいいのか。クマ除けの鈴を付けて山へ入る人は多い。またラジオを持っていくという人もいるが、やはり邪魔だし電波状態が悪ければあまり意味はないだろう。定期的に大声を出して積極的に人の存在をアピールするマタギ流が一番簡単で手っ取り早いかもしれない。

「ほやぁ~ほやぁ~」

「ほーーーっ! ほっ!」

 これはクマ猟の時にマタギが大声で発する声だ。マタギとは何者でどんな猟をするのか見ていきたい。

マタギとクマ

 マタギについて簡単に述べるのは難しいが、あえていうと山猟師である。山猟師は北海道から西表島まで各地にいるが、マタギといえるのは下北半島から長野新潟の県境にある秋山郷までの範囲だ。さらに地域は限定され、その特徴は雪深い山間地、そして秋田県の阿仁地区と縁が深い。つまり阿仁地区がマタギの核心部といえるのだ。

 マタギのクマ猟は猟期である11月15日から翌年2月15日までの通常の猟期に行われている。これは冬眠前の秋グマ猟といわれる。対して4月末から5月初旬にかけて行われるのが最もマタギらしいといわれる春グマ猟だ。この時期は長い冬眠から目覚めたクマが穴から出てきて間もない時期である。4カ月近くもの間活動をしていなかったクマの体には大きな変化が起きているのだ。まずは見た目、山の中を歩き回らないので毛も爪も綺麗に伸びている。つまり毛皮の価値が高い。今でこそ獣の剝製や敷皮は悪趣味と感じる人が増えたが以前は違う。特に高価なクマの皮や剝製は一種のステータスシンボル、また宿泊施設でも絶好のアイコンとして重宝されたのである。

 春グマからはもう一つのお宝が手に入るがこれこそマタギの狙いなのだ。それは胆嚢で、食べ物の消化には欠かせない胆汁を生み出す器官である。これが長い絶食生活の間使用されない胆汁が溜まってパンパンになっているのだ。その胆嚢を丁寧に加工して漢方薬であるクマの胆として売るのが昔からのマタギの経済活動でもある。金と同じ価値があるとされるクマの胆はあらゆる病に効く万能薬として各地で売られた。マタギやその関係者が売薬業を営み、それが山深い地域に経済的な波及効果をもたらしたのである。つまりマタギは直接的に食べることよりも経済的な理由で多くのクマを狩っていたのだ。とはいえ貴重な動物性たんぱく質が集落の恵みであったことは確かで、お裾分けで貰ったクマ肉を皆大切に食している。

マタギとクマ猟に行く

 マタギとの山行きは簡単ではない。特にクマ猟は道無き道を進むわけで、例えると山そのものを泳ぎ回る感じに等しい。これは山歩きが不得手な者にとっては困難を極める作業となる。しかしそれをしなければクマには会えないから頑張るしかないのだ。

 ある年の11月半ば過ぎ、根子マタギの佐藤弘二さんたちと秋グマ猟へと向かった。この年は稀にみるブナの実が豊作の年でクマの動きは非常に活発、あちこちから捕獲情報が伝わってくる。

「同じブナの下で3日連続で獲った人さもいるべ。はあ、またいる、またいるってなあ。もうずーっとブナ栗さ食べてるんだぁ」

 長い冬を前に山の生り物が豊作なのはクマにとって有難い状況だ。しかしそれを察知したマタギから逃れることは難しい。

 氷点下近くまで冷え込んだ尾根筋から双眼鏡で彼方を見つめるふたり。うっすらと雪が積もった斜面にはブナの巨木、そしてその根元に黒い影。8倍の双眼鏡を渡されたがその黒い影がクマには見えない。しかし二人はクマだと確信を持った。そうなると行動は速い。林道からそのまま急斜面を降りるとクマの居たほうへと歩を進める。しかし尾根筋と違い森の中へ入り込むと位置関係が皆目分からなくなってしまう。土地勘のない私は当然のことだが、慣れたマタギたちも慎重に辺りを確認し自分たちの位置を見定めクマへ最善のアプローチを試みている。

丸まった黒い塊がすっと動くと…

 沢まで降りるといよいよ猟が始まる。二人しかいないのでいわゆる巻き狩りにはならないが、勢子役がクマを追うのは同じだ。ただブッパ(撃ち手)は一人なので、点と点を上手く結ばないと獲れないのである。

 ブッパの後を追いながら斜面を登る。かなり冷え込んでいるが体は熱い。山は何時も熱い。ここぞと定めたところでブッパは倒木の上に腰を下ろす。私はその数メートル下でカメラを手にぼーっと辺りを眺める。

「何時頃始まるのかな? 今日は獲れるのかな? まあ、獲れないかなやっぱり。何時頃山降りるのかな? 夜になるのは嫌だなあ……」

 基本的にマイナス思考なのでこんなことばかり考えている。その間もブッパは頭の中でシミュレーションを繰り返している。あそこら辺りから出てくるか、それともこっちか? それなら位置を変えたほうが対処しやすいのではないか。若干の位置修正を終えるとブッパは木になった。“木になる”とは森の木と一体化して獲物に気取られない状態を指す。一切の邪念を払いじっとその時を待つのである。対照的に邪念以外の何物もない私はぼーっと石の上に座り周りを眺めていた。

 ?

 ???

 何かが視線の端をかすめた。ブッパの後方の稜線にゆっくり目をやると何かが動いている。丸まった黒い塊がすっと動くとそれはクマの姿になった。

「あの……クマ、クマがいますよ~」

「クマだ!!」

 っと大声を出しては逃げられる。かといってカメラしか持たない私には手が出せない。ブッパまでは数メートル、背後を指さし口をパクパクして知らせるが彼は怪訝な顔をしているだけで気が付かない。

「何? わからねえからこっちさこ!」

 仕方がない、ゆっくり近づいて小声で

「あの……クマ、クマがいますよ~」

「どさ!」

 ブッパは私が指示したほうへ銃を向けるとすぐさま引き金を引く。辺りにこだまする銃声に耳が遠くなる。それと同時にクマの姿が見えなくなった。

「どした? 中あたったか?」

 ブッパも私も転げ落ちるクマの姿が確認できなかった。中ったのか、それとも逃げたのか? 二人して辺りを見渡していると三段滝の一番下に黒い塊が見える。

「クマだ! よし、しょうぶ~っしょうぶ~っ!!」

 これはクマを仕留めたマタギが大声で叫ぶ勝負声で、本当は無関係の人間が発してはいけない。しかしこの時はあまりに嬉しくて私も一緒に勝負声を上げながら斜面を駆け下りたのである。今思えば滑落しなくて本当によかった……。

 こうして授かったツキノワグマ130kgの雄だった。一般的に捕獲されるツキノワグマの体重はおおよそ60~80kg程度だから大物といえるだろう。この大物を谷底から林道まで運び上げるのが大変である。近ければロープやワイヤーを使って直線的な引き上げも可能であるが余りに遠すぎる。結局、現場で解体をしてそれを小分けにして担ぎ上げるしか方法がない。冷え込む山中でマタギたちは黙々と手を動かし2時間程かけてツキノワグマを解体したのである。ぎっしりとクマ肉が詰め込まれたリュックの重さは30kg近い。それを背負うと林道へ向けて急斜面を登ることさらに2時間、私はマタギの荷物とカメラを抱えての登坂でギブアップ寸前まで追い込まれた。しかしマタギたちはクマ肉を一旦ジムニーに積み込むと再び谷底まで降りて行く。彼らが里に戻ったのは日がとっぷりと暮れてからだった。

「振り向いたら黒い塊が」マイタケ採りでクマが落ちてきた…クマの執拗な攻撃の果てに沢へ転落した“遭遇事故”の結末 へ続く

(田中 康弘/Webオリジナル(外部転載))

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