世界的ベストセラー輸送機C-130「ハーキュリーズ」。自衛隊も使うこの名機とほぼ同時期にアメリカが開発した戦略輸送機C-133「カーゴマスター」です。C-130と比べると地味ながら、担った役割はアメリカの国運を左右するものでした。

長いのは胴体? それとも首?

東西冷戦が激化の一途をたどっていた1950年代、すでに全地球規模で軍の部隊展開を重視していたアメリカ空軍は、当時としては巨大な輸送機を開発・量産しました。その機体の名はダグラスC-133「カーゴマスター」。まるでダックスフントのように長い胴体が特徴的な本機は、どのような役割を担っていたのでしょうか。

アメリカ軍はすでに、第2次世界大戦中に大型輸送機の必要性を理解していましたが、1948年ベルリン封鎖、1950年朝鮮戦争で、さらにそれを痛感します。そこで、兵員や兵器、物資を限定された地域、いわゆる戦域内で空輸する戦術輸送と、それらを本国からはるか遠方、たとえば地球の裏側まで空輸するような戦略輸送、この2つの概念をより明確にし、それぞれに適した輸送機を開発・整備しようと、1950年代中盤から動き出します。

こうして、まずは中型の戦術輸送機として、ロッキード社(当時)がC-130「ハーキュリーズ」を開発します。

これに対して、大型の戦略輸送機として開発されたのが、ダグラス社(当時)製のC-133「カーゴマスター」です。搭載エンジンはC-130と同じくターボプロップ4基ながら、全長48.02mという胴長構造によって、ペイロード(積載量)は50tにも及ぶ性能を誇っていました。

C-133は試作機なしで発注され、初号機の初飛行は1956年4月23日に行われます。制式化されると、本機はその胴長を活かして、「アトラス」「タイタン」「ソー」「ミニットマン」といった各種弾道ミサイルを、搭載・運搬する任務に従事します。

陸路を大型トレーラーで輸送するよりも、C-133による空輸のほうが速いうえにコストが安く、しかもより安全であったことから、総数数百基にもおよぶ各種弾道ミサイルが、本機によって発射サイロまで空輸されています。

アメリカの宇宙ロケット開発も支えた名機

また、NASAによる「ジェミニ」「マーキュリー」「アポロ」といった各宇宙計画で、宇宙カプセル打ち上げ用ブースターとして使用される「アトラス」「タイタン」「サターン」のロケット部分を、フロリダ州にあるケネディ宇宙センターまで空輸するのにもC-133は多用されています。さらに、地球に帰還して回収されたアポロ・カプセルをアメリカ本土に空輸するのも、本機の重要な役割でした。

C-133は、輸送機として優れた性能を持っていたものの、前述したように戦略兵器である弾道ミサイルを空輸するといった本機でなければこなせない任務を負っていたうえ、機数が少なく貴重だったので、1960年代から70年代前半にかけてアメリカが大きく関与していたベトナム戦争にはあまり投入されていません。

しかし本機の大きなペイロードの有用性は同戦争を通じて確認され、高い評価を得るとともに、後継となったロッキーC-5ギャラクシー」の開発に際して、大いに参考にされたといわれています。

ちなみに、C-133は太平洋横断飛行で当時の軍用輸送機としての非公式記録も打ち立てています。日本の立川基地(現在の陸上自衛隊立川駐屯地)とアメリカ本土カリフォルニア州のトラヴィス空軍基地間8288kmを、無着陸飛行で17時間20分、平均時速478.3km/hで飛びきったのです。

このように、アメリカ空軍において、長らく弾道ミサイルのような「長物」を積載可能な輸送機として重宝されたC-133でしたが、長年の酷使によって機体疲労も蓄積していたことなどから、巨大輸送機C-5ギャラクシー」が就役したのを機に、1971年に全機退役しました。

名作映画『ライトスタッフ』にも描かれたように、東西冷戦の最中の米ソ宇宙開発競争は熾烈なものでした。そういったなか、「裏方」として弾道ミサイルや宇宙ロケットの空輸に活躍。まさしくC-133「カーゴマスター」は、アメリカの弾道ミサイルや宇宙ロケット開発における「縁の下の力持ち」としての大役をはたした、“知られざる名機“ と言えるでしょう。

アメリカ空軍博物館に保存・展示されているC-133「カーゴマスター」(画像:アメリカ空軍)。