心身の健康だけでなく、社会的にも良好な状態にあることを意味する「ウェルビーイング」。最近では「顧客のウェルビーイングを起点とした商品・サービス開発」への関心も高まっている。この新しい潮流は、日本人のライフスタイルをどのように変えていくのか? またそこからどのような産業やマーケットが生まれていくのか? 消費者目線で社会トレンドをウォッチし続けてきた統合型マーケティング企業、インテグレードのCEO・藤田康人氏が、ウェルビーイングに取り組む実践者たちとの対話を通じて、これからの新しいビジネスを考察する。

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 今回は、企業同士の枠を超え、ウェルビーイングなビジネスを創出する「WaaS(Well-being as a Service)共創コンソーシアム」(WCC)において、運営・統括を行う東日本旅客鉄道株式会社の入江洋氏に、ウェルビーイングの社会実装化における今後の展開について聞いた。(JBpress)

議論を重ねてたどり着いた「ウェルビーイング」という概念

藤田康人氏(以下、敬称略) この春からスタートした「WaaS共創コンソーシアム」(WCC)が話題です。JR東日本を中心に約100社が参加するこのビジネスコンソーシアムは、各方面からも注目されていますが、設立の背景を教えてください。

入江洋氏(以下、敬称略) 実はWCCの前身となる「モビリティ変革コンソーシム」(MIC)という集まりがありました。こちらは、モビリティそのものの変革を目的に活動してきました。当時はまだウェルビーイングという言葉もなく、さらにはビジネスコンソーシアムという形態もなく、まさに手探りという状態でしたが、議論を重ねていくと表面的なビジネスの目的よりもひとまわり大きい上位概念というか、参加者の理想とするベクトルを集約する概念が必要になったんです。

 また、MICの中にスマートシティをテーマとするチームがあり、その視点からMaaS(※)などを考えると、それは目的なのか、あくまでツールなのか、どちらなのだろうという議論もありました。MaaSは目的にすると便利ですが、ビジネスとしてマネタイズが難しくなります。我々はモビリティを扱う鉄道会社なので親和性はあるんですが、それだけではビジネスは広がってはいきません。もう1つ上のレイヤーで何が本当に必要なのか考えたときに、“皆が幸せになれること”が大切だという結論にいたりました。

 我々はインフラ企業でもあるので、個人の幸せは当然で、社会全体の価値も向上させていくことを考えていかなければなりません。その両方のニュアンスに合った言葉が「ウェルビーイング」でした。

(※)MaaS(Mobility as a Service):国民の移動ニーズに沿った検索や予約、決済等の一括サービスのこと。多数の交通手段を組み合わせるだけでなく、観光や医療をはじめとしたサービスと連携し、地域全体の利便性向上や課題解決を目的としたサービスを指す。

藤田 なるほど。WCCに参画する皆さんが考えるウェルビーイングとは、具体的にどのようなものでしょうか?

入江 すでにMICの時代から旗印を「すべての人の個性が尊重され、つながり、豊かさ、信頼が拡がる社会」としてきました。旗印にあたるメッセージは、さらに噛み砕かれ、具体的な取り組みにつながります。

 結果的に上記にあるようなモビリティを中核にした派生サービスの実装化につなげていくことになりました。こういった落とし込みを続けるうちに、MICの各プロジェクトが統合した先の世界をわかりやすく絵で示していこうということになり、それが以下の図です。

 ここではじめて、ウェルビーイングを土台にした、「インクルーシブシティ」という発想が出てきました。図にあるようにエリアや移動の価値向上、リアルとバーチャルの世界からのデータ引用、そして地方生活などの利便性を相乗的に高めた世界ですね。

 こういったプロセスを経て、MICは3つの出口戦略を築きました。1つめは実証実験から知見やノウハウを蓄積・共有すること、2つめは新技術の開発とプロトタイプの実装、3つめはJR東日本への実装です。

 ウェルビーイングはあくまで概念や状態ですので、これらを実現するためのプラットフォームとして、新たなWCCが機能するイメージです。社会課題の抽出やソリューションの生み出しを行いながら実装化を目指し、さらに新たな課題を探索して吸い上げていく。それをWCCで行なっていきます。

まだない技術や世界観を実現する!コンソーシアムでできること

藤田 アメリカでは、ウェルビーイングビジネスが盛り上がるポイントとして、BtoCの前にBtoBがあります。日本のような全ての人が同じように治療を受けられる保険制度がないアメリカは、従業員の健康管理は企業にとって優先度が高い問題です。アメリカのウェルビーイングサービスは、BtoB、BtoCどちらの基盤もあるんです。これは日本との大きな違いであり、やはりウェルビーイングビジネスのマーケットを考慮する上で、BtoB、BtoCのどちらがプライオリティが高いのか? 両方をカバーするならどちらを優先するかなどを検討していかなければならない気がします。

入江 BtoBかBtoCか、ウェルビーイングにおいては境界が切りにくいのかもしれませんね。JRでいえば、駅ナカはBtoBとBtoCの混在ですし、厳しい環境下で行われる鉄道のメンテナンスにおいて従業員をサポートするような技術ができれば、BtoBとして極めて大きなウェルビーイング的成果になると思います。

「移動」そのものも、ウェルビーイングとの親和性が高いと言えます。移動は、行き先で何かをするといった目的を伴うことがほとんどですが、2次需要ともいえる移動時間や空間を少しでも心地良いものにできれば、利用者のウェルビーイングを掘り起こす契機になりますし、ビジネスの可能性にもつながっていくはず。今までは乗らざるを得なかったものが楽しい場になっていくなど、ウェルビーイングビジネスのポイントがこういったところからも明らかになります。

藤田 たしかに。ウェルビーイングビジネスを思い描くのが難しいのは、この国で人が幸せになるためには、誰とどう組んで、どのようなステップを踏めば叶うといった参考になるようなデザインがないからなのかもしれません。ヨーロッパ型の国家主導であるとか、保険制度の状況から企業が主体となるアメリカと比べて、わが国はどっちつかずな状況。それでなくても失われた30年で、終身雇用制度や退職後の生活も従来とは変化しました。今後は、誰が、どんな形で、地域や企業とつながっていくと、ウェルビーイングに近づくのでしょうか?

入江 そういった意味でも、まさに今の時代のためのコンソーシアムだともいえます。一企業で複雑な社会課題を担うのは難しいので、多くの人と意見を交わし合うべきです。それもまったく領域や畑の異なる人がいいのではないでしょうか。コンソーシアムの良いところは、複数対複数で議論していくところ。当然その過程では意見の違いも生まれますが、それを乗り越えていかないと良いものは生まれません。

藤田 参加しているのはどのような企業の方たちが多いのでしょうか?

入江 何か条件を設定しているわけではなく業種は幅広く、技術なり、資金なりのアセットを持っている企業が中心です。そして集まったなら、皆で議論しよう! というのが第一目的。前のめりでやりたい人がいる傍らで、遠くから眺めている人がいてもOKです。あまりソリッドなネットワークにすると、目的が明確なら良いのですが、今回のように目的から決めていく場合には向かないんです。

「移動×空間」の価値向上でウェルビーイングを促進する

藤田 WCCを運営した結果、最終的に御社が得るビジネスリターンは、どうイメージされていますか?

入江 やはり「移動×空間」を主眼にしたテーマは拡がりやすい気がしています。いわゆる都市間移動のような、地方に住む方々の移動や消費変化がキーになってくるのではないでしょうか。過疎化といわれるように、長期的に地方人口が減少していくのは仕方がないにしても、一時的にでも移動する人数(流動人口)が増えれば、ビジネスとしては発展していきますから。

藤田 御社のアセットには、駅ナカの商業施設やホテルもありますよね。

入江 新型コロナウィルスの影響で困惑したのは、人の動きが止まったこと。移動がなくなると経済も止まってしまう。しかし、首都圏や地方の中規模都市だけでも移動があればずいぶん違います。ですので、今後パンデミックのような状況が起こったとしても全ての流動を止めない施策は重要です。

藤田 確かに人が動けばお腹も空くし、宿泊も発生する。移動と空間の工夫によって、乗客のウェルビーイングが高まれば、より自然にマネタイズができそうですね。

入江 さらにコンソーシアムの良いところは、参加企業が自社のアセットだけではできなかった事業が、アセットを持ち寄ることで実現できることです。ですから、この先いろいろなことにチャレンジができると思っています。

藤田 ある種の、オープンイノベーションですね! 自社だけだとインフラ不足で実現不可能なことが、コンソーシアムになると実現できる。そこが、魅力ですね。

入江 我々のアセットである駅も、存分に活用していただきたいと思っています。実証実験の場として活用できますし、立ち寄った方々のリアルなデータを得ることができるはず。自社のアセットやソリューションを具体的に試し、サービスや製品の成功可能性をスタディすることもできます。

藤田 「移動×空間」にウェルビーイングを掛け合わせただけでもあらゆる可能性が拡がりそうですし、WCCの参加企業も名だたる企業が多い。自分の通勤ルート上にあるサービスだけでも、アセット連合ができてしまいそうな気がします!

入江 参加企業が増え、議論が重ねられれば、ウェルビーイングのエコシステムとして機能できるかもしれません。我々としてもそういった場をつくることで、メリットがあるんです。私たちの技術の重心も様々に動く状況ですので、具体的なネットワークを持っていると技術の応用幅が拡がりますから。

藤田 ようやく、ウェルビーイングを体系的に見る組織ができたという実感があります。ウェルビーイング市場にとって、WCCの挑戦こそが、大いなる一歩になることでしょう。

編集後記(藤田 康人)

 ウェルビーイングビジネスを考慮する際に常々感じてきたのは、「単体」での難しさです。各領域の企業やその先にあるサービスやプロダクト、マーケティングは、単体で努力しても理想の成果を得難い状態にあると感じてきました。また、企業と行政、アカデミアとの温度感や、考えのベクトルも少しずつ異なっており、それぞれの良さや不足もある中である程度のスケールを持つウェルビーイング市場を築くためには、さまざまな分野の方々が領域の垣根なく、自由闊達な意見の交換ができる場が必要であると考えてきました。

 JR東日本が中心になって設立したWCCは、参加企業約100社、潤沢なアセットを持つ有名企業が軒を連ねます。こういった企業同士の語らいの中で、これまで難しかったウェルビーイングの測定の方法論や具体的な技術の開発が生まれる余地は十分にありますし、ウェルビーイングそのものの捉え方も、より高度に言語化できる日が来るのかもしれません。

 入江さんは、モビリティ変革コンソーシアム(MIC)時代に実現した技術として、駅構内のAI案内をお話してくれました。駅構内の情報をAIによって乗客に提供するものですが、その結果、集中力が必要な高度な業務に人員をあてることができると話していました。AI案内という言葉だけを聞くと機械的なイメージが先行しがちですが、ここで重要なのは、従業員の働き方改革につながったという事実です。こういった技術と人の関係による小さな変化の蓄積こそが、ウェルビーイング市場、いえ、ウェルビーイングな世界の実現に必要なのだと思います。

 今回の記事をもちまして、この「日本を変えるウェルビーイングの大潮流」は一旦終了となります。連載を通し、取材に対応してくださったプロフェッショナルの皆さまには深く御礼を申し上げます。いまだ霞に覆われたウェルビーイングビジネスに対する皆さまの鋭いご意見は、今後のウェルビーイングビジネスを先導するすべてのビジネスパーソンにとって有益なものになることは間違いありません。

 また皆さまと、ウェルビーイングシーンでお会いできることを、楽しみにしております!

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