新潟の街を東西に貫く約40kmもの国道バイパスは、全線4~6車線で信号ナシの高スペック、その交通量も全国トップクラスです。周辺の有料高速道路がかすむほどの無料バイパスができた背景には、先見の明がありました。

最初から実質的に「高速道路の延長部」だった

新潟の市街地には、高速道路かと見まがうような一般道が約37kmにわたって東西を貫いています。西から順に、国道116号新潟西バイパス」、国道8号と7号にまたがる「新潟バイパス」、国道7号「新新バイパス」の3路線が一体となったもの。全線4~6車線、最高速度60~80kmで、信号が一切ない道路が形成されています。

バイパス群は、有料の高速道路である北陸道日本海東北道よりも市街地側を並走。新新バイパスの聖籠新発田ICで日本海東北道と接続していますが、同道は暫定2車線の対面通行で追越しスペースもなく、「こっちの方が有料なの……?」という思いを禁じ得ません。

国道バイパスがなぜこうもハイスペックなのか、国交省関係者に聞くと、「それだけの交通量がありますからね。新潟港に出入りする貨物車もほとんどがバイパスを経由するので」とのこと。

事実、2015年調査での交通量は、新潟バイパス中央区内で平日日中12時間あたり10万3616台と、一般道で全国2位(1位だった横浜の国道16号「保土ヶ谷バイパス」と17台差)を記録。他2区間もトップ10入りしているほどです。無料の一般道としては全国有数のスペックといって差支えないであろう新潟のバイパス群は、なぜつくられたのでしょうか。

3つのバイパスの核心部は、中間にあたる新潟バイパス(黒埼IC~海老ヶ瀬IC、11.2km)です。最初の開通は1970(昭和45)年と北陸道よりも古く、1985(昭和60)年までには全線6車線化されています。

昭和30年代、新潟バイパスは実質的に高速道路の延長部として構想されました。これは、当時の高速道路の構想で新潟市が終点とされたことを受け、市街地の迂回という一般的なバイパスの機能に、「国土幹線ネットワーク構想に準じるような機能」を併せ持つものとして計画されたそうです。

新潟バイパスの全線開通から5年後、北陸道が新潟黒埼IC(当時)を終点として接続することで、当初の計画が実現しました。

50年も機能が損なわれないワケ

3つのバイパスの大きな特徴は、全区間が盛土された立体構造であることです。これは新潟バイパス以来のもの。その構想段階では、高規格ゆえに必要性の議論もあったといいますが、立体構造であれば、「その後に沿道の開発が進んでも本線交通への影響が少ない」と考えられたそうです。

当初は郊外だったバイパス周辺が次第に都市化し、ロードサイド店が立ち並び、交通渋滞が顕在化していく--そのような多くの都市で見られる問題を回避し、50年以上にわたって膨大な交通量をさばき続けている秘訣が、この立体構造にありそうです。

なお、新潟バイパスの盛土材は、関屋分水路の開削と新潟東港の掘削で出た土砂が利用されています。これがコスト縮減に大きく貢献したのだとか。

新潟バイパス北陸道の開通後、バイパスの延長部として、新潟西バイパスと新新バイパスが建設されます。拡幅やICの立体化などを経て、3バイパスが現在の姿になったのは2009(平成21)年のことです。そして2023年現在、新潟西バイパスをさらに西へ延ばす「新潟西道路」の事業も進んでいます。

ちなみに、新潟西バイパスの新潟西IC~黒埼IC間は、北陸道の一部が国道バイパスへ編入された全国でも珍しい区間です。バイパスとの接続点が新潟西ICに変更となった北陸道は、その後延伸して磐越道と接続、さらに日本海東北道が北へ延伸しています。

新潟バイパス(乗りものニュース編集部撮影)。