代替テキスト
(C)JMPA

“6月の花嫁”として紀子さまが皇室に入られて、33年がたった6月29日。秋篠宮さまと紀子さまは、静かに記念日を迎えられた。

「皇室ではこうした節目に、両陛下をお招きして夕食会を催したりしますが、コロナ禍以降は感染防止のため開かれなくなりました。佳子さまや悠仁さまと、お身内で記念日を祝われたと聞いております」(宮内庁関係者)

33年前、“3LDKのプリンセス”として国民からご結婚を祝福された紀子さま。しかし近年では、眞子さんの結婚をめぐる騒動、悠仁さまの進学問題などにより、国民からの批判を受け続けている。そんななか、“皇室を支持してきた”人々からも、痛烈な声が上がり始めているという。

6月19日学習院OGでジャーナリストの藤澤志穂子さんが『学習院女子と皇室』(新潮新書)という本を出版しました。学習院という学校の歴史を振り返りつつ、秋篠宮家への批判の声がOBやOGの間で広がっていることをまとめた一冊です。

伝統的に学習院の卒業生は、“皇室を支える”という気持ちが強く、これまで秋篠宮家を批判する取材に協力する人はそう多くはありませんでした。しかしこの本には多数の卒業生の声が記されており、『いよいよ学習院からも……』という声が宮内庁内部からも聞こえてきます」(皇室担当記者)

学習院は、明治時代初期に創立された学校法人。もともと皇族のほか、皇室を支える華族の子女に対する教育を目的としており、100年以上の歴史を誇る同校の歩みは、皇室を支えてきた歴史そのものと言える。

秋篠宮さまも幼稚園から大学まで学習院に通われたOBであり、紀子さまも初等科の一時期、女子中等科から大学院まで通われ、お二人の出会いもキャンパス内であったことはよく知られている。紀子さまの1学年下のOGとして、卒業生たちを取材してきた藤澤志穂子さんは、こう話す。

「眞子さんと小室圭さんが婚約を発表した後、さまざまなトラブルが報じられるにつれて、学習院のOBやOGたちからも秋篠宮ご一家への批判的な声が聞こえるようになりました。やはり、“筆頭宮家としての特権を享受しながら自由を追い求める”という姿勢が、秋篠宮ご一家のなさりようから伝わってくることに起因しているのでしょう」

幼稚園から女子高等科まで学習院に通っていた眞子さんは学習院大学に進まれず、国際基督教大学(ICU)に入学。姉と同じように学習院に学ばれてきた佳子さまは学習院大に進まれたが中途退学し、ICUに入学し直された。

そして昨年4月には、悠仁さまが筑波大学附属高等学校(筑附)にご進学。学習院の卒業生たちは、秋篠宮ご夫妻のご教育方針に不満を募らせていたという。

■義務を果たされない秋篠宮家への失望感

お茶の水女子大学附属中学校から、“提携校進学制度”を利用して筑附に入学されましたが、一般の受験とちがい、選考プロセスが明確でない形には、違和感を抱いた学習院の卒業生も少なくありませんでした。

設立以来、学習院では『ノブレス・オブリージュ』という価値観を大切にする気風があります。それは、“高い社会的地位には責任と義務がある”というものです。

悠仁さまのご進学の経緯や、学習院大に進んだ佳子さまが学費を払いながら授業を休まれがちだったということにも、庶民感覚からかけ離れ、“秋篠宮ご一家は特別な立場にありながら、義務を果たされていない”と卒業生の多くは感じたのです」(前出・藤澤さん)

6月28日(現地時間)、眞子さんが“カジュアルな服装でお買い物”と、英紙『デイリー・メール』が報じたが、卒業生たちの秋篠宮家に対する失望感は、広がるばかりのようだ。初等科から大学まで学習院に学んだOGはこう嘆く。

「眞子さんのお買い物時の装いは、ニューヨークの街になじもうとジーンズなどを好んではかれているかもしれませんが、元皇族の方にしてはカジュアルすぎると思うのです。

2021年12月に、キャロラインケネディ元駐日大使が住む高級住宅街のマンションを訪問した際も、ふさわしい装いであったとは言えません。眞子さんの元皇族としての気配りを欠いた自由な生活を許している点については、紀子さまの責任も大きいと思います」

さらに6月30日には、“30億円改修”で注目を集めた秋篠宮邸で佳子さまが生活されていなかったことを、引っ越しから3カ月たって初めて宮内庁が明らかにしたのだ。

「今回宮内庁は、“新しい宮邸に眞子さんと佳子さまのお部屋を設けないように計画を変更した”“改修規模を小さくして経費を節減するためだった”などと説明しています。しかし、コロナ禍で苦しむ国民がいるのに、改修全体で費やした費用は総額40億円規模と膨大になったことに、十分な説明があったとは到底言えません」(前出・皇室担当記者)

■紀子さまのご挨拶に広がった“違和感”

紀子さまは庶民出身であるのに国民感情を理解されていないようにも見えるという。

「紀子さまが“皇嗣家にふさわしい邸宅を”と改修に心血を注がれた一方で、特権を享受するばかりであるという批判については、まったく向き合われていらっしゃらないと感じています。

改修工事への批判が再燃しているのも、民間から皇室に入られ、“国民の気持ちもわかる”はずのお立場であるにもかかわらず、紀子さまが国民に理解を求めようとしてこられなかったからでしょう」(学習院女子高等科の卒業生)

紀子さまのなさりように、多くの国民や学習院の卒業生が不信感を抱いている現状。紀子さまに対しては、古くから違和感を抱いてきた学習院のOGがいたという。

1989年、秋篠宮さまと紀子さまの婚約内定が報じられた後、学習院大学で教壇に立っていた父の川嶋辰彦さんと紀子さまが記者会見を行いました。

この会見で紀子さまは『ごきげんよう』と、皆さんの前でお使いになったそうです。当時から、これに違和感を持ったと話す学習院OGが何人もいたのです。『ごきげんよう』の挨拶は、あくまで学習院の生徒同士、関係者間といった内輪で使う言葉で、外部の方に向けた言葉ではないからです。

そうしたところからも、“学習院が守る価値観を紀子さまが尊重されていない”と多くの卒業生が感じたのではないでしょうか」(前出・藤澤さん)

特権を享受しながらも、自由を謳歌される秋篠宮ご夫妻の姿勢は、悠仁さまの将来にも影響が及びかねず――。

「4月に、ご夫妻と悠仁さまがおしのびで九州を旅行された際にも、行程すら明らかにされませんでしたが、“将来の天皇”である悠仁さまがどのようにお育ちになっているかは、国民の関心事であるはずです。現在の“国民不在”のなさりようでは、人気が凋落している現状に手を打てるとは思えません」(前出・皇室担当記者)

皇室を守り続けてきた存在からも上がった反旗。一刻も早く紀子さまには、国民の声と向き合われていただきたい。