37の罪状にすべて無罪を主張
米国は、2023年6月13日、その歴史の一ページに真っ黒な汚点を残してしまった。
大統領経験者が、史上初めて連邦政府(国家)に訴えられ、お縄を頂戴したのだ。
米国の最高機密文書の持ち出しを巡り起訴された米国のドナルド・トランプ前大統領(77)は6月13日午後、南部フロリダ州マイアミの連邦地裁に出頭し、罪状37件すべてで無罪を主張した。
ジャック・スミス特別検察官が「スパイ防止法」(1917年制定、その後数回修正)を適用し、起訴した。
これを受けて13日はジョナサン・グッドマン下級判事*1がトランプ氏に罪状認否を求めたのに対して、「ノット・ギルティ」(Not guilty=無罪)と答えた。
*1=フロリダ地区連邦地裁の裁判官はアイリーン・キャノン判事だが、この日は同判事の任務を補佐する下級判事(Magistrate Judge)が罪状認否を行った。
連邦裁の保安官がトランプ氏を逮捕、指紋採取したのち(顔写真撮影は免除)、監視付きで「旅行制限なしの釈放」を命じた。
(大陪審が開廷すれば直ちに出廷することが義務付けられているが、大統領経験者に対する特別な配慮がされた)
(トランプ氏とともに機密文書持ち出し・保管共助で起訴されていた秘書で元専属コックのウォルト・ナウト氏=41=の罪状認否は27日に延期された)
米テレビ各局は13日早朝からヘリコプターを飛ばしてトランプ氏の動向を追いかけ、生放送で報道。
裁判所周辺には連邦治安部隊が多数出動して警戒に当たり、トランプ支持者や反対派のデモ・集会も大事には至らなかった。
「ニクソン追放」の時とは対照的
私事で恐縮だが、「大統領の犯罪」といえば、筆者は54年前、新聞社のワシントン特派員としてウォーターゲート事件*2、発生からリチャード・ニクソン第37代大統領の辞任までを取材した。
*2=ウォーターゲート事件とは、ニクソン氏が再選を目指す大統領選中に元FBI職員らを使って民主党選挙本部に盗聴器を設置しようとして発覚。その後、特別検察官による追及に対し、事実を隠蔽しようとして下院で弾劾された事件である。上院での弾劾認否寸前に辞任を表明。後継者に選んだジェラルド・フォード第38代大統領に恩赦されて、郷里のカリフォルニア州に逃げ帰った。
国家元首・全軍最高司令官だった大統領がこれほど屈辱を受け、国民を失望のどん底に突き落とすことになった。
ニクソン氏とトランプ氏とで共通しているのは、2人とも「犯罪」について、絶対に謝罪していないこと。
異なるのは、ニクソン氏は起訴・逮捕こそされなかったが、その後一切の公職につかなかったこと。一方、トランプ氏は再び大統領に返り咲こうとしていることだ。
さらに、ニクソン氏が属した共和党議員の大半は同氏の「犯罪」を認め批判したが、トランプ氏の属する今の共和党は犯罪を正当化していること。
そして最大の違いは、米国民の3分の1が、トランプ氏の「犯罪」を認めず、起訴・逮捕を民主党による「魔女狩り」だと反対していることだ。
さらに共和党支持者の半分がトランプ氏の再選を望んでいることだ。
50年前、「ニクソン追放」を国民の多数が受け入れ、共和党支持者も納得していたのとは雲泥の差なのである。
超保守派ゴールドウォーターが存命なら
6月13日、テレビのインタビューで答えているワシントン・ポストのボブ・ウッドワード氏の発言を懐かしく、頷きながら聞き入った。
ウッドワード氏は当時、ウォーターゲート事件をすっぱ抜き、その後ニクソン氏の犯罪を精力的な取材で追い詰めた米マスコミ界のレジェンド的存在だ。
ウッドワード氏は、13日のテレビ・インタビューでこう言い切っていた。
「トランプは国家機密文書を持ち出し、誰の目に留まるか分からぬ場所に放置していた。国家の安全保障体制を脅かす罪を犯した」
「そこへいくと、犯罪は犯罪でも、ニクソンは国家の安全を脅かすようなことはしていなかった」
「国家の安全を脅かす犯罪を行った男を今なお弁護している共和党の面々はどうなっているのか」
「共和党の超保守主義者で愛国者のバリー・ゴールドウォーター上院議員(共和党大統領候補)が今、生きていたら何と言うだろうか」
(Former Watergate journalist says he’s not surprised by Trump indictment. Hear why - YouTube)
ヒラリーを起訴せず、トランプは起訴
共和党指導部はじめ、ほとんどの政治家たちはこう主張している。トランプ氏の主張をほぼ踏襲したものだ。
一、トランプ氏に対するスパイ防止法違反容疑は、民主党が仕組んだ「魔女狩り」だ。
ジョー・バイデン大統領が選んだメリック・ガーランド司法長官、同長官が任命したジャック・スミス特別検察官、FBI長官らがグルになって、2024年の大統領選に立候補しているトランプ氏の追い落としを狙ったものだ。司法を民主党の為の兵器化しているのだ。
二、トランプ氏のやったことは、ヒラリー・クリントン国務長官(当時)が長官用の電子メールと私的な電子メールとを混同したのと同じ程度のものだ。クリントン氏は国家機密漏洩容疑で起訴などされていない。
三、スミス特別検察官が起訴状で上げた37の罪状はそれほどシリアスなものではない(国家機密文書の持ち出し・保管はあるが、それが外部に漏洩するような可能性はなかった)。
トランプ氏は、これら3点に加えて「国家機密文書は大統領であった自分の判断で機密扱いを解除できるのであって、持ち出し・保管していてもスパイ防止法違反にはならない」という点を強調している。
公判では、こうした点を繰り返し陳述することになるだろう。
共和党票田、白人7割の南フロリダ大陪審
作家でジャーナリストのフレッド・カプラン博士(政治学)は、こうした主張を一蹴する。
一、魔女狩りというが、スミス特別検察官は司法省という政府機関が任命したポストであり、バイデン氏が大統領権限を行使して介入などできない。これは自明の理である。
二、クリントン氏は誤って同氏のプライベートなアカウントで長官としての公式文書を交信していたもので、トランプ氏のように機密文書は自分の所持品だと確信していた行為とは異なる。
しかも露呈した後、FBI の調査に全面協力していた。トランプ氏は露呈した後も虚偽発言を繰り返していていた。明らかな司法妨害に当たる。
(Espionage Act: Trump's indictment relies on an outdated statute—with a very key section. )
真っ向から対立する主張に南フロリダ地区連邦地裁の大陪審がどのような判断を下すのか注目される。
(南フロリダ地区の住民は7割が白人。共和党支持者が多い。15人の陪審員は郡コミッショナーが無作為で選ぶ)
自分に不利な法律には従わない
こうした機密文書をトランプ氏はなぜ大量にホワイトハウスから持ち出したのか。
さすがに、かつてトランプ時代にホワイトハウスで勤務したスタッフたちの中からも「(トランプ氏は)迂闊で不注意すぎる」といった声が出始めた。
だが、トランプ氏の姪で臨床心理士のメアリー・トランプ氏は確信を持ってこう言う。
「子供の頃から欲しいものは何でも与えられて育ったドナルドにとっては、大統領になってもその習性は変わらなかった」
「自分に不利な法律に従う気などさらさらなかった。その意味ではオモチャを欲しがる子供と同じメンタリティだった」
(Mary Trump: Donald likely having ‘tough time’ after indictment - YouTube)
もっとも、それだけではあるまい。
隠し持った機密文書に書かれた極秘情報を何らかの目的で使おうとしていたに違いない。となると、その中身が知りたくなる。
保管していた機密文書の中身は目下のドキュメント・ファイルのタイトルしか公表されていない。
サイバーセキュリティの第一人者、マット・タイト元テキサス大学オースチン校教授は、FBIが公表したドキュメント・ファイルのタイトルから主な機密文書の中身を以下のように推測・解明している。
ドキュメント#19 「米国の核能力」
「フォーマリー・リストリクティッド・データ(FRD=Formerly Restricted Data)*3、で、米国の核兵器予備備蓄量、安全管理・貯蔵状況、製造量、配備場所などが書かれている。
*3=国防総省とエネルギー省が部外秘から外すことを決めた機密情報を指し、核兵器の軍事利用に関する機密文書が含まれている。FRDは大統領の一存では解禁できず、原子力エネルギー法に即して解禁が可能になる。
ドキュメント#5 「外国の核能力」
日付は2020年6月の「大統領専用デーリー・ブリーフ」(PDB=President’s Daily Brief)に記載された情報と見られる。
「外国」とはロシアと見られる。ロシアは同年6月2日、それまで極秘にしていた初めての核抑止力政策について公表した。
2020年5月9日付のPDBから引用。トランプ氏は、米国が対イラン核交渉から離脱することを明らかにしたテレビ演説を行っていた。
ドキュメント#14 「外国に対する軍事的選択肢」
「外国」とはイランを指す。
ドキュメント#16 「米国に対するテロ攻撃を支援している外国政府」
「外国」とはサウジアラビアを指す。サウジアラビアとアルカイダに関する情報と見られる。
2019年11月29日から12月11日までロンドン、アラビア半島ペンサコラ米軍基地などへのテロ攻撃が行われていた。
ドキュメント#7 「一外国指導者とのコミュニケーション」
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領とのコミュニケーションと見られる。
トランプ氏は2018年10月21日、1987年に合意した旧ソ連との「中距離核戦力全廃条約」(INR)破棄を宣言していた。
ドキュメント#11 「米軍の偶発時の計画」
マーク・ミリー米統合参謀本部議長が作成したイラン攻撃計画に関するものとみられる。
ドキュメント#6 「PDB」
2020年6月4日付のPDBと見られる。前日、トランプ政権は、新型ウイルスの米本土への拡散を防ぐため、6月16日以降、中国民間機に乗ったすべての乗客の入国を禁止した。
このPDBにはそのほかの情報も入っているが、トランプ氏自身の個人的関心事と思われる。
(What are the Classified Documents in the Trump Indictment? - Lawfare)
タイト氏の推測・解明で、スミス特別検察官が「国家を危険にさらす起訴事実」と指摘した最高機密文書がドキュメント#19「米国の核能力」であることはひと目で分かる。
マール・ア・ラーゴはスパイ天国
しかも、この最高機密文書が納められた箱は数か月間、トランプ氏の私邸「マール・ア・ラーゴ」に隣接する会員制のホテルのダンスホールのステージの上やビジネスセンター、トイレ、シャワー室などを転々としたのち、倉庫に移されていたというのだ。
いずれの場所も会員やスタッフだけでなく、各種イベントの参加者や結婚式場の利用者も立ち入れる場所だった。
FBI関係者の一人は主要メディアの記者B氏に吐き捨てるようにこう言ったという。
「元々、マール・ア・ラーゴは外国スパイには格好の標的とされてきた。そこに最高機密文書が無造作に放置されていたのだから核兵器に関する極秘情報はすでに中国やロシアの手に渡っていると見るべきだ」
スパイ防止法では、機密情報へのアクセスのある米国人が外国人に機密情報を流すことだけでなく、「セキュリティ・クリアランス」(Security Clearance=機密情報取り扱い許可)のない人間に流すだけでも禁固20年の重罪に科せられる。
トランプ氏の主張、それを支持する共和党大物政治家たちは、こうした法律の定める厳格な掟を全く知らないのか。トランプ氏に仕えた国家安全保障担当補佐官や中央情報局(CIA)長官たちは何をしていたのか。
前出のB氏はこう指摘する。
「共和党は『中国の脅威』論を空念仏(Empty words)のように唱える前にトランプが犯した国家的犯罪の重さに気づくべきだ」
「中国はすでに米国の急所を握っているに違いない」
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