最盛期の97年にはレギュラー10本を抱える大物司会者となったが、それだけにスタジオ内の雰囲気もピリピリ。いつ上岡火山が爆発するか、当時の番組スタッフは戦々恐々としていたという。

「上岡さんは、それほど番組内容に口出しする人ではありませんでした。ただ、レギュラーコーナーの打ち合わせを丁寧にやりすぎると、『なんや今日は、スタジオに大砲持ってきて撃ったり、キャンプファイヤーでもやるの? そうやないんやったら、テキパキと肝心な部分だけ説明してや』と激怒することもあった」

 その反面、理不尽な場面に出くわすと、スタッフ擁護に回ることもあった。

「ある大御所放送作家が、若手作家を“関西弁”だったという理由でイビリ倒していた。その話を伝え聞いた上岡さんは、その大御所作家を見つけると『関西弁が嫌いなんやったらこの番組をやめてまえ。お前みたいな考えの足らんヤツは、死んでもうたらええやんねん』と怒鳴り飛ばしたんです」(番組スタッフ)

 激高した上岡の怒りは周囲のスタッフがなだめても収まらず。その後の収録でも、

「ここのスタッフにはアホが1人交じっていまして‥‥」

「ただ年を食ってるだけで偉いと思うヤツがそこには仰山おりますけど‥‥」

 など、延々と罵倒し続けたという。同郷の関西人をコケにすれば上岡の逆鱗に触れるのは必至のことだった。

 だが、無謀にもこのタブーに挑戦をしたのが若き日の辛坊治郎(67)だった。

読売テレビの特別番組に上岡さんが出演された時に、当時読売テレビのエースアナだった辛坊さんを批判したことがあった。もともと、上岡さんはアナウンサーなど『ただしゃべるだけの無用な職業』と批判していたので、その流れもあったのでしょう。その時、スタッフが面白半分で辛坊さんをスタジオに出演させたところ、『大阪弁は標準語か否か』をテーマにトークバトルに発展した。辛坊さんが『大阪弁は誰にでもわかる言葉ではないから標準的な言葉ではない』と主張すると、さらに議論はヒートアップ。歴史に詳しい上岡さんは、古文や万葉集などからさかのぼり、言葉の歴史を披露し、辛抱さんをタジタジにさせてしまったのです」(芸能プロ関係者)

 どんな相手にもおもねらない流儀にはいつしか気難しい大物司会者のイメージが焼き付くことになる。

 しかし、そんな上岡の意外な一面を在阪記者が明かす。

「雑誌のインタビュー企画で、毎月のように上岡さんと顔を合わせる仕事を担当することになった。恐る恐る初めての取材に臨んだところ、いきなり『あなた、マラソンは?』と聞かれた。不意をつかれ、『いえ、やったことはありません』と素直に答えてしまった。すると上岡さんは『マラソンをしない人とは仕事をしない主義ですから』と言われてしまった」

 その日はなんとか取材させてもらえたが、今後仕事で付き合う以上はと一念発起。記者がマラソンを始めたところ、

「次に会った時、日に焼けた肌を見た上岡さんに『マラソン始めたん? 何で?』と尋ねられた。『マラソンしない人とは付き合わないって‥‥』と答えると『あんなんシャレやがな!』と大笑いされてしまった。それ以降は、以前に増して時間多めに、たくさんしゃべってくれるようになりました」

 生前、自身の話芸を喜怒哀楽の「怒芸」と説明した上岡氏。「努」力には報いありが上岡流なのかもしれない。

上岡龍太郎「オキテ破り伝説」

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