北朝鮮の北東部、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の穏城(オンソン)は、国境の川・豆満江をはさみ、中国の延辺朝鮮族自治州の図們と向き合っている。そんなロケーションから、かつては合法・非合法の輸出入で町が賑わっていた。

しかし、コロナをきっかけに街の様子は一変。一般の密輸業者もちろん、いい暮らしをしていた覚醒剤の密輸業者ですら、極度の生活苦に追い込まれた。そんな中で、地元でも有名だった大物業者が、リスクを犯して再び覚醒剤の密輸を試み、あえなく逮捕された。現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

40代男性のキム某は、北朝鮮国内で生産された覚醒剤を中国に密輸して大儲けしていた。覚せい剤の出処について情報筋は言及していないが、平安南道(ピョンアンナムド)の順川(スンチョン)製薬工場、咸鏡南道(ハムギョンナムド)の興南(フンナム)製薬工場が、生産の二大拠点だ。そこから取り寄せた覚醒剤を中国に密輸していたのだろう。

北朝鮮製の覚せい剤の蔓延には、中国当局も手を焼いていた。

キムは、密輸で儲けたカネを湯水の如く使っていた。だが2020年1月、北朝鮮当局は新型コロナウイルスの国内流入を防ぐために、国境を封鎖し、人と物の出入りを厳しく禁じた。違反者には取り調べ時に拷問が加えられ、処刑された例もある。

もちろん覚せい剤の密輸もできなくなってしまった。

それにもかかわらず、キムは「酒池肉林」とも言える贅沢な生活を続けていた。まさか国境封鎖が何年も続くとは思っていなかったのだろう。その見通しの甘さが破滅を招いた。

それから3年以上が経ち、ついにカネが底をついた。贅沢な生活はおろか、日々の糧にも困るほどの困窮ぶりだった。もはや国境が開くのを待っていられないと、体に100グラムの覚せい剤を巻き付け、国境を流れる豆満江を渡ろうとした。

しかし、あらかじめワイロを渡して話をつけていなかったこともあってか、国境警備隊にあっという間に捕まってしまった。かつては懇ろだったであろう国境警備隊だが、金の切れ目が縁の切れ目。逮捕後すぐに、身柄を穏城郡安全部(警察署)に移した。そして2日後には、咸鏡北道安全局に移された。

取り調べで「生活が苦しくカネを稼ぐために中国に行って覚醒剤を売ろうとした」と白状したキムは、麻薬密売罪と非法越境罪で、5年以上の労働教化刑(懲役刑)に処されると見られている。

かつての彼ならば、安全部や裁判所、検察所、教化所にカネをバラまいて、事件のもみ消し、教化所での特別待遇、早期出所を勝ち取っていただろうが、もはやそんなカネは彼の手中にない。極めて劣悪な北朝鮮の教化所から、生きて帰ってくることはできるのだろう。

この一件はあっという間に町の噂となり、「飛ぶ鳥を落とす勢いだった人が餓死直前に追いやられるなんて」「川を渡ろうとして捕まったら殺されることくらい誰でも知っているのに、よほど困っていたのだろう」などと言われている。

穏城で困っているのは彼だけではない。覚せい剤のみならず、日々のおかずから台所洗剤、衣服などありとあらゆるものが密輸されていたこの町では、多くの人が密輸で生計を立てていた。

しかし、国境封鎖で密輸ができなくなり、もはやこれまでと、失敗すれば殺されるのを承知で密輸に乗り出す人もいる。先月初旬にも、2人の30代男性も、生活苦から抜け出すために、密輸を試みたがあえなく失敗し、逮捕されている。そんな人が増えているというのが、情報筋の説明だ。

「死と重罰を覚悟しなければできない脱北、密輸を試みるのは、結局生き残るためだ」(情報筋)

国は国境を封鎖を続ける一方で、仕事と食べ物を失った人々への生活対策は全く行っていない。やっているのは、国境を越えようとする人を捕まえ、重罰に処して、恐怖心を煽ることくらいだ。地元住民の不満は徐々に高まりつつあると情報筋。今までの事例を考えると、抗議活動、デモ、暴動が起きる可能性も全く否定できない。

北朝鮮軍の兵士(アリランday)