文=松原孝臣 写真=積紫乃

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宮原の「芯」はどこにあるのか?

 選手にかける言葉をシミュレーションして考える。そこからもうかがえるように、スポーツトレーナー出水慎一は、選手のメンタル面にも十分気を遣いながら、あるいはそこに主眼を置いてサポートにあたってきた。

 だから出水はサポートをスタートするにあたって、選手の「芯」を知ることに努める。

フィギュアスケートであれば、フィギュアスケートを何のためにやっているのかといった話ですね。芯がどうなのかによって、コミュニケーションを変えるようにしています」

 20152016シーズンから宮原知子をサポートするにあたって、宮原の「芯」はどこにあるのかを探った。

『みんなに見てもらって、みんながほんとうに笑顔になってほしい、喜んでもらいたい。だからスケートをしている』

 それが宮原の「芯」だった。

「そこを中心にしようと思いました。当時、声が小さかったので、そういう部分についても『みんなに喜んでもらいたいというのに小っちゃかったら、目的とちょっと違わない?』といった話もしました。何かきっかけを作りながら、『見せたい、見てほしい』という知子ちゃんの手伝いもできないかなという思いがありました」

 

「ほんとうにきつくて、ほんとうに苦しかった」

 サポートをしているうちに気づいたこともあった。

「言われたことは確実にやるタイプということです。ただ、考えさせすぎたら迷うんだろうな、と感じるところもありました。でもなるべく考える選択は作りたい。やれとはまったく言わなかったけれど、『こうしたほうがいいと思うけれど、どうする?』と、例えば(宇野)昌磨のときよりも確定要素を持った言い方を心がけました」

 以降、順調に歩んでいた宮原だったが、大きなアクシデントに見舞われた。

 2017年1月、股関節の疲労骨折で四大陸選手権などの欠場を発表。回復を待ったが間に合わず世界選手権の欠場も強いられた。その後も復帰への道のりは簡単ではなく、しばしば故障に苦しめられた。

「外的要因というのではなく、ホルモンのところからだったんですね。練習量に対して、栄養素が足りていなかった。その影響で疲労が蓄積されると疲労骨折になった。無理してどうこうじゃなかったので、栄養面から改善していかないといけなかったですね。女性ならではの体の問題も合わさっていたこともあったので」

 医師から栄養面などの問題を指摘されてアドバイスを受け、管理栄養士に教わりながら改善に努めた。

 氷上で練習できない時期も短くはなかった。

「高校のときの想いがいろいろ蘇って、復活したときにパフォーマンスがもっとよくなるようにという思いでメニューを作って、彼女はそのトレーニングをしていました。『ほんとうにきつくて、ほんとうに苦しかった』と言っていましたね。

 朝、トレーニングを始めて、昼ご飯とちょっとの休憩ののち夕方前までトレーニング。そういう毎日を送っていて、でもスケートには行けない。こんなのやっていて本当に大丈夫なのかとか、いろいろ考えていたみたいです。トレーニングは全部自重(自分の体重を負荷にして行うもの)でしたが、腹筋だけでも500回以上はありました。でも彼女はきっちりやるんですよ。すごいなと思って、だから尊敬しかないですね。アスリートの中でも努力の天才というのは彼女だな、というくらい絶対にやるんです」

初めて泣いた演技

 氷上に戻り、夏場にはジャンプの練習も再開したが、右股関節骨挫傷を発症し再びリンクから離れざるを得ないなど、本格的な復帰を果たすに至らない。平昌オリンピックを控えるシーズンが開幕したが、予定していた複数の大会を欠場せざるを得なかった。そんな中、指導にあたっていた濱田美栄コーチが「4年後(のオリンピック)を目指そう」と話したのは2017年10月のこと。状況の厳しさを物語っていた。

「ただ濱田先生には、あえてそう言うことで奮起を促す、きっと応えてくれるという思いから言ったのではないかと私は思いました」

 宮原自身はその言葉をどう受け止めていたのか。

「『先生からあきらめたらって言われたんですけど、私はあきらめたくないと思っているんです』と知子ちゃんは言っていました」

 それに対して出水はどう応えたのか。

「『正直なことを言うと、4年後は知子ちゃん、難しいと思う。行きたいという意思があるのであればそう話してみたら』と言いました。難しい、というのは世界で勝つという意味です。ロシアの選手たちが次々に出てきていて、トリプルアクセルや4回転ジャンプを跳ぶジュニアの子たちもいた。知子ちゃんは頑張ればトリプルアクセルはいけそうな感じだったけれど、4回転ジャンプは難しいな、と思っていました」

 宮原はオリンピックを目指すという意志を貫き、全日本選手権で優勝、平昌オリンピック代表をつかんだ。

「行かないイメージは全くなくて、絶対優勝して行くだろうなって思っていました。演技が終わっとき、初めて知子ちゃんの演技で泣きました。めちゃくちゃ泣きました。あれだけきつい思いをして頑張ってきた結果って、やっぱり出るんだ、と思いました」

 平昌オリンピックでは、宮原は会心の演技を見せて4位入賞を果たした。大会にも同行した出水はこのシーズンからもう1人の選手のサポートにあたっていた。宇野昌磨である。宇野も平昌大会に出場し銀メダルを獲得している。つまり2人のトレーナーとしてオリンピックに帯同していた。

「昌磨の場合、最初のアプローチはほんとうにいろいろ考えました」

 出水はそう振り返る。

「基本的に『何々をする』と書いて残す、よくテレビで目標を書いてください、とかありますよね、そういうのは好きじゃないと聞いていたので、いきなり『目標は?』などと聞くのは違うだろうな、と思いました。だからいろいろ話をしていきました。その中で『フィギュアスケートをずっと頑張ってるよね』と話しました」

 その問いかけをとっかかりに会話を重ねるうちに、出水は宇野の『芯』を感じ取った。

「『他の人より自分に負けるのが嫌だ』。彼は自分に負けたくないという意志が強いんだと思いました。絶対に自分に負けたくない。そのために練習する、そして練習でしてきたことを試合で出したい。これが『芯』なんだなと感じて、その方向で進めよう、と。しかも明確に考えを持っていて、自分自体のスタイルというのもきちんとあるのも分かりました」

 出水は、今日まで宇野のサポートにあたり、喜怒哀楽をともにすることになった。 

 

出水慎一(でみずしんいち)スポーツトレーナー。国際志学園 九州医療スポーツ専門学校所属。 専門学校を卒業後、フィットネスクラブに勤務。18歳からスポーツ現場や整骨院で修行を続け、その後、九州医療スポーツ専門学校で学び柔道整復師の資格を取得。スポーツトレーナーとして活動する中でフィギュアスケートにも深くかかわり小塚崇彦宮原知子宇野昌磨のパーソナルトレーナー等を務める。2018年平昌、2022年北京オリンピックにも参加している。

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2018年2月23日、平昌オリンピック、FSの演技を終えた宮原知子 写真=アフロ