ついに捕まえた覚せい剤密輸の中国企業
米司法省は6月23日、覚せい剤「フェンタニル」の原料をメキシコの麻薬組織、「シナロア・カルテル」(Cartel de Sinaloa)と「ハリスコ・ニュージェネレーション・カルテル」(Cartel de Jalisco Nueva =CJNG)に密売していた中国の「湖北アマーベル・バイオテク」(Hubei Amarvel Biotech)など4社と関係者8人を起訴した。
米司法省が覚せい剤関連で中国企業を起訴したのは、これが初めてだ。
フェンタニルをめぐる米国~メキシコ~中国というトライアングルの構図は、これまで米メディアでも盛んに取沙汰されてきたが、米国政府が実際にその尻尾を掴み、動いたのはこれが初めてだ。
(US files first-ever charges against Chinese fentanyl manufacturers | Reuters)
フェンタニル過剰摂取で命を落とす米国民は2022年11万人。2021年の7万人から急増している。
(ベトナム戦争で戦死した米兵は5万8220人だったことを考えると、この数は異常だ。ちなみに覚せい剤過剰摂取で死亡した日本人は年間たった31人である)
死ぬのは大都市圏の中高年層
フェンタニルは1960年代に開発された鎮痛剤で、2017年には世界全体で処方件数100万件に上っている。
その一方で、ヘロインなどに比べると強力で、コンパクトなため物流も容易なことから麻薬組織の目玉商品として売りさばかれるようになった。
米国には完成されたフェンタニルとしてメキシコから密輸されている。
2022年1年間だけで米国麻薬取締局(DEA)が押収したフェンタニルは4500キロ以上に上っている。
バイデン政権になってからフェンタニル過剰摂取で死んだ人はそれまでの2倍に増えている。
死亡した米国人の多くは大都市圏に住む25歳から36歳までの白人男性(58.3%)、55歳から64歳の黒人男性(42.7%)だという。
(Drug Overdose Death Rates | National Institute on Drug Abuse (NIDA))
「マリファナと同じように精神的ストレスの解消、現実逃避が摂取の目的だが、効き目は比較にならぬほど強烈らしい」(ロサンゼルス市警麻薬取締官)
その「闇の入手ルート」は主にマフィアだが、その取引先は前出のメキシコの2大麻薬カルテルである。
麻薬組織はメンバー2万人で軍隊並み重装備
「シナロア・カルテル」は、麻薬密売人、ホアキン・グスマンが2001年に組織したメキシコ最大の麻薬密売組織。
マリファナ栽培からコロンビア産コカインの密輸、中国から原料を密輸して製造するフェンタニルまで幅広い事業を展開、資産額は10億ドルと推定されている。
メキシコ政府とは4年にわたる戦闘を続けているが、軍事力と支配地域を潤す経済力、メキシコ警察への賄賂戦略とで、強力な麻薬組織になっている。
「グスマン氏のお陰で、トマトしか輸出できなかったシナロア州は栄え、州都クリアカンには両替所、宝石店、高級車のショールームまである。麻薬はこの街の経済の重要な一部になっている」(高級店経営者)
一方、2番手の「CJNG」は、ネメシオ・オセグエラ・セルバンテス率いる犯罪シンジケートで、メンバーは2万人。中西部のコリマ、ハリスコなど3州に拠点を置いている。
極端な暴力行為に加え、対警察汚職工作、PR活動に長けた新興組織で、メキシコ政府治安部隊との戦闘ではドローンやロケット推進手榴弾を使用するなど高度に軍事化している。
「全国に100以上のフェンタニル研究所を持っており、取引はコカインで年間81億ドル、フェンタニルで46億ドルを超える純利益を上げている」(メキシコ当局関係筋)
両カルテルに共通しているのは、本拠地を置く各州ともに、自分たちのコミュニティを守るのは中央政府ではなく、自分たちだという考え方が根付いていること。自警精神だ。
カルテルはそれを見事にとらえ、自ら自警活動の軸になっているのだ。
(Don't Bomb Mexico - The Atlantic)
米下院議員2人が米軍出動法案上程
共和党は2024年大統領選でホワイトハウスを奪還するべく、ジョー・バイデン大統領の「失政」を攻撃している。
経済低迷、インフレ顕在化、メキシコ国境での不法移民流入に加えて新たに取り上げられているのがフェンタニルによる死亡者の急増問題だ。
その震源地であるメキシコに対する非難は、今年に入ってエスカレートし、無為無策なメキシコ政府が2大麻薬カルテルに対する本格的な撲滅策に踏み切らないのであれば、米国は特殊部隊を送り込んで掃討作戦に踏み切る、と言い出したのである。
下院のダン・クレンショー(テキサス州選出)、マイク・ワルツ(フロリダ州選出)両議員は今年1月、メキシコの2大麻薬カルテルを標的にした米軍出動を認める法案を上程。
同法案は目下下院外交委員会での審議を待っている。
クレンショー氏は、南部の無鉄砲なタカ派議員ではない。タフト大学在学中に海軍に入隊、海軍特殊部隊の一員としてアフガニスタン戦争に参戦した。
除隊後、ハーバード大学ケネディ行政大学院で修士号を取得している「文武両道議員」だ。
ワルツ氏は陸軍特殊部隊グリーン・ベレーのメンバーを経てディック・チェイニー副大統領(当時)の補佐官を務めたこともある軍事通だ。
同法案は、メキシコからのフェンタニル密輸は米市民の命を奪っており、これ以上手をこまぬいているわけにはいかないと指摘。
1990年代コカイン禍の震源地だったコロンビアに米軍を派遣し、殲滅したように「米軍部隊使用権限」(The Authorization for Use of Military Force=AUMF)を大統領に付与するよう求めている。
上院のトム・コットン(アーカンソー州選出)、リンゼイ・グラハム(サウスカロライナ州選出)、ジョン・ケネディ(ルイジアナ州州選出)もクレンショー法案を支持。
ドナルド・トランプ大統領候補(前大統領)は、政策スタッフにメキシコへの特殊部隊派遣についての具体的な計画の作成を命じたという。
(トランプ氏は大統領当時、2大麻薬カルテルの建物にミサイル攻撃するよう命じようとしたが、マーク・エスパー国防長官が拒否したため実現しなかった、とエスパー氏は回顧録に書いている)
しかし、トランプ氏は今回の大統領選キャンペーン用のビデオで再び、「大統領に返り咲いたら真っ先に特殊部隊に攻撃するよう国防長官に命じる」と言っている。
同じく大統領選に立候補しているロン・デサンティス・フロリダ州知事は、メキシコから米国に密輸される麻薬を阻止するためにフロリダ州などの主要港湾を封鎖すると言い出した。
そうした中、上院ではジョン・コーニン議員(テキサス州選出)とアンガス・キング(無所属、メーン州選出)が、2大麻薬組織を掃討させるためにメキシコ軍・警察部隊を訓練指導する超党派法案「パートナーズ法案」(PARTERS Act)を上程した。
バイデン民主党が全く乗ってこないわけ
ところが、こうした共和党の動きにホワイトハウスも民主党もどこか後ろ向きだ。
ホワイトハウスのアンドリン・ワトソン国家安全保障会議(NSC)報道官はこうコメントしている。
「バイデン政権はメキシコに対する軍事行動は一切検討していない」
「現政権は、これらの麻薬カルテルを外国のテロリスト集団に指定する権限は持ち合わせていない」
「バイデン政権としては、メキシコ国境保全のための技術の向上、フェンタニルの製造・流通両面での規制強化策について議会と協議、協力することを願っている」
国防総省の制服組トップ、マーク・ミリー統合参謀本部議長もそっけなく、こうも述べている。
「メキシコに軍事進攻するなどとは、バッド・アイデア(不了見)だ。メキシコ政府が支持しない。いかなる軍事行動も(大統領には)進言しない」
(GOP embraces a new foreign policy: Bomb Mexico to stop fentanyl - POLITICO)
「ポリティコ」のアレキサンダー・ワード記者はこう分析している。
一、米北方軍によれば、メキシコ全土の30%から35%の領土はメキシコ政府に統治・管理されていない。
したがって多くの土地で麻薬カルテルの活動は野放し状態になっている。もし米軍が軍事行動になれば、メキシコ市民の多くは米国目がけて逃げ出し、大混乱に陥る。
二、麻薬カルテルに対する米軍の軍事行動でサプライ(供給)サイドはインパクトを受け、「フェンタニル・クライシス」となるだろうが、デマンド(需要)がそれで収まるわけではない。
三、密輸ルートでのフェンタニルが米国内に入るのは止まるだろうが、オンラインでの売買、フェデックスなどによる通信販売を完全に打ち切れるかは保証できない。
(GOP embraces a new foreign policy: Bomb Mexico to stop fentanyl - POLITICO)
愛用者がなくならない限り問題解決せず
トランプ氏を先頭に共和党は、かつて国際テロリスト組織「アルカイダ」の首謀者、オサマ・ビンラディンを特殊部隊を投入して暗殺したシナリオを夢見ている。
だが、メキシコは米国にとっては重要な隣国。しかも麻薬カルテルを取り巻くメキシコ事情は経済、文化、風習が絡まり複雑怪奇だ。
米国にはメキシコ系米国人が6210万人も住んでいる。遠く離れたパキスタンとは事情が大きく異なる。
さらに下院に上程された法案も下院は可決・成立しても、上院で成立する保証はない。
「おそらくメキシコ治安部隊の強化訓練を認める法案の成立が関の山ではないのか」(ワシントン政界ウォッチャー)といった声も聞こえてくる。
米主流メディアのメキシコ系ジャーナリストのJ氏の言い放った捨て台詞に筆者は痺れた。
「いくら元栓を閉めても、蛇口が開いていれば水は漏れる。フェンタニルを欲しがる米国人がなくならない限り、問題解決にはならないよ」
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