鉄道の線路に石を置くのは危険な行為として、最大級の厳罰に問われます。しかし鉄道の歴史を振り返ると、軽いノリから不可解な理由まで、明治以来様々な「置き石」事件が発生してきました。

軽いノリで引き起こされる重大事件の歴史

人はレールを見ると石を置かずにはいられないのでしょうか。線路上に石を置いて運行を妨害する「置き石」は言うまでもありませんが犯罪行為であり、もし列車が脱線転覆して旅客が死亡すれば、死刑又は無期懲役の「汽車転覆等致死罪」に問われます。これは1882(明治25)年に施行された旧刑法以来の規定で、現在では内乱罪、人質殺害罪などと並び、日本で最も刑が厳しい罪状のひとつです。

それでも鉄道開業以来、人々は線路に石を置き続けてきました。官設鉄道の記録では、日本初の鉄道の開業からわずか5年後の1877(明治10)年1月24日が最初の案件。作業員が大森駅付近の踏切に一辺約12cmの石を積み重ねている子どもを発見し、巡査に引き渡したというものです。

鉄道局はこれ以降、線路の巡回に力を入れるようになり、同年6月22日には新橋駅近くの線路上でレールに大石6~7個を積み上げていた男を発見。すんでの所で脱線転覆を防ぎました。

しかもこの男、妻との喧嘩で「意気地なし」とバカにされたことに腹を立て、「陸蒸気をひっくり返して鼻をあかしてやろう」と決意して犯行に及んだというのだから呆れます。

一方この頃、関西ではちょっと異なる形の置き石が起きていました。1883(明治16)年1月17日付大阪朝日新聞によると、1874(明治7)年に官設鉄道大阪~神戸間が開業した直後から線路上に石や木材を置いて運行を妨害する事件が相次いでいたようで、同年1月6日には住吉駅付近で列車が60kgもの岩石に衝突する事故が起きています。

また4月26日に神戸発大阪行き最終列車が異音を感知して停車すると、杭が線路の上に並べられていました。さらに7月18日には神戸付近で約90kgの岩石が2つ仕掛けられる事件があり、神戸鉄道局は列車妨害犯に30円(現在の60~70万円程度)の懸賞金をかけ、連日のように新聞で通報を呼びかけたほどです。鉄道開業に反対する勢力の組織的犯行だった可能性があります。

新幹線でも早速置き石が発生

さて時計の針を戦後まで一気に進めましょう。1960年代は各地で置き石が行われ、重大事故がいくつも発生した時代でした。

1960(昭和35)年8月18日磐越西線で発生した置き石では、前日に東北本線で発生した列車妨害事件を知った小学生が、「本当に列車が転覆するか興味を持ち、友達と賭けをしながら線路脇で見物していた」というから驚きです。

またこの日は山陽本線貨物列車18両が脱線し、一部の貨車が横転する事故が発生していますが、これも13歳の中学生が「こぶし大の石」3個をレール上に置いたことによるもの。このほか8月には北海道貨物列車機関車が脱線する事件が起きています。

相次ぐ置き石被害を受けて同年11月14日付の朝日新聞夕刊は「線路に置石ふえる一方 高速化につれ大事故」と題する特集記事を掲載し、1950年代後半から置き石に起因する脱線事故が毎年10件程度発生していると伝えています。1957(昭和32)年度の統計では、列車妨害の総発生件数1万3160件のうち1780件が置き石で、ほとんどが子どもの犯行でした。記事は「最高は死刑に」と警鐘を鳴らしています。

いっぽう同記事によれば、山陽本線の脱線事故では、国鉄が抑止効果を狙って親族に6646万円の賠償請求をしたところ、結局支払い能力がなく国鉄が全額を負担することになったそうで、対策の難しさをうかがわせます。

社会問題になっても置き石は相次ぎます。同年11月26日夕方から27日朝にかけて、京浜東北線と京急の線路上に丸太や石が置かれる事件が発生。翌年4月18日夜には、淡路島に走っていた淡路鉄道の普通列車が成相川橋梁の手前で「直径50cm重さ50kgの石」に乗り上げ、先頭車両の連結器が外れて脱線転覆。乗員乗客5人が重軽傷するという大事故が発生しました。

1964(昭和39)年12月21日には、開業したばかりの東海道新幹線の泉越トンネル付近で置き石があり、「ひかり8号」「こだま106号」が異音と衝撃を感知。現場周辺で子どもの靴跡が見つかったといいます。

また同年11月から12月にかけて、京阪電鉄寝屋川市付近で何度も石やコンクリート、枕木などを置いたとして男が逮捕され、被害はなかったものの、3年後に懲役1年6か月の実刑判決が下されています。

次に置き石問題が表面化するのは1970年代中盤でした。1975(昭和50)年11月25日朝日新聞は「困った遊び 置き石が急増」と題して、国鉄東京西鉄道管理局(中央線南武線横浜線武蔵野線など)管内で同年4月から9月の半年で前年同期比67%増の371件にも上ったと伝えています。

特に増えているのはベッドタウン化が進んでいる新興住宅街の周辺で、これは急速な住宅化に対応できず線路脇に柵が付いていない区間が多いこと、遊び場が少ないため子どもが入り込んで遊ぶことが常態化していることが影響していました。

「脱線用クレーンを撮影したかった」

それから脱線事故はしばらく沈静化していたものの、1980年代に入っていよいよ最悪の事件に繋がっていきます。

事件が起きたのは1980(昭和55)年2月20日21時のことでした。京阪線の上り急行電車が黒田川鉄橋手前で脱線。鉄橋上を150m走った後、急カーブで1両目が民家に突っ込み、2両目も横転しました。51人が重軽傷を負いましたが奇跡的に死者は出ず、車両が衝突した家の住民にもけがはありませんでした。

この大事故を引き起こしたのは付近の中学生5人の置き石でした。彼らは面白半分で線路に立ち入り、線路敷からこぶし大の石をレールに乗せたのです。過去5年、脱線事故が発生しなかったことも油断につながったのかもしれません。

しかしこれほどの大事故が起きても置き石は無くなりません。1984(昭和59)年には10月20日から21日にかけて、小浜線三松駅付近の線路上にコンクリート製U字構5個を置くなどの列車妨害を行ったとして、大学生ら3人が逮捕されています。

同年12月14日朝日新聞によると、彼らは事件前日の19日未明に山陽本線西明石駅で発生した寝台特急「富士」の脱線事故復旧のため出動した救援用クレーン車を見て「自分たちも撮影したい」と考え、そのために列車を脱線させようと考えたというのです。

近年も、2018年から2019年にかけて東海道本線浜松駅付近の線路上にコンクリートブロックを置くなどした親子が逮捕。2020年5月8日には小学生がJR外房線安房鴨川~安房天津間の踏切内に置いた石で列車が脱線する事故が発生しています。

置き石をする人は、ただの遊び、いたずらと思っているのかもしれませんが、重大な事故につながる行為であり、結果は紙一重です。自分も他人も子供も絶対にやらない、やらせないようにしましょう。

線路のイメージ(画像:写真AC)。