こんにちは。クイズを愛する2児のサラリーマンけんたろ(@kenlife202010)です。クイズ好きが高じて、日本語や雑学に興味を持つようになり、Twitterではクイズを中心に言葉の知識や雑学ネタを発信しています。

実は人名由来の言葉30選

こちらでは「言葉にまつわる知識」をテーマに、よくある日本語の間違い、実は知らない身近なモノの名前、漢字、社会人としての言葉、言葉の雑学などをお伝えしていきます。

今回は「人名由来の言葉」です。

人名由来の言葉を「エポニム」と言います。発明者やある現象・場所の発見者の名前に因んで名づけられることがあります。今回はそんなエポニムの中から、日常生活でよく見るけどほとんどの人は人名由来とは知らないであろう言葉を30個集めました。

アメリカ:

イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチ(1454~1512)から名付けられました。彼はアメリカが新大陸であると最初に主張した人物です。アメリカ大陸を最初に発見したのは有名なコロンブスですが、当時彼らはアメリカ大陸をアジアの一部と考えていたのです。そのことからドイツの地理学者マルティン・バルトゼーミュラーは作成した世界地図の新大陸に「アメリカ」と名付けました。

エベレスト

イギリスの測量士ジョージエベレスト(1790~1866)から名付けられました。彼はインドインドネシアの測量調査員を務め、エベレストの測量に多大なる貢献をしたためです。ちなみに、世界で初めてエベレストへ登頂したのは、1953年イギリス登山家のエドモンド・ヒラリーと、シェルパのテンジン・ノルゲイを含む同じイギリスの登山隊でした。

ブルマ

アメリカの女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマー(1818~1894)から名付けられました。同じく女性解放運動家のエリザベス・スミス・ミラーが考案したブルマを「リリー」誌上でブルーマーが紹介し、世に広めたことが理由です。日本では大正から昭和にかけて女学生の運動着として定着しました。

サンドイッチ

イギリスの貴族サンドウィッチ4世ジョン・モンタギュー伯(1718~1792)から名付けられました。ただ、彼が賭博好きでカード賭博を中断することなく続けるために片手で食べられるパンに具を挟んだものを作らせたという説が有名ですが、これは間違っているようです。その他にも太平洋探索の有力な支援者だったため、現在のハワイ諸島をサンドウィッチ諸島と命名してもいました。

シルエット:

フランスの財務大臣エティエンヌ・ド・シルエット(1709~1767)から名付けられました。当時のフランス七年戦争により財政難で、節約術の1つとして高額な絵の具を使用した肖像画ではなくを黒一色で塗りつぶした切り絵にすることを彼が考案したためです。

ボイコット:

イギリス貴族の土地支配人チャールズ・ボイコット大尉(1832~1897)から名付けられました。彼自身が管理していたアイルランドの土地では、法外な額の借地料を課していました。その結果、憤慨したボイコットの従業員はボイコットの命令を拒否し、それによりボイコットが困り従業員の要求を受け入れたためとされています。

ギロチン

フランスの政治家&医師ジョゼフ・ギヨタン(1738~1814)から名付けられました。当時のフランスでは身分に関係なく苦痛の少ない斬首刑にするべきという方向に進んでいましたが、死刑執行人であるシャルル=アンリ・サンソンが斬首の難しさを訴えため、外科医アントワーヌ・ルイがサンソンと共にギロチンの設計を行いました。ギヨタンは設計には関わっていませんが、導入における法整備などに尽力したため「ギヨタンの子」という意味の”ギヨティーヌ”の名で広まり、英語読みのギロチンとなりました。また驚くべきことに、フランスでは1981年の死刑撤廃まで使用されていたそうです。

コンドーム

諸説ありますが、イギリスの医師ドクターコンドーム(1650年頃)から名付けられました。彼はチャールズ2世に仕えていました。チャールズ2世が非嫡出子を14人も作ったことで王位継承問題がややこしくなったため、ドクターコンドームに避妊具を作るよう命じ、今の原型が作られたためとされています。当時は牛の腸膜を利用していたそうです。

テディベア:

第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(1858~1919)から名付けられました。ルーズベルト大統領が熊狩りに行った際に瀕死のクマに出くわしましたが、 彼は打ち殺さずに助けました。その出来事が美談として漫画家クリフォード・ベリーマンの風刺画とともに、 ワシントンポスト紙に掲載されました。 それを見た菓子店が、一体のクマのぬいぐるみを作り、 セオドア・ルーズベルトニックネームテディ”から”テディベア” と名付けたためです。

ホチキス

アメリカのE・H・ホッチキス社(創業者のジョージホッチキスイーライ・ハベル・ホッチキスの親子の名前から取られた社名)に由来します。ホッチキスの正式名称は英語でも「ステープラー」ですが、明治時代に伊藤喜商店が日本で初めてホッチキス社のステープラーを販売したため、この会社の名前からホッチキスの名前で広まりました。

レオタード

フランスの空中曲芸師ジュール・レオタール(1839~1870)から名付けられました。サーカスで華麗な軽業で人々を魅了したことから、彼の身に付けていた身体に密着した上下続きの衣装のことを「レオタール」と呼ばれるようになり、後に英語読みから「レオタード」となりました。

リンチ

諸説ありますが、アメリカ・バージニア州の治安判事キャプテン・ウイリアムリンチ(1742~1820)から名付けられました。彼が正規の手続きをせずに「リンチの法」と呼ばれる私的裁判権を行使し、残酷な刑罰を執行していたためです。他には、アイルランドのコールウェイ市長ジェームズ・F・リンチが息子を裁判にかけて処刑したことに由来するという説もあります。

ドーベルマン

ドイツのブリーダーであるカール・ルイスドーベルマン(1834~1891)から名付けられました。彼は当時の愛犬家が希望する理想の犬種を作るべく、牧羊犬にロットワイラー種など各種の犬を混血させて作り出したためです。日本では戦前から軍用犬として活躍し、現在でもシェパードと共に警察犬としても活躍しています。

バリカン

フランスバリカン・エ・マール商会(創業者のジュールバリカンの名前から取られた社名)に由来します。明治16年にフランス駐在の外交官・長田桂太郎が日本に持ち帰り、理髪師の鳥海定吉がこれを使用して普及したとされ、日本独自の呼び方になります。当時は手動でしたが、1990年頃から充電式のバリカンが普及し始めました。

ニコチン

フランスの外交官 ジャン・ニコ(1530~1600)から名付けられました。ポルトガルの大使であった彼はフランスに帰る際にタバコ種の植物を持ち帰り栽培しました。それを研究した結果、偏頭痛に効くことを突き止め、フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスに薬として献上しました。その後、それが広まり、さらにその300年後に成分の分離によりタバコの重要な成分を「ニコチン」と呼ばれるようになりました。

カチューシャ

ロシアの文豪トルストイの作品『復活』の主人公カチューシャから名付けられました。大正時代に舞台『復活』の中で、当時の人気女優・松井須磨子がカチューシャを演じていた際に髪留めを頭につけていたことからこの名前で広まりました。英語ではルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』のアリスや、ディズニー映画ふしぎの国のアリス』のアリスがつけていることからアリスバンドと呼ばれるそうです。

きんぴら

金太郎で有名な坂田金時の息子・坂田金平から名付けられました。江戸で盛んに行われた人形演劇の1つ古浄瑠璃「金平浄瑠璃」の主人公で、怪力で勇敢な人物として描かれ江戸の人々の間で大変人気がありました。そこからこの「金平」は強いことや丈夫なことの代名詞となり、牛蒡料理の「金平牛蒡」もごぼうのしっかりとした歯ごたえや唐辛子のピリッとした辛さを坂田金平の強さや勇ましさに例えてこう呼ばれるようになりました。他にも、丈夫で長持ちする足袋を「金平足袋」、粘り気の強い糊を「金平糊」と言ったりもします。

ブラウン管

ドイツ物理学者カール・フェルディナントブラウン(1850~1918)から名付けられました。彼が1897年にこのブラウン管を発明したためです。最近では液晶ディスプレイなどに取って代わられましたが、1900年代のTVやPCにはなくてはならないものでした。ちなみにブラウンは無線通信の開発にも大きく貢献したため、1909年にノーベル物理学賞を受賞しています。

ごたごた:

宋の臨済宗の僧・兀庵普寧(ごったんふねい)(1197~1276)から名付けられました。彼は鎌倉幕府第5代執権だった北条時頼から、文永2年(1265年)に宋より招かれ建長寺第二世になった人物で、日本に本格的な禅宗を広めたとも言われています。彼の話が要領を得なかったからなのか日本語が不得手だったからなのかはわかりませんが、人々から「兀庵兀庵(ごったんごったん)」と揶揄されるようになり、これが転じたためとされています。

のろま:

諸説ありますが、江戸時代の人形遣い・野呂松勘兵衛(1661~1681)から名付けられました。彼が演じた人形を自身の名の略語から「のろま人形」と呼んでいました。野呂松勘兵衛の人形の扱いが上手であったことから江戸中の評判になり、しまいには彼が演じるのろま人形は愚鈍な仕草をする滑稽な人形であったため、そこから「のろま」という流行語が生まれたとされています。

だるま

中国禅宗の始祖・達磨大師から名付けられました。達磨大師は9年間も壁に向かって座禅を行ったため手足が腐ってしまったという伝説を持つことから、手足の無い形の置き物が作られるようになり、その後起き上がりこぼしのような今の形となり広まっていったとされています。

沢庵:

諸説ありますが、江戸時代の臨済宗の僧・沢庵和尚(1573~1645)から名付けられました。彼が大根の漬物である沢庵漬けを考えた、もしくは関西で親しまれていたものを江戸に広めたからと言われています。また、沢庵和尚の墓石が漬物石に似ているといったような説もあります。

いんげん豆:

中国明の僧・隠元禅師(1592~1673)から名付けられました。いんげん豆は南アメリカ原産で、ヨーロッパを経由して中国へ伝わり、そこから隠元禅師が来日した際に日本に持ち込んだためとされています。しかし、持ち込んだ豆が現在のいんげん豆であったかどうかは不明だそうです。隠元は来日後に日本黄檗宗の祖となりました。

友禅染:

江戸時代の扇絵師・宮崎友禅(1654~1736)から名付けられました。そもそも友禅染めとは着物や帯に糊を用いて染料のにじみを防ぎ鮮やかな色や動植物・風景を描くことのできる伝統染色技法です。この糊を用いた染色技法の創始者が宮崎友禅です。友禅の中で、加賀友禅が有名ですが、これは友禅斎本人が京の技法を金沢に持ち込み発展させたとされています。

川柳:

江戸時代の前句付けの点者であり創始者の柄井川柳(1718~1790)から名付けられました。元々日本では和歌を楽しむ文化でしたが、次第に上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を分けるようになり、庶民の間では下の句に対して上の句を付け加える「前句付け」が娯楽として親しまれてきました。この前句付けの独立を重視したのが柄井川柳であり、柄井の選んだ句は「川柳点」と呼ばれ、やがて「川柳」と呼ばれるようになりました。

八重洲:

オランダの通訳ヤン・ヨーステン(1556?~1623)から名付けられました。彼は日本に漂着し、徳川家康に仕えた人物で、日本では「耶楊子(やよす)」と呼ばれていました。そのことから和田倉門外の内堀沿いに屋敷を与えられた際にこの一帯を「八代洲河岸(やよすがし)」と呼び、後に八重洲町となり、現在の八重洲となりました。

八ツ橋:

諸説ありますが、江戸時代の作曲家・八橋検校(1614~1685)から名付けられました。筝曲(筝とは”こと”のこと)を基に現在の日本の筝の基礎を作り上げたことから、死後その業績を偲んで、筝の形にあしらった堅焼き煎餅を「八ツ橋」と名付けたとされています。他には『伊勢物語』にも登場する三河の国・八橋の板橋に形が似ているからという説もあります。

備長炭

江戸時代の紀州の炭問屋・備中屋長左衛門が名前の由来です。彼が扱っていた木炭は品質に優れ、炎・煙・灰が少ないため、炭火焼き料理のうなぎ屋などで好評となり、自らの屋号から名付けました。

松花堂弁当:

江戸時代の僧侶で「寛永の三筆」にも数えられる松花堂昭乗(1582~1639)から名付けられました。松花堂弁当は十字に仕切られているのが特徴ですが、元々この形の箱は農家の種入れとして使われていました。この箱を彼は薬箱や絵の具箱として用いていました。それから時代は昭和に移り、料亭「吉兆」の創始者・湯木貞一が茶室「松花堂」での茶会でこの箱と出会い、料理の器として採用したことから名前が広まりました。

市松模様:

江戸時代歌舞伎役者・佐野川市松(1722~1762)から名付けられました。チェック柄として知られていますが、元々は石畳のような模様からそのまま「石畳」と呼ばれていました。江戸中期に二枚目俳優として人気のあった佐野川市松が歌舞伎の舞台でこの柄の袴を着たことからこの模様が大流行し、「市松模様」と呼ばれるようになりました。

いかがだったでしょうか?

人名由来とは思ってもみなかった言葉が多かったのではないでしょうか。この記事をまとめていて改めて思いましたが、日本人由来のものは江戸時代の方が多いですね。やはり文化が花開いていた時代だからこそなのかもしれません。「なぜこんな名前が付いているんだろう?」と疑問を持って調べると面白い発見があるかもしれません。気になった際は是非調べてみましょう。

「アメリカ」や「シルエット」も人の名前から付けられた