NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第22回「設楽原の戦い」では、織田信長徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍といよいよ激突・・・するはずが、一向に動かない織田軍。家康は業を煮やして行動を起こすも、結局は信長の手玉にとられてしまう。そんな攻防戦も含めたドラマの見所について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

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リーダーの個性で異なる「統率のスタイル」

 組織においてリーダーが求心力を高めるためには、どのようにふるまうべきか? 永遠のテーマといってもよいだろう。

 ついてくる者が不安にならないようにと、強いリーダーシップを発揮すれば、「独断専行」「横暴」だと反発され、当事者意識を持ってもらえないという悲惨な状況になりかねない。

 かといって、みなの意見を聞いて慎重に進めれば、「優柔不断」「八方美人」だとみくびられて、誰からも信頼されないという事態を招いてしまうこともある。

 リーダーとしては、一体どうするのが正解なのだろう。戦国大名たちも領地経営や家臣のマネジメントにおいて、同じような悩みを抱えていたのかもしれない。

 第22回「設楽原の戦い」では、織田信長徳川家康武田勝頼とそれぞれのタイプの違いが出ており、リーダーの資質について考えさせられる放送回となった。

宣教師が目の当たりにした信長と家臣の異様な関係

どうする家康』においていえば、上記の3人のうち最もトップダウン型なのは、織田信長である。家臣たちは常に信長の顔色をうかがっており、異論をさしはさむ余地もない。

 とはいえ、『どうする家康』での信長は高圧的すぎるのではないか。そう感じる視聴者もいることだろう。だが、決して大げさでない。実際に信長と家臣たちとの異様な関係を目の当たりにした宣教師のルイス・フロイスが、自著『日本史』でこう驚いている。

「彼(信長)がわずかに手で立ち去るように合図をするだけで、彼ら(家臣たち)はあたかも眼前に世界の破滅を見たかのように互いに重なり合って走り去るのであり・・・」

 そんな恐ろしい目に遭いながらも、信長のもとで家臣がよき働きをするのは、信長の指揮が結果にコミットしているからにほかならない。とりわけ今回の放送では、そのことがよくわかった。

「長篠・設楽原の戦い」において、信長は鉄砲隊を完全なる指揮下において、勝頼率いる武田軍を全く寄せつけることなく撃破した。合戦当日までに鉄砲3000丁あまりを用意して、完膚なきまでに叩き潰す準備ができたのも、信長の横暴なほどのリーダーシップがあってのことだろう。

 圧倒的な勝利をみせつけると、ムロツヨシ演じる羽柴(のちの豊臣)秀吉が家康に「ほんとに臣下とならんで、よろしいので?」と囁いた。絶妙なタイミングである。

 頼りがいのある信長についていけば間違いない――。そんな家臣たちの気持ちが、視聴者にもよく伝わったのではないだろうか。

「物語でチームを盛り上げる」武田勝頼

「よく知られた歴史人物たちが、どんなふうに描かれるのか」は、大河ドラマの視聴者が注目するポイントの一つだろう。今回の『どうする家康』は、登場人物たちがやたらとキャラ立ちしており、意外性とともに強いインパクトを持って物語を牽引していく。

 武田信玄亡きあとの武田家を継いだ武田勝頼は、その好例である。軍略に優れた信玄の子としては、どうしても物足りない人物として、これまでは描かれがちだった。いかんせん武田家を滅亡させた当主なので、厳しい評価は避けられない。

 だが、文献や当時に交わされた書簡にあたると、勝頼は決して「愚将」として扱われていたわけではない。むしろ、勇猛果敢な将として評判を呼んでおり、信長は上杉謙信宛ての書状で、勝頼について「油断の儀なく候」と警戒さえしている。

 そんな史実に基づきながら、『どうする家康』では眞栄田郷敦演じる武田勝頼が、やたらとかっこいい。今回の放送回においても、勝頼は実に勇ましかった。

 もっとも、「長篠・設楽原の戦い」での戦況は、武田勢にとって厳しいものになっていた。徳川家康の家臣である酒井忠次がわずかな兵を率いて、武田軍の鳶ヶ巣山砦を奇襲して占拠。武田勢は退路を断たれるかたちとなる。そして、眼前には信長の大軍が広がっているのだ。

 それでも今すぐにでも退去すれば、損害は少なくて済むかもしれない。そんななか、勝頼は重臣たちにこんな質問を投げかけている。

「我が父なら、どうすると思う」

 勝頼に問われて、田辺誠一演じる穴山信君は「間違いなく、引くことと存じまする」と即答。橋本さとし演じる山県昌景も「信玄公は、十分な勝ち目なき戦は決してなさいませんでした」と、退却を促している。

 だが、勝頼は重臣たちの意見を退けて、集まった軍勢に勇ましく呼びかけている。

「間もなく逃げ道がふさがれる。正面の敵は3万。待ち構える鉄砲組は1000を超える。ただちに引くのが上策である。だが、引いてしまってよいのか」

 そうして不利な状況を隠すことなく伝えたうえで、勝頼は危機的状況だからこそ歴史に名を残すまたとない機会だと、みなに訴えている。

「目の前に信長と家康が首を並べておる。このような舞台はもう二度とないぞ。命長らえたい者は止めはせん。逃げるがよい。だが、戦場に死して名を残したい者には、今日よりふさわしき日はない」

 盛り上がりが最高潮となると、勝頼は「我が最強の兵どもよ、信長と家康の首を獲ってみせよ。おまえたちの骨は、このわしが拾ってやる!」と高らかに宣言している。

 若きカリスマの魅力が、これ以上なく引き出された名場面だといえよう。勝頼はビジョンを掲げて、そこに邁進すべく家臣たちのモチベーションを高めることに成功している。

 だが、この方法には一つだけ大きな欠点がある。それは、結果につながらなければ、求心力は一気に低下するということ。それでも、希望のある負けならば救いようがあるが、織田軍の鉄砲隊の前に、武田勢は惨敗を喫している。その後、武田家は衰退の一途をたどることとなった。

 名リーダーとしての資質は十分だっただけに、父・信玄を意識してしまい、勇み足となってしまったのが悔やまれる。印象的だったのが、勝頼が演説でひとしきり盛り上げたとき、きれいな虹が出たことである。勝頼は興奮気味にこう咆哮した。

「あれ(虹)を見よ。吉兆なり! 我が父が申しておる。武田信玄を超えてみせよと!」

 自分が何かに突き動かされるように行動を起こすとき、見る景色のすべてが輝いて見えることがある。そう、まるで自分を応援してくれているかのように。

 しかし、そんなときこそ、自分の判断や行動において見落としている点はないか、注意が必要だ。方角や見え方の違いはあれど、いざ決戦というタイミングで空に見事な虹が出たのは、敵にとっても同じことで、何ら意味をなさない。

 そんな人生の残酷さも今回の放送回ではよく表現されているように感じた。

「よい雰囲気をつくる人間力」に長けた徳川家康

 一方の徳川家康はといえば、『どうする家康』では“気弱なプリンス”として描かれている。信長のように有無を言わさず、家臣を従えるリーダーシップもなければ、勝頼のようにビジョンを語って家臣を陶酔させるカリスマ性もない。

 もちろん、ドラマの初回から家康を見守ってきた視聴者からすれば、その成長は著しい。「桶狭間の戦い」においては戦場から逃げ出そうとさえした若者だったが、今では、信長相手にはっきりと意見を言うくらいの胆力がついてきた。

 今回の放送回においても、信長がいつまでも武田勢を攻めないことを不審に思い、家臣とともにクレームをつけにいっているくらいだ。

 だが、信長のほうが一枚も二枚も上手である。「こちらからは攻めかからん」と言い張り、相手のほうから攻めさせる手だてを提示させたうえで、危険な作戦の実行を家康たちに押し付けている。

 情けないのは家康である。「鳶ヶ巣山砦を奇襲する」という策を考えたのも酒井忠次なら、「自分の役目だ」と実行を引き受けたのも酒井忠次である。

 さらに酒井忠次が、いよいよ命をかけて奇襲攻撃に挑むというときには、重臣の石川数正がファインプレーを見せた。忠次が好きな「海老すくい」の音頭をおもむろに口ずさみ、みなで合唱。辛気くさくなった空気を一変させている。

 つまり、家康は策を考えることもなければ、適任者を任命することもしておらず、さらにいえば、ムードメーカーとして場を盛り上げることもしていない。

 家康はリーダーとして何もしていないじゃないか。そう思ってしまいそうだが、中国の古典『老子』では、理想のリーダー像について、こんなふうに記されている。

「太上は下これあるを知るのみ。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る」
(最も理想的な君主は、人民から、ただ〈君主がいる〉ということだけが知られている。次によい君主は人民から親しまれ褒められる君主で、その次は、人民から恐れられる君主だ。最低の君主は人民から侮られる君主である)

 信長の場合は、家臣から全く侮られてはいないので、最低レベルの君主ではない。ただ、人民から親しまれてもいないため、下から2番目の「人民から恐れられる君主」が該当する。勝頼については、ここまでの混乱時でなければ「親しまれ褒められる君主」となりえたかもしれない。

 では、家康はどうか。『どうする家康』におけるかつての家康は、家臣からも侮られてしまう最低レベルの君主だったかもしれない。だが、成長にともない『老子』で最高クラスの君主とされる「ただ存在する君主」に近づきつつあるのではないか。

 家臣たちの間には、家康に臆することなく自分の意見を言える雰囲気があり、また責任をもって行動しようとする意欲にあふれている。忠次が見事に奇襲を成し遂げて、信長軍をバックアップできたのは、そんな家康チームの雰囲気の良さがあったからにほかならない。

 また、そんな空気を作っているのは家康だということも、きちんと伝わっているようだ。「長篠・設楽原の戦い」ののち、家康が信長の臣下にいよいよ下るのかというときに、家康の家臣たちはこんな会話を交わしている。

「わしらの殿はこれまでようやってこられた。わしらはこれまでどおり殿にお仕えするのみ」

「そうじゃ、わしらはなんも変わらん。たとえ殿が、どこの殿を殿にしようが、わしらの殿は殿だけじゃ」

 さらにドラマの終盤では、信長が意外なことを言い出した。「今後われらにとって最も恐るべき相手」として、「徳川」の名を挙げたのだ。

 もしかしたら、決して自分には作れない「家臣たちが生き生きと働くチーム」を家康が作りつつあることに、信長は脅威を覚えたのではないだろうか。

 だが、真に警戒すべき相手は足元にいたことを、信長はのちに思い知らされる。「本能寺の変」が近づいていた。


参考文献
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉 現代語訳徳川実紀 』(吉川弘文館)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
中村孝也『徳川家康文書の研究』(吉川弘文館)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)

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