(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

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 李在明・共に民主党(以下“民主党”)代表は、歴史問題で日本非難を繰り返してきたが、元慰安婦支援団体や元徴用工支援団体といった市民団体の不適切な行為が相次いで発覚。そのため、歴史問題に対する韓国国民の関心も急速に冷え込み、今や歴史問題で日本を批判しても国民の支持を得ることが難しくなっている。

 そこで李在明代表は、歴史問題に代わる、政府攻撃と反日の材料として目を付けたのが、福島第一原発の処理水の問題だった。

野党代表、処理水放出問題で国民の「反政府・反日」感情を煽りだす

 福島原発処理水は韓国では「(放射能)汚染水」と呼ばれている。韓国の多くの国民は、この処理水がIAEAが海洋放出しても人体に与える影響は「極めて低い」としている真実を理解せず、感情的に放出に反発している。李在明氏は、韓国国民のそうした感情を積極的に煽ることで、政府攻撃、反日活動を盛り上げようとしているのだ。

 こうした国民の感情を煽るやり方は、2008年にBSE牛海綿状脳症狂牛病)に関連して広がった米国産牛肉輸入反対運動と同じパターンだ。この時には、左派勢力や野党が、当時の李明博政権に対し、「BSEの危険性があるのに、李明博政権はアメリカの顔色をうかがって、米国産牛肉の輸入を続けている」などとデマを吹聴。これにより李明博大統領の支持率は大幅に低下し、一時は政権維持が困難なほどの苦境に追い込まれた。李在明氏もこの事例にあやかろうとしているのだろう。

 しかし、筆者の見立てでは、福島原発処理水の放出問題では、そこまで騒ぎは広がりそうもない。広がるとすれば、福島県沖の水産物の輸入を解禁した時であるが、現在のところ韓国政府は福島産海産物の輸入を否定しており、この問題が「反日感情」の発火点になる可能性は低い。

 つまりは、李在明氏や民主党による「汚染水批判」は、根拠のない“デマ”の拡散にも等しい行動と言わざるを得ない。李在明氏が煽っていることがいかに不誠実か検証してみよう。

処理水放出問題は全国的規模に広がるのか

 民主党5月28日ソウル市内の国会前で「福島汚染水投棄は放射能テロだ」という横断幕を掲げて集会を開いた。「福島放射能水産物輸入5000万人が反対する」といプラカードもあった。政府が「輸入を再開する」などと言ってもいないのに反対の声をあげ、福島原発の問題に党として全精力を傾けようということだろう。28日だけで、民主党主導の署名運動には10万人以上が応じたという。

 さらに李在明氏は、「福島汚染水反対」運動を全国に展開しようとして、民主党の全国各地方区委員会に「福島汚染水反対」の横断幕を提示すること、その現状を報告するよう指針を下したことが判明した。民主党は全国市道党委員長の名義で「福島汚染水投棄・水産物輸入反対の反国民署名運動横断幕掲示案内の件」と題した公文を各地域委員会に発送した。

 公文には福島汚染水横断幕の文字やデザインの試案も盛り込まれている。

 しかし、民主党幹部が下部組織に、福島原発処理水放出反対の横断幕を掲示し、その状況を報告することを求めている事実は、逆にこの運動が思うように広がらないことへの焦りの裏返しではないだろうか。この運動が自発的なうねりとなっているのならば、このような指示を出す必要はないはずである。

 ちなみに、福島原発処理水放出反対集会の動きについて、過去2週間以上目立った報道はない。

 要するに民主党は、反対運動を全国に広げようとしているが、それは、国民の間から自発的に巻き上がる大きな動きとはなっていないのだ。

 数名の民主党議員が当てもなく福島に行き、そして何の成果もなく帰国したのと同様に、李在明氏の全国運動も成果なく終わることになるのではないか。

BSE騒動では李明博大統領が窮地に

 民主党の感情的反発を狙った福島原発処理水放出反対は、「第2のBSE事態を狙った扇動」という指摘も少なくない。

 しかし、そもそも福島処理水放出問題と2008年のBSE問題との間に決定的な違いがある。

 2003年の米国でのBSEが発生した後、韓国では米国産牛肉の輸入を制限するなどの対応措置を取ってきた。しかし、米韓FTAの批准を前に米国が韓国に牛肉輸入の拡大を求め、これに応じた韓国政府は、2008年4月18日の韓米間の米国産牛肉輸入衛生条件交渉において「生後30カ月未満の骨を除いた肉」に制限されていた輸入規制を2段階に分けて緩和し、事実上無制限に輸入することに合意した。

 この反対運動に火をつけたのは、MBCの報道であるが、これに反李明博ネチズン・メディア・政党・市民団体・労組が飛びつき、「米国産牛肉を食べると脳がスポンジになって即死する」などといったデマを拡散、約2カ月にわたって市民集会が続く事態となった。集会に参加する市民も増加し、5月2日に始まったデモでは参加者は300人と届けられていたが、実際には1万人が集まったほどだ。

 同月、李明博大統領は国民談話を発表し、国民の思いに配慮が至らなかったと謝罪したが、それでも事態は収まらず、6月にはデモ参加者は主催者発表で50万人、警察発表でも10万人となった。

 最終的には6月に行われた追加交渉で、米国側が農務省の品質管理プログラムを通じて生後30カ月以上の牛肉が韓国に輸出されないよう保障することに合意し、8月から輸入が再開された。

福島産水産物の輸入「解禁しない」と政府は言っているのに

 福島沖の水産物輸入については状況が異なる。韓国政府は「福島産の水産物が国内に入ってくることは決してない」と表明している。

 この問題に対して韓国世論はかなり過敏になっている。

 3月の日韓首脳会談で日本側が規制見直しを求めたと報道されたときにも反発が広がった。この時はさらに、尹大統領が「時間がかかっても国民の理解を求めていく」と述べたと報じられたこともあり、さらに国民の怒りを買う結果となった。大統領室は、書面のコメントで「国民の健康と安全が最優先という政府の立場に変わりない」と報道を否定し、鎮静化を図った。

 このときにも民主党は、福島水産物の輸入反対集会を開き、政府を攻撃している。

 しかし、冷静に考えて見れば、これまで輸入を禁止していたものを、わざわざ福島原発処理水の放出に合わせ輸入を解禁すると考えること自体、合理的ではない。処理水が放出されれば、輸入を禁止すると考えるのが常識ではないだろうか。民主党も韓国メディアも国民の反発を狙ったデマ政治を行っていると考える方が常識的だろう。

 李在明代表は釜山の集会で「韓国の漁業関係者は全員死ぬ」などと煽ってみせたが、韓国水産物産業経営人中央連合会は「韓国の水産物は安全だ。一部の扇動家の誤った情報とフェイクニュースは徹底的に区別し、いつよりも冷静に落ち着いて対応して、水産業界の被害を防いでほしい」と呼び掛けている。

 結局のところ、民主党は「政府は福島産水産物を輸入する」とデマを拡散することで、韓国の水産業界を苦境に陥れているのだ。しかし当の政府が「福島産水産物を輸入しない」と言っている以上、国民の間で感情的な反発は広がらないだろう。逆にデマをまき散らす民主党との非難を受けるだけである。

 時代精神研究所のオム・ギョンヨン所長は「民主党が政府・与党の(支持率)上昇に不安を感じ、福島汚染水を一番の弱点と判断した」、「短期的には支持層に訴求力があるが、中長期的には反日感情だけに頼るのは20~30代の離反につながる可能性がある」と指摘している。

 まさに自分で自分の首を絞めに掛っているようなものと言えよう。

李在明氏、中国と共闘して処理水放出に反対

 ところが、この民主党の流れに乗ってこようとしている国がある。中国である。

 中国の邢海明・駐韓大使は、民主党の李在明代表と会い、以下のように述べたという。

「中国と韓国は日本の近隣諸国として、自国民の生命安全を守って世界の海洋生態環境を保護するために日本の汚染水海洋放流を最善を尽くして共に阻止しなければならない」

「これまでの情報で見ると、海洋放流は30年間持続するものと予想される」

「放射性物質は放流日から57日内に太平洋の半分以上の地域に広がる可能性がある」

「日本が経済などの利益のために太平洋を自身の家の下水道と考えている」

 これに喜んだのが李在明代表だ。李代表は「最近、日本の汚染水海洋投棄問題で周辺国の懸念が高まっている」「この問題に対して共に声を上げ、共同の対応策を講じることができればと思う」などと応じたという。

野党代表と中国との共闘、主要紙が手厳しく批判

 この民主党と中国大使の共闘に寄せ、朝鮮日報はこれを批判する社説を掲載した。

<野党が原発放流水に反対するために中国側と手を握るのは一言で言えばナンセンスだ。中国に55基ある原発はそのほとんどが韓国西海のすぐ対岸にある中国の東海岸に集中している。ここから排出されるトリチウムの量は福島原発からの排出量の50倍に達する。福島放流水が太平洋を一周して4~5年後に韓国近海に到達する頃には、トリチウムの濃度は通常の海水の17万分の1にまで希釈されるという研究結果もある。これに対して中国から放流されるトリチウムは水深が浅い西海にそのまま流されている。原発の放流水が問題なら、日本ではなく中国の方に先に徹底した浄化処理を求めるべきだ>(朝鮮日報日本語版6月9日付社説より)

 メディアからはこのような冷静な意見が出ている。もちろん、この社説に書かれているような事実は李在明代表だって百も承知のことだろう。そのうえで、事実に目をつむり、あえてこのような中国と共闘しようとしている。これは結果的には李在明氏側にとって決してプラスにはならないだろう。李在明氏の主張がデマであることを実証するようなものである。

 朝鮮日報の社説はこう結ばれている。

<福島放流水が最初に到達する場所はアラスカで、その次は米国の西海岸だ。本当に問題があるなら米国がじっとしているだろうか。同じ党内からさえ「共に民主党はデマ政党になった」という嘆きが出るほど、この党は科学的な事実や合理性などとはほど遠いレベルに落ち込んでしまった>

邢大使の「尹錫悦政権批判」に「内政干渉だ」の声

 邢大使は李代表との会談で、こう主張した。

「中韓関係は外部要素の挑戦にも直面した。米国が戦力で中国を圧迫する状況の中で、一部は米国が勝利して中国が敗北するほうに賭けている」

「これは明らかに誤った判断であり、歴史の流れもしっかりと把握できていない」

 中央日報は、「同大使の発言について『米国に対抗する方に賭けるな』というバイデン大統領の最近の警告に遠回しに言及したものと見られる」と指摘している。

 この発言に対し、韓国外交部は直ちに反応した。

 朴振(パク・チン)外交部長官は「外交慣例というものがあり、大使の役割は友好を促進させることであって、誤解を広めてはならない「(邢氏発言は)度を越した」と強く批判した。

 さらに同部の張虎鎮(チャン・ホジン)第1次官は「看過できない表現で韓国政府の外交政策を批判したことは外交使節の友好関係促進任務を規定した『ウィーン条約』と外交慣例に反する」と指摘し、「国内の政治に介入する内政干渉に当たる可能性がある」と非常に強い警告を発した。

 与党「国民の力」の金起ヒョン(キム・ギヒョン)代表も、邢大使の発言に対し「明白な内政干渉であるだけでなく外交的に深刻な欠礼」と指摘するとともに、李在明代表に対しても「大韓民国政府を批判するのに、拍子を合わせながらバックダンサーを自任した」と批判した。

 金代表はさらに、邢大使が「韓中間の関係悪化の責任を大韓民国に押し付けるような発言をし、大韓民国に対して『必ずや後悔することになる』などと露骨な批判をはばからなかった」ことに不快感を表明した。

 デマ情報を交えて、原発処理水を放出しようとしている日本と、科学的知見に基づきこれを許容しようとしている尹錫悦政権を攻撃している李在明氏に韓国国民の多くは賛同せず、日米との協力で北朝鮮の核・ミサイルに対抗しようとする尹錫悦政権の外交を評価している。また中国も、北朝鮮を庇う国とし韓国国民の信頼を失っており、韓国は“中国を最も嫌う国”という世論調査の結果もある。

 中国はこれまで上から目線で韓国に接し、時には報復も交えつつさまざまな圧力を行使してきた。そのことを韓国国民は忘れていない。今回の邢大使の発言もまさにその類である。このような発言に対し、黙って微笑みながら聞き入れた李代表の評価は下がることだろう。

 韓国を見下し、都合のいい時だけ利用しようとしている中国と手を組んでまで政府攻撃と反日活動にいそしむ李在明氏が、韓国を代表する政治家・指導者になると韓国国民は考えないだろう。

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