ななつ星をデザインした水戸岡鋭治の仕事術にせまる
ななつ星をデザインした水戸岡鋭治の仕事術にせまる

今から51年前、25歳で東京に事務所を構えた水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)氏が、鉄道デザインの世界に足を踏み入れたのはちょうど昭和の終わり頃。国鉄からの流れをくむJR各社の画一的な車両ばかりだった業界に次々と革命を起こした水戸岡氏が、自らのデザイナー人生を振り返りながら当時のエピソードやヒットの秘訣、そして仕事論をたっぷり語り尽くした貴重なロングインタビュー!

【画像】水戸岡氏がもっとも印象に残る車両と話す787系

■「みんな反対してるから絶対成功するぜ」

ーー水戸岡さんはなぜ鉄道デザインの仕事を始められたんですか?

水戸岡 僕は25歳で東京に来て、最初は主にイラストレーターをやっていました。例えば百科事典の生き物なんかのイラストや、雑誌のいろいろな挿絵。当時のスーパーカーもずいぶん描きましたね。それから分譲住宅の完成予想図とか、なんでも描いていました。そうしたら37、38歳の頃、僕の絵を見たあるプロデューサーから、福岡で「ホテル海の中道」をオープンさせるからポスターを描いてほしいという依頼があって。それが九州と関わるようになったきっかけです。

そのプロデューサーから「水戸岡さんは本当は何がしたいんですか?」と聞かれたので、「僕はデザインがしたい」と答えたんです。それでホテルのトータルデザインを任されて、敷地全体の計画図を描いたり、パンフレットや海に浮かぶクルーザーやバス、スタッフのユニフォーム、食器、あらゆるものをデザインしたんですよ。

ーーホテル海の中道は1987年創業ですね。しかし、このホテルはJR九州の系列ではなかったですよね?

水戸岡 ええ。ただ、ホテルの横を香椎線が走っていて、JR九州リゾート列車を作ると。プロデューサーが「水戸岡さん、ヒドいデザインの電車が走ったら困るよ。ホテル側から提案しよう」と言うんです。僕は電車のデザインなんてやったことないから断ろうとしたんだけど、「おまえがやるしかない!」と(笑)。それがJR九州初代社長の石井幸孝さんに採用されたんです。

ーー最初はホテルのトータルデザインの延長線上だったんですね。

水戸岡 本当に奇遇というかね。それからJR九州とのお付き合いが始まって、いろんなレクチャーを受けて。いつの間にか車両デザイナーになっていくんです。

ーー当時は国鉄が民営化したばかりですから、経験のないデザイナーを入れるのはかなりの冒険だったのでは。

水戸岡 JR九州は経営が大変でしたが、気骨のある人たちがいたんですよ。デザイン意識が高くて、「われわれは製品を作るんじゃない、商品を作るんだ」と。業界の中では決まりきったものしか作れないから、何も知らない非常識なやつが欲しいんだと言っていたのが、将来社長になる唐池恒二さん。

ーーJR九州を上場企業にまで成長させた功労者ですよね。

水戸岡 最初にプレゼンしたのは「アクアエクスプレス」という真っ白い車両。石井社長は大喜びでしたが、鉄道車両にとって白はタブーだったんですね。すぐ汚れちゃってメンテナンスが大変だって、現場は大反対ですよ。でも、この白を守るためのメンテナンス技術があれば通用するはずだって、石井さんが押し切ってくれて採用されたんです。

ーーそれで真っ白い車両が海沿いを走ることに。

水戸岡 その後、ジェットフォイル(高速客船)のデザインもやりました。唐池さんと一緒に船を見ていたら、「カブトムシみたいだな」って。そこで僕が「ビートルって名前どうですか」と提案して、〝海飛ぶカブトムシ〟というコピーを作って。それなら黒だよねって、塗ろうとしたらこれまた大反対。「黒く塗ったら軍艦じゃないですか!」って(笑)。でも唐池さんとふたりで、「みんな反対してるから絶対成功するぜ」って。

ーー周囲の反対は成功のカギなんですか?

水戸岡 誰もしないこと、考えもしないことを常識化するのが商品開発だと思うんです。だから非常識だと言われたら、「これをちゃんと作ればヒットするな」と思う。それで真っ黒に塗ったら、見たことのない船ができて、やっぱりヒットするわけです。

■「ななつ星」を成功に導いた〝予感の共有〟

ーー水戸岡さんの鉄道デザインが世に広く知れ渡ったのが、92年にデビューした787系。特急「つばめ」用に開発された車両です。

水戸岡 僕自身も一番印象に残っているし、いまだに一番ちゃんとできたなと思える車両です。初めて外も中も全部自分でデザインした。最初は全然わからなくて、車両メーカーからボコボコにされましたけど(笑)。

ーー車内もスタイリッシュでした。

水戸岡 僕は外注せずに全部内製化します。座席や床の布地、クルーのユニフォーム、印刷物......関係するものすべてうちで描く。僕が関わったJR九州の車両の布地は、全てうちのオリジナル柄ですよ。僕が描いたものをスキャンして、コンピューターで色づけして。これはほかではやっていないですよね。

博多と西鹿児島を結ぶ特急「つばめ」用の車両として誕生した787系。グッドデザイン賞、鉄道友の会・ブルーリボン賞などを受賞
博多と西鹿児島を結ぶ特急「つばめ」用の車両として誕生した787系。グッドデザイン賞、鉄道友の会・ブルーリボン賞などを受賞

ーー2013年にデビューして即、大人気になった豪華列車「ななつ星」についても聞かせてください。

水戸岡 鉄道の旅って一番贅沢だと思うんです。飛行機も船も車も鉄道には勝てない。映画のシーンみたいに景色が変わって、季節を感じて、地域の文化や歴史も感じて、中でおいしいものを食べて、冬は暖かくて夏は涼しくて、サービスも一流ホテルみたいに最高。ななつ星で今一番高い部屋は3泊4日でひとり170万円、ふたりで乗るから計340万円だけど、それが最初に埋まっちゃう。

ーー超豪華列車を作ると最初に聞いたときの印象は?

水戸岡 そんな高いものに乗るようなお客さんは日本にいないってみんな言ってましたし、正直僕もそう思いました。でも、当時社長になっていた唐池さんは、日本に富裕層は30万人いるとか、百貨店の優良顧客は年間1000万円ぐらい旅行に使うとか、そういう情報を知っていたんですね。見えている人には見えていて、見えない人は見えないっていうのが世の中ですよね。

ーー実際に作ると決まってからはどうでしたか?

水戸岡 自信はなかった。予算は後に類似の列車を作ったJR西日本さんやJR東日本さんの半分以下。スケジュールも厳しい。それで唐池さんは「世界一を作れ」って、めちゃくちゃ言うんです(笑)。できないと言ったら、「それをやるのが水戸岡さんじゃないか」って。

完成できたのは、参加した職人さんの力ですね。みんな予算がないことは知っていて、でも「世界一の車両を作りたい」みたいなムチャな話に共鳴してくれる職人が日本中にいたんですよ。洗面鉢を作ってくれた故・十四代酒井田柿右衛門さんもそのひとりでした。

まだ見えていない仮設のステージのことを情熱で熱く語って、頭の中にぱっと見えたら、みんな燃えるよね。人はそれを求めて生きている。僕は〝予感の共有〟と言うんだけど、それができたらプロジェクトは成功するんです。その点、あの「唐池」という人が話すと、なんとなくできた気になるんですよ。まだ3枚のイラストしかないのに、最初に発売した切符は7倍の競争倍率でしたから。

ーーお客さんにまで予感を共有させてしまった。

水戸岡 予感の共有というのはどの業界でもきっとあるんだと思います。僕は鉄道のことをあまり知らない。楽しい旅がしたい、作りたいという気持ちは強いけど、鉄道のシステムやルールに興味はない。前例をたくさん知っている専門家の話ばかり聞いても、今までにないものを作るときには参考にならないんです。それよりも、〝無鉄砲でやけくそおっさんたち〟が作るほうがね(笑)。

でも、唐池さんは最初に必ず、「水戸岡さん、このスケジュールで、この予算で、このクオリティで、絶対ヒットを打って60点は取ってね。バントヒットでもいいからセーフになってね」って言うんです。僕はそれに対して「絶対ヒットを打ちます」って。でも、予算がちょっと足りないとか、スケジュールがきついとか言うと、「気持ちはわかる、でもスケジュールも予算も変えられない」って。面白い人ですよ(笑)。

大分県の由布岳をバックに力走するななつ星。その優美な姿は九州の雄大な自然風景にもマッチし、撮り鉄にも人気
大分県の由布岳をバックに力走するななつ星。その優美な姿は九州の雄大な自然風景にもマッチし、撮り鉄にも人気

■感動を生むのは手間であり知恵

ーーやはり唐池さんは強烈なリーダーシップを持った経営者なんですね。そう言われたほうとしては、60点は目指さないですよね。

水戸岡 100点を目指さないと60点は取れないからね。でも、60点は難しいですよ。ヘタすると50点、55点しか取れなくて、あとの5点に苦労する。

ーー60点に到達したかどうかは、どこで判断できるんですか?

水戸岡 それはお客さんが決めることだから、どうにもならない。だから自分では全力でやりきったって思えることころまでやるしかないですね。僕はよく、車両のデビュー初日に子供を招待するんです。子供は打算がないから、五感で面白いかどうか、安全かどうかを判断する。子供は安全にすごく敏感ですよ。危なかったら絶対走りませんから。僕らの10倍くらい目がいい。その子供たちが「わー」って走ってくれたら、これはいけるって思います。

ーーJR九州では華やかな特急や新幹線だけでなく、通勤列車もデザインされています。

水戸岡 通勤列車は面白いね。地元の人が一番たくさん使って、お金を落としてくれるのが通勤電車。デザインも大事だけど、毎日乗るものなので、一番は皆さんが座るシートです。あとは機能性と耐久性、そして古く感じない普遍性ですね。

特に福岡空港を発着する列車なんかは、世界の人が日本で最初に乗る乗り物ですから、どんな文化圏の人が乗っても、大人でも子供でも違和感のない、モダンでコンテンポラリーなデザインが必要。しかも東京やニューヨークに負けないものを作らなくちゃいけません。 

JR九州の場合は、この手の電車が田舎でも走っているんです。これに乗って通学している学生が、東京に出て「うちの街の電車のほうがカッコいいな」と感じれば、それが地元の誇りにもなるでしょう。

821系通勤車両の前面外周を囲むLEDライトはなんと117個。ファンの間ではその明るさから"イカ釣り漁船"と呼ばれることも
821系通勤車両の前面外周を囲むLEDライトはなんと117個。ファンの間ではその明るさから"イカ釣り漁船"と呼ばれることも

ーー確かに、毎日乗るものは自分のデザインの「基準」になりますね。

水戸岡 だから公共の交通とか環境は、その時代の最高の叡智を絞ったものを提供しないと。子供たちが大人になったときに素晴らしいものを作る力が身につかないですよ。

ーーJR九州以外では、最近は静岡の東伊豆を走る「ザ・ロイヤルエクスプレス」をデザインされました。

水戸岡 伊豆をもう一度元気にしようということで、伊豆急さんと親会社の東急さんが中心となって新しい列車を走らせたいと。それで僕らに話をいただいて、担当の方が頑張って東急の社長に直接プレゼンできる機会をつくってくれました。古い車両の改造だったんですが、職人さんたちも僕らが全部集めて、たった4ヵ月で完成させることができました。

ーーすぐに人気の車両となり、ここ数年は北海道でも走っています。

水戸岡 北海道を盛り上げようという話があって、2020年の夏から運行を始めました。担当しているのは15人くらいの小さなチームなんですが、ものすごく頑張ってくれるんです。料理の配膳はするし、観光ガイドもするし、企画も考えるし、車内の清掃もやる。観光地でもない地域の農家の方と話をつけて、畑の前にイスやテーブルを並べてヨーロッパの朝食会みたいなことをやるプランまで実現させちゃいましたからね。

ーー鉄道の旅行プランでは聞いたことがない話です。

水戸岡 普通なら、どうやってテーブルを運ぶとか、お皿はどうするとか、片づけはどうとか、そんな話ばっかりでやろうとしないですよね。だからお客さんが感動するんです。自分ではできないし、一流レストランでも一流旅館でもやらないですから。

手間暇を惜しまない情熱が感動を呼ぶっていうのが基本ですよね。形ではない。人間ってエネルギーの交換をしているので、エネルギーをかけているかどうかがテーマなんです。それは手間であり知恵。知恵が込められたものは感動を生むんです。

横浜(神奈川)と伊豆急下田(静岡)を3時間20分で結ぶ「ザ・ロイヤルエクスプレス」はコース料理とフリードリンク付きプランで3万9000円より
横浜(神奈川)と伊豆急下田(静岡)を3時間20分で結ぶ「ザ・ロイヤルエクスプレス」はコース料理とフリードリンク付きプランで3万9000円より

■日本はプロを認めない。だから若者が辞める

ーー先ほど、みんなが反対すると「いける」と思うとおっしゃっていましたが、逆に最初から周りが賛成したときはどうですか?

水戸岡 賛成されたからいい、とは思わないよね。賛成は「見えてる」ってことでしょ。それはけっこう危ない。慎重に受け止めないと間違えますよ。だから賛成の中身が大事です。なんで賛成したのか、ちゃんと聞かないと。

ーーでも、最初は反対だらけだったプロジェクトも、どこかで「GO」になるわけですよね。それはどこで変わるんですか?

水戸岡 わからないことを根拠を持って決めるのはほとんど不可能なので、「まあ仕方ないね」っていう決め方が圧倒的に多いです。僕らもやっていくうちに徐々にわかってきたり、変わってきたりする。やらないとわかんない。だから悩むより、早く手をつけて少しでも前に行く。それで修正しながら軟着陸する。

ーー軟着陸ですか。

水戸岡 最初に決めたところにポンと着地というのはありえないですよ。どうやって軟着陸するかっていうのを測りながら進めるんだけど、そのためには改めて目標と目的地を明確にしないと。どのくらいの売り上げを目指すのか、予算はどのくらいか、サービスはどうか、とか。プロとして細かいチェック項目があればあるほどいい。チェック項目がたくさんないと、平均点が上がらない。

ーープロとして、という言葉は重いです。

水戸岡 でも、日本はプロを認めない国なんですよ。プロがいることをあまり認識していない。デザイナーもそうだし、編集者もそうだと思うけれど、本当に料金が安いし、もっと言えば成功報酬がない。海外では成功報酬があるから、みんな本気でやっています。

ーー悪い意味で「発注」と「受注」みたいな話になってしまっていると。

水戸岡 そのへんがこれから問題になるんじゃないですか。デザイナーであろうが、編集者であろうが、仕事するってことはスポーツ選手と同じように訓練しなきゃダメなんだけど、会社はスポーツ選手のように育てないですよね。だから最近は若いコたちが辞めちゃって、起業するんですよ。会社にいても先が見えないですから。
 
これからは昔みたいに、社員を囲うみたいな発想ではやっていけないですよ。うちの事務所も、昨年の暮れまでに社員が全員独立して、今はみんなフリーランスの立場です。先ほど話に出た東急さんも、社業とバッティングしなければ社員は起業OKだそうです。仕事を2つ、3つ持つのが当たり前の時代になっていくよね。すぐにお金を稼がなくても、持ってるだけでいつか稼ぐものになっていくかもしれないし。

ーー確かに若い世代のほうが、そのことを明らかに意識しているし、柔軟です。

水戸岡 豊かで情報が多い時代に育っているから、賢いコは小さい頃からいろいろなものを吸収して、世の中の形が見えている。自分たちの面倒を世の中が見てくれるわけがない、会社もサポートしてくれないって知っている。どうしたら一番いいのか、お金儲けなのか、楽しい人生なのか、自分に合った価値観で生きていきたいというのが明快だよね。

そのためにはとりあえず勉強して、たくさんのことを知ることです。いくらでも情報があるし、たくさん勉強すると自分の好みや価値観が見えてくるから選びようがあるんだけど、勉強していないと選べない。勉強して知れば知るほど、おのずと頑張っちゃう。頑張ると周囲からホメられる。ホメられると楽しいよね。最後は楽しいことが人生の目的だからね。

水戸岡鋭治

水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)
1947年生まれ、岡山県出身。県立岡山工業高校工業デザイン科卒業。サンデザイン(大阪)、STUDIO SILVIO COPPOLA(ミラノ)を経て、72年に東京でドーンデザイン研究所を設立。87年に「ホテル海の中道」トータルデザインを担当、88年「アクアエクスプレス」で鉄道デザインに進出。JR九州をはじめとする多くの交通機関デザイン、公共デザイン、建築物・商業施設デザインに携わり、2010年に交通文化賞、11年に菊池寛賞、毎日デザイン賞を受賞


水戸岡鋭治 デザイン&イラスト図鑑』玄光社 3850円(税込)
革命と称された鉄道車両の数々を中心に、バスや船など交通機関のデザイン画、駅舎や商業施設のパース画、広告や製品デザインのイラスト、若い頃に描いた百科事典の挿絵など、水戸岡さんいわく「ギャラリーのようなイメージで」3000点以上収録した豪華本!

取材・文・撮影/関根弘康 写真/東洋経済/アフロ

JR九州の数多くの車両をデザインした水戸岡鋭治