毎日新聞田原総一朗氏をホストに、日本の教育問題を対談形式で扱う動画記事を公開しています。一部を引用してみましょう。

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田原総一朗:首相を務めた宮沢喜一さんは「日本の政治家はG7サミット(主要7カ国首脳会議)に出ても発言できない。英語ができないという問題ではなく、教育が悪い」と僕に語っていた。

 G7は正解がない問題に直面しているからこそやっている会議で、そこで発言できないのは、正解のない問題にチャレンジする教育を受けていないからだと思う。

 日本では、正解のある問題を出す教育をやっている。正解を答えないと先生に怒られてしまう。

田中愛治(早大総長):なぜ、そうなってしまったのか。私の仮説は、はっきりしています。

 第2次大戦直後、日本の産業は荒廃し、科学技術も遅れていました。どうしようもない状態の中、欧米の戦勝国に追いつこうとしました。

 当時の日本は暗黙のうちに最も国力があり、占領軍として入ってきたアメリカを目指したのです。

(後略)

 ここで「正解のない問題」に関連して「田原総一郎」「宮澤喜一」「田中愛治」という3つの名前が並んでいます。

 この人名は、さらに2つの教育機関に整理すると、問題の所在と正解がきれいに見えてきます。

田原・田中早稲田、そして、宮沢・田中武蔵 

 さらにこれらに通底するのは「1920年代の日本教育改革」。

 いま私たちが考えるべき「2020年代の教育改革」をこれらの点と線をつないで、浮き彫りにしてみましょう。

「完全な自動翻訳」というバカ

 誰が発言したのか知りませんが、「AIの進歩」から「近い将来ほぼ完璧な自動翻訳機ができる」と勘違いしている人がいるようです。

 そうなると「外国人との会話や英文の翻訳が滞りなくできるから」「今まで通り多大な英語学習を子供たちに課すべきではない」とか言っているらしい。

 しかし、これでは単なる亡国なので、分からないことは発言しない方がよい。

 まず完璧な自動翻訳などというものが可能だと思うことが、根本的に間違っています。

 商談などで考えてみたらよい。デリケートなやり取りで「この部分は、まあちょっとアレですので、ナニがまあ好転しましたら、その・・・」というような言葉をどうやって自動翻訳するのか。

 計算原理から理解していれば、いかにそれが至難というより不可能か誰でも分かります

 というのは、これこそ正解がない問題だから。

 これとかあれといった指示代名詞あるいは「ナニだから」みたいな表現に対して、私たち人間は常に複数の正解を念頭に類推し続ける思考演算を行います。

 少なくとも現在の生成AI、LLMなどと呼ばれる最も進んだシステムにも「ナニがナニして何とやら」には手がつかない。そういう基礎を理解せずに、暴論を振り回すのは控える必要があります。

 現在の機械学習システムは尤度の高い正解に近いものに漸近して行きますが、「これも正解」「あれも正解」という複線的な思考には、全く具体的なアプローチの方法を持ちません。

 完璧な自動翻訳があると勘違いするような人は、田原総一朗氏の言う正解のない問題という概念がそもそも念頭にない。

 宮澤喜一氏の言うG7会合などで発言が一切できない戦後民主主義教育の被害者というべきで、例えば政治とか、企業経営とか、そういうことには向かない資質に、残念ながらなっていると判断されるでしょう。

 縦のものを横にするだけといった地道ながら真面目に勤め上げる仕事に向いていそうですが、そういう職種は早晩、AIに駆逐されて減って行きますから、先行きがちょっと心配です。

 ちなみに、上に記した「この部分は・・・」というセンテンスを、とある自動翻訳システムに入れてみると

"This part is a little bit of that, so if Nani improves, uh..."

 どうしようもない。これで「完全な商談だ」と勘違いして破産するのが趣味なら個人の勝手ですが、他人様、いわんや日本全体を巻き込むようなことは罪ですから、控えなければならない。

 いま毎日新聞が特集を組むように、この種の問題は非常にホットな話題になっています。

 しかし、正解をきれいに見せるものはなかなか少ない。

 筆者は高等教育セクターで責任を持つ立場ですので、過去のソリューションと現在~近未来への正解をお示ししましょう。

早稲田はいつ大学になったか?

 田原総一朗氏と田中愛治氏の共通の母校は早稲田ですが、早稲田はいつ大学になったか、はこの問題に一つの答えを示しています。

 早稲田大学の前身は、明治14年の政変で下野した肥前・佐賀の大隈重信東京専門学校を設立した1882年に遡ります。

 大隈は英国流のリベラルな立憲体制のもと、多事争論を経て万機公論に決すべしという考えで政治経済学部を看板学部とする東京専門学校が建設された。

 今日でも、田原総一朗はその最たるものですが、早稲田出身の批判的な鋭い指摘で知られるジャーナリストは数多くいます。

 この学風の背景には佐賀・肥前鍋島藩という、維新の元勲でありながら、薩長主流派に敗れ、新政府で政権を担った経験を持ちながら、在野からオルタナティブ、別の正解を提示していくという大隈重信自身の本質的スタンスが存在している。

 やけにこのあたりに力が入ってしまうのは、実は筆者自身も佐賀にルーツをもち、父祖は官界での出世が見込めませんから、鍋島水軍由来の対外貿易、特に日英貿易を生業とした経緯などがあることによります。

 その早稲田大学として承認されるのが1920年のことで、慶應義塾や日大などと軌を一にしている背景には第1次大戦の終結、維新50年、明治体制の空洞化と腐敗、そして「寿命の近づいた元勲たちの遺言」という側面があったと考えられます。

大正教育改革の「別解人材育成」

 米国の2大政党制を考えていただけると分かりやすいのですが、一つの問題状況があるというとき、共和党がAという対策を提案したなら、それよりも優れたBを出せなければ、民主党に勝機はありません。

 日本にも2大政党制という機運が1990年代に高まりましたが、決して成功しなかったのは50年来の人材育成が失敗していたからです。

 つまり1945年以降の戦後教育が推進し、ある意味、明治~江戸幕藩体制期に先祖返りしていま現在に至る先例墨守前例遵守思考停止共通の唯一正解しか求められないメンタリティ、能力とマインドセットに落ち込んでしまったからにほかなりません。

 先ほどの完璧な自動翻訳という錯覚は、その致死的な例の一つです。

 あらゆる大学の文学部は本来、同一のテキストから導かれ得る多層的な意味の呼応を吟味する学府です。

 詩と散文を分かつのは、そういった多義性の密林、あるいはリゾーム=根茎などという言葉が一世を風靡した時期もありましたが、複線的、多層的な意味のタペストリーを編み、あるいは解き、再び編み直すところに本質的な役割があります。

 宮澤喜一を引いて田原総一朗は「正解がない」と表現しましたが、より正確には「複数の正解がある問題を建設的に議論・検討する」能力が日本の政治家全般非常に低い。

 米国であれば民主党案に対して共和党案を突き付ける、最も基本的な能力が日本の代議士には欠如している。

 これは野党も同様で、反対のための反対、次回選挙で与党議席を1つ減らすのに役立ちそうな旧社会党など労働組合体質、責任与党として政権維持を元来念頭に置かないという意味で、やはり田中愛治さんのいう戦後教育の犠牲者が野党議席をも温めているとみるべきでしょう。

 正解がない問題ではない複数の正解がありうる問題に、より妥当な解を目指して漸近していく、そういう知性がLLMなど最も進んだものを含め、現時点の生成AIには期待できない。

 それを育てる教育こそが求められている。

 毎日新聞には少し申し訳ないですが、東京大学の観点から先にそれを書いてしまうなら19世紀帝国大学的な唯一解教育の全否定が正解になります。

 Think different. ・・・別解を求める人材を育てなければならない。

 ではそれは、いったいどのようにして育成されるのか?

 田中愛治や宮澤喜一自身を育てた教育

 宮澤喜一氏は、見ようによっては偉そうに「今の政治家は正解のない問題を議論する能力がないからG7でも何も発言できない」と言い放ちます。

 しかし、宮澤さんは確かに、大半の正解のない問題に対して、合理的に局面を検討し、いくらでも政策を練ることができる人物でした。

 私自身、宮澤さん本人から「ポリティシャンではだめ、ステイツマンシップが大切」と教えてもらったことがあります。

 ステイツマンシップ、共同体のガバナーとして経世済民に理を尽くし情をもってあたること・・・古臭い日本語で恐縮ですが、そういう教育を宮澤喜一氏自身が受けている。

 基本的にそれと同じものを田中愛治・早大総長も受けているのですね。

 それがもう一つのキーワード武蔵(旧制7年制武蔵高等学校)という 出自が同じなのです。

 早稲田武蔵はそろって1920年に認可・誕生しています。これらはともに私学、つまり「高等教育の自由化」「官学独占の大学教育の民間への解放」が「1920年大正教育改革」の本質だったわけです。

 先ほど記した「第1次大戦の終結」「維新50年、明治体制の空洞化と腐敗」そして「寿命の近づいた『元勲』たちの遺言」は、維新直後の10年、西郷・木戸・江藤といった参議たちが口角泡を飛ばして議論し、実際「征韓論」などを巡って下野する人々が出、不平士族反乱で「佐賀」と「薩摩」の西郷派閥が政府から消え、大隈重信もまた明治14年の政変で中央政界をいったん去り・・・。

 こういう百家争鳴の時代を知る人が、帝国議会創設、大日本帝国憲法発布以降、影を潜め、唯一の正解を目指してエリートたちは単線的なガリ勉競争に終始。

 天皇から銀時計がもらえればその後は一生安泰とか、それがもらえなかったから帝大法学部次席が自殺とか、もうどうしようもない「明治末期から大正初期にかけての教育腐敗」があった。

 だからこそ、官製教育の独占をやめて教育を自由化した。

 それで早稲田、慶應、明治ができ・・・と多様性が生まれた。これを旧制高校でやろうとしたのが学習院成城成蹊などの私立旧制高校でした。

 その最初のケースが旧称私立東京高等学校だった。

 官立東京高校ができたため名前が変わった武蔵高等学校で、田中愛治早大総長も、宮澤喜一元首相も、その風土で学びました。

 本連載をお読みの方は、武蔵高校についての記載はよくご覧になっていると思うので、ここでは1点に絞ります。

 武蔵では、正解として印刷されているのと同じ解答しか書けない生徒は軽蔑されます。100点取った子が「0点」相当。

 なぜか?

「お前が書いた解答のなかで、自分自身で考えた部分がどこにある?」

「・・・」

「全部正解に書いてあるものの引き写しジャン。そんなんなら、お前存在してないのと同じだよ。意味なし。おまえ意味ない」

「・・・」

 こんなやりとりは、いまのソフトな学校環境で教師と生徒の間には絶対にあり得ませんが、旧制高等学校の先輩後輩の間、特に学寮で生活を共にし、ほとんど兄弟のように育った間柄の中では当たり前だった。

 武蔵高校は困ったことに、学寮に直前まで東大総長をしていた山川健次郎が宿直で泊まっていて、「正解の丸写しに 人生の意味なし」とやって、長岡半太郎などを育てたのと同じ式の、スーパーサイエンス全寮制スクールをやっていたわけです。

 田中愛治さんとこの話をそのようにしたことはありませんが、すでに存在する凡庸な正解と同じものの引き写ししかできないとき、すごく敗北感ありませんか、と問えば、たぶんよく分かると答えるように思います。

 それが武蔵生を育てる教育で、一昨年まで東大の総長を務めていた、やはり武蔵高校出身の五神眞氏と似たような総長同志の対談をしていたように思います。

「オリジナルでないものを孫引きするだけでは、存在価値なし」

 これくらい分かりやすい、東大を中心とする受験秀才型の誤った価値観を全否定し、21世紀にAIを駆使する人材を育てる、新しい教育を指導する基本はないと思います。

「唯一正解ではない、君自身のオリジナルな、しかし完全に妥当な解、ネクスト・スタンダードを創り出せ。そこに価値がある。それがなかったら、君は敗北したものと思いたまえ」

 こういう、今の教育では不可能な、おそよ「おそろしい」カワイガリを、教師からも、また先輩からも受け、後輩たちの視線も意識しながら、おのれの人となりを創っていった・・・。

 宮澤喜一氏も、田中愛治氏も、そういう人材育成を経験をしているはずです。

 その基本は、米国2大政党の論戦にも、生成AI以降の世代にも通底する人間の本質的な思考力を養うわけで、嘘っぱちの大学受験などで口を拭っていてはいけません。

 ほかならず私自身、東京大学教授として明記します。

 東大受験程度に受かって喜んでいるようなお勉強は18歳で卒業して、どうかオリジナルな価値、次世代のスタンダードを創り出す本物の知性を育てていかねばなりません。

 人々の意識の底に潜む唯一の正解という亡霊を一掃し、新しいマインドセットを持つ新しい人たちを育てる必要があります。

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