文=松原孝臣 写真=積紫乃
自分の思い描くところに届かない日々
渡辺倫果(TOKIOインカラミ/法政大学)は、早くから将来を嘱望される選手だった。
小学5年生だった2013―2014シーズン、全日本ノービス選手権のノービスBで優勝。NHK杯のエキシビションにも招待され、代々木第一体育館の広い観客席のもと、『ザ・ブギー・バンパー』をはつらつと演じ拍手を浴びた。
ただ、そのまま歩んでいくことはできなかった。怪我もあったが、それも含めて大会での成績は思ったようには残せなかった。
渡辺は語る。
「中学、高校時代は『自分だったらここまでできるんじゃないか』と自分の思い描くところに届かない日々を過ごしていて、ほんとうに、ほんとうに苦しい時代だったと今は振り返って思います」
ありたい理想の自分と現実の自分のギャップに苦しんだ。自分が分け離れるかのようだった。
中学2年生だった2016-2017シーズン後、渡辺はカナダに渡り、拠点としてきた。
「大きな決断だったでしょうとよく言っていただくのですが、私にとっては全然大きな決断ではなく、教わっていたコーチから『行くことになったんだけど』と言われて、ほんとうに間髪入れず『行きます』と良くも悪くも後先も考えずに答えたので(笑)」
そこにはフィギュアスケートへの情熱もうかがえる。でも苦しむ中でそれも失いかけていた。
「どんどん自分のことも信じられなくなって、周りも見えなくなっていました。正直、何回も『もういいや』『やめたいな』と思いました」
2018-2019シーズンを前に、渡辺は「もう1回本気でやるか、やめるか」と考えた。
「最終的には、このままやめたらずっと一生後悔すると考えました」
ここで自分のスケート人生をやり切りたい
2020年になると新型コロナウイルス感染が世界的に拡大。帰国をよぎなくされ、当初は木下アカデミーで練習させてもらった。
「ジャンプ成功の確率も上がりましたし全体の質も上がりました。でも次は、練習ではできるのに試合ではうまくいかないという状況に陥りました」
2020年12月の全日本選手権は27位で終えている。
2021年4月、法政大学に入学するとともに首都圏に戻ることになった。
「通信とはいえ、テストで学校に行かなければいけない条件でした。そこでちょうど開校するMFアカデミーに『預かり』という形で練習させてもらうことになりました。2か月ほど経った頃、ここで自分のスケート人生をやり切りたいと思いました」
練習環境が充実していることが理由にあった。でもそればかりではなかった。MFアカデミーの中庭健介コーチとの出会いがあった。それが運命を変えた。
「『試合が怖くなるんです』という話をしたときにこう言っていただきました。『もちろん成功する確証はどこにもないけど、練習で失敗しているからといって試合で失敗する確証なんてどこにもないでしょう』」
そのとき、はっとした。
「今まで自分で縛り上げていた鎖みたいなものが外れたなっていう感覚がありました。自分で自分の体に鎖を巻いていたことにまず気づいて、もちろんトラウマみたいなものなのでたまにブラッシュバックしますけど、それでも縛られることはなくなってきました」
鎖がほどけた――それを象徴するような大会が2021年12月の全日本選手権だった。ショートプログラムで8位につけるとフリーでは冒頭のトリプルアクセルを含めすべてのジャンプに成功するなどマイナスの評価が1つもない完璧な演技を披露。それまで一桁の順位になったことはなく前年は27位であったこの大会で6位になったのである。その成績により世界ジュニア選手権の代表に初めて出場を果たした。
うまくいっても、うまくいかなくても
変化は大会時の言葉にもうかがえた。うまくいっても、うまくいかなくても、渡辺は前向きな、強い言葉を語る。
「そこがいちばん変わったんじゃないかなと思います。言葉に出すことによって、言った以上はやらないといけないということもありますし、おのずと自分を前向きに奮い立たせることができるというのもあります」
先のやりとりをはじめ、コーチと信頼関係を築きつつ多くを得て、渡辺が輝きを放ったのが昨シーズンであった。
「新しい自分に出会って、また違う苦労とか、違う苦しさというのはもちろんありますけれども、ただその苦しさというのも、味わうレベルに行くことがないと味わえない苦しさだと思うのでありがたいことだと思っています」
3歳の頃、荒川静香の演技を観て、フィギュアスケートに惹かれた。以来、打ち込んできた。
「フィギュアスケートというのは人の感情を特に動かせるスポーツだと思っていますし、芸術とスポーツの混合されたものだと思います」
そしてこう続ける。
「私にとってのフィギュアスケートは命に等しいもの。私の全てだと思います」
ときにやめようかと思うほど苦しんでも、根底には変わらずにあったフィギュアスケートへの熱とともに、自分の可能性をあきらめずに努力を重ねた。その時間の中で育まれた土壌があった。だからこそ、芽吹かせることが、花開かせることができた。2022-2023シーズンはその証にほかならない。
「来シーズンから、もっともっと上を目指していきたいと思います」
ショートプログラムは昨シーズンに引き続き宮本賢二、フリーはシェイリーン・ボーンに振り付けを依頼したという。
再び新たな自分に出会うために。
渡辺倫果は来たるシーズンを、その先の未来を見据えている。
渡辺倫果(わたなべりんか)TOKIOインカラミ/法政大学所属。2002年7月19日、千葉県生まれ。3歳の頃スケートを始める。2021-2022シーズン、世界ジュニア選手権に出場。2022-2023シーズン、グランプリシリーズに初めて臨みデビュー戦のスケートカナダで優勝するなどしてグランプリファイナルに進出し4位。世界選手権にも初出場、10位になる。
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