軍用機の「空中給油」の始まりとされる出来事から100年。いまでは軍用機の航続距離も向上していますが、かつてイギリス軍が、空中給油を空前絶後の規模で行い、ある作戦を成し遂げました。

フォークランド紛争中に行われた珍作戦

1923年6月27日、アメリカ陸軍航空隊のDH-4B複葉機が飛行中に別のDHからホースを通じてガソリンを受け取りました。これが空中給油の始まりと言われ、今年で100周年となりました。

第2次世界大戦後、本格的な空中給油機が登場すると、戦場ではより広範囲に及ぶ航空作戦が可能となりましたが、この空中給油を極限まで活用した作戦がありました。それが、フォークランド紛争中の1982年5月1日から6月12日にかけてイギリス空軍が行った「ブラック・バック作戦」です。

1982年3月19日フォークランド諸島アルゼンチン軍が上陸し、掌握したことをきっかけに始まった同紛争で、イギリスは軽空母「ハーミーズ」「インヴィンシブル」の2隻を中核とした機動部隊を編制して派遣しますが、悩みの種がありました。ジェット戦闘機を運用できる滑走路があった同島のポート・スタンリー空港が、アルゼンチンに占領されたのです。

当時のイギリス軽空母は、艦載機として垂直離着陸機である「シーハリアー」しか使用できず、速度や搭載量の問題で、空戦能力や陸上攻撃能力には不安がありました。この空港でアルゼンチン側の軍用機が自由に運用されるようになると不利は必至。一刻も早く滑走路をなんとかする必要がありました。

しかし、大西洋は太平洋に比べて島が少なく、イギリス軍が使える航空基地は、フォークランド諸島より約6000km離れたアセンション島のワイドアウェーク基地しかありませんでした。当時イギリス空軍が所有していたアブロ「バルカン」戦略爆撃機を持ってしても、片道の航続距離すら確保できませんでした。

空中給油機に空中給油機を使って給油?

しかし、そこは戦争を始めたらあらゆる知恵を絞って勝ちにいくイギリスです。王立空軍の威信を賭け、とんでもない作戦を発案します。それは、「バルカン」2機(1機は予備)と、計11機の「ヴィクター」空中給油機を使って、ポート・スタンリー空港を爆撃しようというものです。

その方法は、ポート・スタンリーまでの空路で「バルカン」に並走する「ヴィクター」から空中給油を繰り返すというものでした。しかし、給油機である「ヴィクター」も当然燃料を消費するので、“空中給油機を空中給油機で給油する”ことも並行して実施。バルカンを目的地へ進めさせつつ、一部の「ヴィクター」はワイドアウェーク基地に帰って燃料を補給。こうした給油と補給のリレーを繰り返し、バルカンによる爆撃を行い、最終的にワイドアウェーク基地まで帰着させるというものでした。

この作戦をイギリス軍は、完璧な燃料計算と飛行プランで複数回成功させます。作戦中に撃墜されたり墜落したりした自軍の航空機はゼロ。ポート・スタンリー空港に軽微ではありますが損害も与えました。

アルゼンチンフォークランド諸島の占領を実行した理由のひとつとして、イギリス軍に普通のジェット艦載機を運用できる空母がなくなったことで、空での優位が確保できると考えた、という説が挙げられることがあります。アルゼンチン側も、まさかここまでして爆撃機を飛ばしてくるとは予想外だったのではないでしょうか。なお、東西冷戦期に対ソビエト連邦用に作られた「バルカン」の実戦参加は、この作戦が唯一となりました。

ちなみにですが、アメリカ空軍の戦略爆撃機であるB-52の場合は、航続距離が1万6232kmといわれているので単機で無給油のまま任務をこなすこともできます。

「ブラック・バック作戦」で爆撃を担当したアブロ「バルカン」(画像:イギリス空軍)。