「財産」とひとえに言っても土地、建物、現金、株式……などさまざまな種類があります。認知症と診断され、そうした財産の管理に支障が生じてしまうと、家族内の混乱を招きかねないため、対策をしておくことが重要です。ただし、ここで注意すべきなのが、財産の種類ごとに対策を検討する必要があるということです。本記事では、実務に精通した弁護士陣による著書『依頼者の争族を防ぐための ケーススタディ遺言・相続の法律実務』(ぎょうせい)より、財産の種類に応じた事前対策について、事例をもとに解説します。

認知症になるのが不安…事前対策をしておきたい

【相談の概要】

A(75歳)は、資産として自宅用土地・建物、収益用土地・建物、現金を有しています。Aには、妻B(70歳)と長男C(45歳)がいます。AとBは、年金の他は、収益用不動産から生じる賃料収入で生活をしています。Cは、AとBの近くに住み、長年、収益用不動産の管理を手伝っていました。

Aは、加齢とともに、物忘れも目立ち始め、将来、さらに判断能力が低下したときのことを心配しています。Aが、上記の資産の他、定期預金、畑、上場株式、借地権を有している場合はどうでしょうか。

【相談を受けた弁護士の回答】

Aが有する資産の管理のために、信託契約を締結することが考えられます。この場合、受託者は、AとBの近くに住み、従前から不動産の管理を手伝ってきたCが適任です。定期預金、畑、上場株式、借地権については、信託が利用できない可能性があるので、これらの資産については、別途、任意後見契約の手続きを検討することが考えられます。

1.背景

進む高齢化認知症対策がますます重要に

ご相談のように、高齢者が判断能力の衰えを出発点として、財産管理の対策を検討する事例は増えてきています。今後、高齢化社会の進展とともに、このような事例は益々増加すると考えられます。

高齢者が十分な判断能力を有するうちは、問題はあまり生じません。しかし、高齢者の判断能力が衰えてきた場合に、財産の管理に支障が生じる事態が想定されます。例えば、金融機関から預金を引き出そうとする場合や、所有する不動産に修繕の必要が生じた場合など、財産の所有者に十分な判断能力がなければ、適切な対応ができない場面が生じることになります。

2.具体的な方策

認知症の事前対策には「任意後見・民事信託」が有効

(1)任意後見

本人に十分な判断能力があるうちに、本人の判断能力が低下した場合に備えて、あらかじめ本人が自ら任意後見人を選任し、代理すべき事項を定めて、任意後見契約を締結しておくことができます。

任意後見契約は、公正証書で行い(任意後見契約に関する法律3条)、本人の判断能力が不十分となった場合、本人の親族等が家庭裁判所に任意後見監督人の選任を請求します(任意後見契約に関する法律4条1項)。任意後見契約は、任意後見監督人が選任された時からその効力を生じることになります(任意後見契約に関する法律2条1号)。

(2)民事信託

本人の判断能力が十分なうちに、本人が受託者と信託契約を締結し、受託者が高齢者のために財産の管理することができます。受託者は財産の所有者として、自らの名義で、各種の契約や手続きを行うことになります。

(3)任意後見と民事信託の差異

任意後見では任意後見人が、民事信託では受託者が、各種の手続きを行うことになります。例えば、金融機関との預金契約の締結、不動産の修繕や改築のための請負契約の締結、収益用不動産のテナントに債務不履行があった場合の解除の意思表示、不動産業者との間の媒介契約の締結、新たなテナントとの間の賃貸借契約の締結などがあります。

ここで、任意後見では任意後見人は本人の代理人となるのに対し、民事信託では受託者は自らの名義で各種の手続きを行う点に違いがあります。また、任意後見は、本人の財産管理に加えて本人の療養看護などの身上保護も対象となるのに対し、民事信託は財産管理及び財産承継を行えますが、受益者の身上保護は対象とすることはできません。

(4)今回の事例の場合

本事例では、本人の療養看護などの身上保護の必要性はないと思われるので、任意後見よりも柔軟な民事信託を検討することが望ましいと考えられます。

4.「民事信託」に適する財産

(1)高齢者に対する特殊詐欺

近年、高齢者の財産を狙った詐欺犯罪が多発しています。振り込め詐欺に代表されるように、高齢者は、犯罪者の要求に応じて、金銭などを騙し取られてしまうことがあります。

(2)成年後見

法定後見では、高齢者本人が財産管理権限を有しているので、本人が詐欺などの不当な契約を締結した場合には、法定後見人による取消権の行使などで対応することになります。しかしながら、詐欺などの犯罪の場合、そもそも相手方を特定することが困難な場合も多く、仮に相手方を特定できたとしても、その相手方が弁済するため十分な資力を有しているかどうかわかりません。

任意後見では、本人の行為能力は制限されず、本人は財産管理権限を有しています。仮に、本人が詐欺被害に遭ったとしても、法定後見と違って任意後見人には取消権がありません。そこで、任意後見において取り得る方策は、任意後見人が本人通帳や通帳印を預かるなど事実上の対応に限られてしまうことになります。

(3)民事信託の活用

民事信託では、信託財産とした財産の所有権が、委託者から受託者に移転することになります。そのため、委託者である高齢者が詐欺にあっても、高齢者の手元には財産自体が存在しないため、被害を防ぐことができます。

成年後見は、高齢者の財産を事後的に保護しようという法律上の仕組みであるのに対し、民事信託は、高齢者の財産を事前に保護する法律上の仕組みということができます。

民事信託を利用する際に注意が必要な財産

(1)信託財産

信託財産は、信託法2条3項によれば、「受託者に属する財産であって、信託により管理又は処分をすべき一切の財産をいう」とされています。信託財産の対象としては、現金や、預金、不動産のほか、株式など様々な財産が考えられます。

信託法上、信託財産とする財産については特段の制限はないのですが、他の法律や実務上、信託財産にできない財産があります。また、信託財産とするうえで注意をしなければならない財産もあります。

(2)定期預金、外貨預金

預金を信託財産とする場合、預金債権は譲渡できないため(民法466条の5)、預金を一旦解約して現金化した上で、金銭を受託者に引き渡すことになります。ここで、定期預金については、解約すると普通預金に比べて有利な利息を受け取ることができなくなることがあります。外貨預金については、為替差損が発生したり、解約に期限や条件などが付されている場合もあります。

(3)農地

農地について、所有権を移転する場合には農業委員会の許可を受けなければなりません(農地法3条1項本文)。一方、信託の引受けにより所有権が取得される場合、農業委員会は許可をすることができないとされています(農地法3条2項)。したがって、農地は、信託財産にすることができないということになります。

(4)株式

ア.上場株式

上場株式について、証券保管振替機構による保管振替制度が利用されていますが、この場合、振替株式については、振替口座簿に記載することになります。もっとも、現状では、すべての証券会社が、受託者への名義書替えに応じるとは限りません。上場株式の信託については今後の課題ということになります。

イ.非上場株式

非上場株式については以下のようになります。一般に、中小企業オーナーが、自社の株式を後継者に承継させるために信託する場合が想定されます。事業承継対策の一環としてなされることも多いところです。

信託においては、財産の名義が委託者から受託者に移転しますが、非上場株式では、譲渡制限が付されていますので、この場合の手続としては、まず、委託者又は受託者から会社に対して譲渡承認請求をし(会社法136条)、受託者と委託者が共同で会社に対し、株主名簿記載事項の記載の請求をすることになります(会社法137条2項)。

なお、この譲渡承認請求は一度行えば足ります。次に、受託者が、会社に対して、株式が信託財産に属する旨の記載の請求をすることになります(会社法154条の2第2項)。具体的には、株主名簿の各株主の備考欄に、「この株式は信託財産である」ことを記載しておくことになります。既存の株主名簿を応用すればよいので難しい作業ではありません。

なお、非上場株式については、もう一点注意が必要です。近時、事業承継対策として、いわゆる事業承継税制を利用する場合も増えています。事業承継税制は、後継者が、先代経営者から、非上場株式を贈与や相続により取得した際に、経営承継円滑化法による都道府県知事からの認定を受けると、贈与税相続税が猶予又は免除される制度です。

株式を信託した場合には、この事業承継税制が利用できないので注意が必要です(租税特別措置法70条の7、70条の7の2)。

(5)借地権

借地権を信託財産とする場合、元の借地権者である委託者から、新たな借地権者である受託者に、借地権を譲渡することになります。また、借地権者は、借地権設定者の承諾を得なければ、借地権を譲渡することができず、これに違反して借地権を譲渡したときは、借地権設定者は、借地契約の解除をすることができることになります(民法612条2項)。この承諾を受けるためには、都市部では高額の『譲渡承諾料』を支払う必要があります。

(6)検討

以上のとおり、本人の財産として、定期預金や外貨預金、農地(田、畑)、上場株式、借地権がある場合、これらの財産を対象として民事信託を利用することについては検討が必要になります。

定期預金や外貨預金についてはリスクを加味して、借地権については譲渡承諾料の金額を加味して信託財産とするかどうかを検討することになります。上場株式は、証券口座のある証券会社に、信託に組み込むことができるかを問い合わせることになります。

上記の各財産について、信託財産とすることが難しいか、信託財産とすることができない場合は、任意後見の利用を検討することになります。

東京弁護士会弁護士業務改革委員会

遺言相続法律支援プロジェクトチーム

(※写真はイメージです/PIXTA)