特別展『古代メキシコ ― マヤ、アステカ、テオティワカン』が2023年9月3日まで東京・上野公園の東京国立博物館・平成館で開催されている。古代メキシコ文明の中でも代表的な3つの文明に焦点をあてた本展には、メキシコ国内とアメリカ以外で初公開となるマヤ文明の「赤の女王」をはじめ、古代の文化や信仰を今に伝える出土品約140件が来日。各文明の世界観を反映した展示空間も見どころだ。

古代メキシコを代表する3大文明の遺物が一挙来日

マヤ、アステカ、テオティワカン……、古代史ファンの興味を集め続ける古代メキシコ文明において、どれかひとつだけでも企画展が組めそうなテーマが集合した本展。歴史、文化、人々の営み、儀礼など、幅広い内容をカバーした展示になっているが、ここでは個人的に気になったものをピックアップしながらその魅力を伝えていくことにしよう。

会場入り口

会場入り口

4章構成の展示のうち、全体のイントロダクションになっているのが、第1章「古代メキシコへのいざない」だ。最初の空間には古代メキシコ文明のはじまりを伝える《オルメカ様式の石偶》、テオティワカン文明の《マスク》、マヤ文明の《貴人の土偶》、アステカ文明の《装飾ドクロ》という各文明を象徴する4つの品が展示されている。併せて、本展に登場する遺跡の映像が巨大スクリーンに投影され、我々をこれから始まる古代の世界へと誘ってくれる。

《装飾ドクロ》 アステカ文明 1469〜81年 テンプロ・マヨール博物館

《装飾ドクロ》 アステカ文明 1469〜81年 テンプロ・マヨール博物館

同じ空間には、メソアメリカと呼ばれる現在のメキシコを中心とした古代文明圏の主要遺跡を示した地図と関連年表も紹介されている。この地域に最初の文明が興ったのは紀元前1500年頃のこと。そこからスペインの侵攻があった16世紀までの3千年以上の間、高地から沿岸部まで多様な自然環境を持つ地域には各地で文明が興り、それぞれの中心となる都市が作られた。まずはここで本展のテーマとなる3つの文明の年代や地勢図を確認しておくと本展の全体像が把握しやすいだろう。

なお、会場内は全作品撮影可能。ルールを守って撮影しよう

なお、会場内は全作品撮影可能。ルールを守って撮影しよう

続く空間では、古代メキシコ文明の共通点を「多様な自然環境」「トウモロコシ」「天体と暦」「球技」「人身供犠」という5つの軸で解説している。なかでも個人的に興味をそそられたのが、「球技」のコーナーに展示されている《球技をする人の土偶》だ。現代でも野球やサッカーの強豪国として有名なメキシコでは、古代の時代から球技が盛んに行われていたという。本品はマヤ文明の遺跡から出土した起源600年から950年ごろに作られた作品だ。

《球技をする人の土偶》 マヤ文明 600〜950年 メキシコ国立人類学博物館

《球技をする人の土偶》 マヤ文明 600〜950年 メキシコ国立人類学博物館

厚い防具を身につけ、ずんぐりむっくりとした姿から、まるで「えいやっ!」と何かを繰り出すような躍動感ある姿は、現代人の目から見ると……なんだかほっこりする。そんな風に、歴史的、文化的な価値を味わいながら、古代の人が生み出したかわいいものやかっこいいものを愛でるというのも、本展の楽しみ方のひとつだろう。

まるでテオティワカンにいるかのよう!? 壮大な展示空間に驚き

第2章「テオティワカン 神々の都」は、紀元前1世紀から6世紀にメキシコ中央高原に栄えた都市国家・テオティワカンをテーマにした展示だ。

《死のディスク石彫》 テオティワカン文明 300〜550年 メキシコ国立人類学博物館

《死のディスク石彫》 テオティワカン文明 300〜550年 メキシコ国立人類学博物館

約25平方キロメートルほどの都市の中におよそ2千の住居用アパートメントが建ち並び、10万人ほどの人々が暮らしていたというテオティワカン。その中心を成していたのが、「死者の大通り」の突き当たりに立つ「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇ピラミッド」という三大ピラミッドだった。それぞれの出土品が展示されている本章は、壁面を豪快に使った空間演出も圧巻。《死のディスク石彫》と《火の老神石彫》の背後には太陽のピラミッドの姿が壮大に広がり、本物の遺跡を歩いているような気分にさせてくれる。

手前:《羽毛の蛇神石彫》 テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン考古学ゾーン

手前:《羽毛の蛇神石彫》 テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン考古学ゾーン

遺跡からは、儀礼や埋葬の際に使われたとされる道具や奉納品、生贄の墓で見つかった装飾品が見つかっており、ミニチュアのような《小座像》、ヒスイで作られた《耳飾り》や《ペンダント》、巻貝を使った《トランペット》などから、王墓や儀礼空間であったと考えられるピラミッドが存在した意味と役割を知ることができる。

《トランペット》 テオティワカン文明 150〜250年 テオティワカン考古学ゾーン

トランペット》 テオティワカン文明 150〜250年 テオティワカン考古学ゾーン

《鳥形土器》 テオティワカン文明 250〜550年 メキシコ国立人類学博物館

《鳥形土器》 テオティワカン文明 250〜550年 メキシコ国立人類学博物館

続く空間には、テオティワカンの居住区跡からの出土品も展示。鷲や蝶、戦士の姿が彩色豊かに散りばめられた《香炉》、この国の建築物の特徴を示す《嵐の神の壁画》など見事な装飾の品が並び、テオティワカンの豊かな文化を物語っている。このうち《鳥形土器》や《人形骨壺》は四方から鑑賞可能。古代の高度な技術を正面以外からも味わってみよう。

不思議で美しい、神秘的なマヤ文字の碑文にうっとり

第3章「マヤ 都市国家の興亡」の空間に足を踏み入れると、視界が深紅の空間に包まれる。

手前:《香炉台》 マヤ文明 680〜800年 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

手前:《香炉台》 マヤ文明 680〜800年 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

現在のユカタン半島を中心とした地域に、紀元前12世紀から後16世紀までに、多数の王朝や都市が勃興したマヤ文明。なかでも高さ24メートルのピラミッドを擁したチチェン・イツァは世界的な知名度を誇る。ここでも装飾性に富んだ幅広い展示が見られる中、とりわけ印象的だったのはマヤ文字を使った演出だ。

手前:《金星周期と太陽暦を表わす石彫》 マヤ文明 800〜1000年 ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿

手前:《金星周期と太陽暦を表わす石彫》 マヤ文明 800〜1000年 ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿

古代から暦や天文学の知識を有していたマヤ人は、紀元前の時代から4万とも5万ともいわれる数の文字を生み出していた。それらは漢字のように文字自体に意味を持つ表意文字と、ひらがなカタカナのように幾つかが組み合わさって意味をなす表音文字とに分かれ、まるで絵のような美しさを持っていたのが特徴だ。本展でもチチェン・イツァから出土した《金星周期と太陽暦を表わす石彫》やトニナ遺跡で出土した《トニナ石彫》の中にマヤ文字の碑文を見ることができ、壁面に投影された文字の映像とともに象徴的に展示されている。

《支配者層の土偶》 マヤ文明 600〜950年 メキシコ国立人類学博物館

《支配者層の土偶》 マヤ文明 600〜950年 メキシコ国立人類学博物館

そして展示は、本展のハイライトがあるパレンケ関連のコーナーへ続いていく。

「赤の女王」の再現展示は神々しさすら放っていた……

パレンケは3世紀から8世紀にかけて栄えたマヤ文明の都市国家のひとつ。最も栄華を誇ったのは7世紀のキニチ・ハナーブ・パカル王(以下、パカル王)の時代で、展示もその時代の遺物が中心だ。最初に展示されている《96文字の石板》は、本展の監修者曰く「マヤ芸術の中でも最高峰のもの」とされている重要なもの。碑文の中には、パカル王が王宮の中心に「白壁の宮殿」と呼ばれる巨大建築物を建てて以降、その宮殿で歴代の王が即位してきた歴史が書かれている。神秘的なマヤ文字が隅々まで描かれた壮麗な石板だ。

《96文字の石板》 マヤ文明 783年 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

《96文字の石板》 マヤ文明 783年 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

その先も宮殿を模したような空間の中にパレンケの美しい碑文が記された品々の展示が続き、ついに本展の目玉展示である「赤の女王(レイナ・ロハ)」の展示にたどり着く。

「赤の女王(レイナ・ロハ)」の展示空間

「赤の女王(レイナ・ロハ)」の展示空間

パカル王が眠る「碑文の神殿」の隣にある神殿から1994年に発掘された赤の女王は、パカル王の妃、イシュ・ツァクブ・アハウだといわれている。赤の女王と呼ばれる由縁は、その遺体が赤の辰砂に覆われていたことに基づいている。

右上から時計回り:《赤の女王の頭飾り》《小マスク》《赤の女王の腕飾り》《赤の女王のマスク》 すべてマヤ文明 7世紀後半 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

右上から時計回り:《赤の女王の頭飾り》《小マスク》《赤の女王の腕飾り》《赤の女王のマスク》 すべてマヤ文明 7世紀後半 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館

実際の神殿跡を模した静謐な空間に、棺に眠るような姿で再現された《赤の女王》の墓。黒曜石の瞳に見つめられているかのようなマスク、高貴な人物を象徴するかのような頭飾り、ヒスイを散りばめた胸飾り、12連の豪華な腕飾りなど、全身の一揃えになった姿は神々しいオーラを漂わせ、想像以上の迫力を感じさせるものだった。

ここまでで展示全体の3分の2程度。さらに順路は、高さ1メートル70センチの《鷲の戦士像》が立つ第4章の「アステカ テノチティトランの大神殿」へ続く。1325年からスペイン侵略の1521年まで栄えたアステカ文明において、現在のメキシコシティにあたるテスココ湖上に築かれた中心都市・テノチティトラン。現在のメキシコ文化にも息づく古代文明の輝きを最後まで見逃さぬよう。

《鷲の戦士像》 アステカ文明 1469〜86年 テンプロ・マヨール博物館

《鷲の戦士像》 アステカ文明 1469〜86年 テンプロ・マヨール博物館

《男性像》 アステカ文明 1325〜1521年 メキシコ国立人類学博物館

《男性像》 アステカ文明 1325〜1521年 メキシコ国立人類学博物館

グッズ売り場もメキシカンカラー!

グッズ売り場もメキシカンカラー!

特別展『古代メキシコ ― マヤ、アステカ、テオティワカン』は、東京・上野公園の東京国立博物館・平成館で9月3日まで開催中。とにかく内容量多めの展示になっているので、十分な時間を確保して訪れるように。


文・撮影=Sho Suzuki

《赤の女王のマスク》 マヤ文明 7世紀後半 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵